次の日のプールの授業も椎名は見学だった。僕でも休みすぎは良くないと思って嫌々プールの授業に参加しているのに、あいつはまた休み。僕は少しだけ苛立ちを覚えたが、女子は色々大変なのかもしれないという考えに行き着いて少しだけ同情した。本当は椎名はプールに入りたいのかもしれない。僕はそう思うようになった。
その次の日も、その次の日も、椎名はプールの授業を見学し続けた。いつまで見学するつもりだろうと思っていたが、とうとう今日で一学期のプールの授業は最後だ。次は夏休み後の2回だけ、今日も見学なら、あいつはきっと全部のプールの授業を見学する気だ。
「あ、北上君も見学?」
僕がプールサイドに入ると、椎名はいつもどおりプールサイドに置いてあるベンチに座っていた。今日は僕も見学をする事にした。理由はよく分からないけど、とにかく今日は僕は見学だ。
「なんや、お前一回もプールの授業出てないやろ」
「えー。何で知ってるん?」
「見てたから」
「み、みて、た?」
「動揺しすぎや」
僕は椎名の隣に腰を下ろした。椎名は肩をビクンと揺らして、少しだけ僕から遠ざかる。前はあんなに積極的だったのに、女はよく分からない。
「何で遠ざかるんや」
「な、んと、な、く」
僕は椎名との距離を詰めた。椎名はまた肩を揺らした。
「き、北上君てよく分からん」
「ん?」
「よく、分からんよ……」
「は?」
「……。そういえば、夏休みいつ空いてる?」
そう言われて思い出した。そういえば4週間程前に水族館に誘われていた。僕はイエスと返事をしていたような気がする。
「別にいつでも」
「じゃあ8月の6日!」
「いいけど」
椎名はさっきの緊張した雰囲気ではなくて、もう落ち着いた雰囲気で笑った。こんなに暑いのに、椎名は相変わらず長袖のカッターシャツを着ていた。
「暑くないんか?」
「暑くない」
そう言った椎名の額には薄っすら汗が滲んでいる。やっぱり暑いんだろう、なら他の見学者と同じように半袖の体操服を着ればいいのに……そうとう馬鹿なのかもしれない。
「何、かな」
椎名がまた緊張したような表情になって僕に言った。
「なにが?」
「いや、じいっと私の事を見てたから。も、しかして、汗、臭いかな?」
椎名はそう言うとまた僕と距離を離した。別に椎名が汗臭いとは思っていない。僕は椎名に顔を近づけた。ほんのりと香るのはシャンプーか洗剤のいい匂い、やっぱり汗臭くは無い。
「き、北上君ッ! 近い……」
顔を赤らめた椎名は少しだけ泣きそうな目をしている。僕は椎名から顔を離した。
「不思議やな」
「……なに、が?」
「女子って何でいい匂いがするんや?」
「いい匂い……? 私、いい匂いしてる?」
「してる」
椎名はほんの少し考えてから口を開いた。
「洗剤……かなぁ?」
椎名は自分で、カッターシャツの袖口の匂いを嗅いで首を傾げた。
「でも」
それやったら、と椎名は僕の服に顔を近づけた。僕はそんな椎名を見つめながら、やはりいい匂いがする、なんて事を考える。この匂いは、洗剤の匂いなんだろうか。
「北上君も洗剤の匂い、するけど」
「そうか」
自分の匂いは気にしたことが無かったからよく分からないけど、僕も洗剤のいい匂いがしているらしい。男は汗臭いと思っていたけど、そうでもないらしい。
「でも、椎名は……なんか違う」
「なにが」
「洗剤……じゃない、みたいな」
「じゃあ何よ」
「んー。僕はよく分からんけど。なんやろ、甘い匂いがする。これってやっぱり洗剤なんやろか」
椎名は僕が”甘い”と言ったあたりで少しだけ肩を揺らした。椎名はまた顔を赤くして、僕の方を睨みつけている。なんだろう。
「北上君って」
僕はただ静かにその言葉の続きを待った。
「変態?」
「は?」
「へんたい?」
「いや、分かってるわ。僕は……変態、なんか?」
「多分。だって、女の子に甘い匂いがするなんて。普通は、んー。」
椎名は下を向いてしまった。女子に甘い匂いがする、と言えば変態になるんだろうか。
「普通ってなんや。僕は普通じゃないんか」
「分からんけど、とにかく変態や」
椎名はそう言って一人うんうんと頷いた。僕は溜め息をついて時計を確認する。あと10分程度で授業終了のチャイムが鳴るだろう。僕はもう一度大きな溜め息をついてからクラスメイト達が泳ぐプールに視線を移した。