「なあ、なんでそんな事するん?」
少し離れた所で声が聞こえた。地面の猫を見ていた僕は、そのまま視線を前へ向けた。しかし、前方には誰もいない。
「こっち」
また声が聞こえた。僕は後ろを見る。其処には、黒い髪の毛を二つに結っている、制服姿の女子が一人。僕はその女を静かに見つめた。誰か知らないそいつは、ゆっくりと僕に近づいて来る。
「何で、そんな事するん?」
彼女の言う”そんな事”が僕にはよく分かる。
「別に、暇やし」
もう一度前を向くと、猫は既に其処には居なかった。小さく舌打ちをしたが、その女には聞こえていないようだ。
「暇やからって、猫、かわいそうやろ」
僕は手に持っている、猫に投げる予定だった石を地面に放り投げた。彼女の言う”そんな事”は猫虐めの事だ。それから僕は、肩から少しずり落ちたスクールバッグの紐をしっかりと肩にのせた。
「北上君。北上圭君やろ?」
その女と反対方向に歩き出そうとした時、自分の名前が呼ばれた。きたがみけい、確かに女はそう言った。
「知らん」
咄嗟に嘘を付いた。こいつが不審者じゃないのも、同じ学校の女だという事も分かっていたが、そう言った。
「嘘、自分の名前くらい知ってるやろ」
女は僕に近づいてくる。気づけば、手を伸ばせば届くくらいの距離になっていた。僕は少しだけ後ずさりをする。
「誰やお前」
「ごもっともです!」
女はニッコリと笑って、手を上げた。そしてピョンぴょンと飛び跳ねる。その姿は馬鹿にしか見えない。女が飛び跳ねる度に、結われている二つの髪が揺れた。
「私は椎名優里。この制服を見て分かるとおり、北上君と同じ雪城中学校2年4組です!」
早口でそう言った女。名前は椎名優里らしい。僕の隣のクラスだけど名前を聞いたコトは無かった。そもそも、他クラスの人間とあまりかかわらないから、よく分からない。
「はじめまして」
椎名はそう言うと、僕に手を差し出してきた。僕はその手をじいっと見つめてから歩き出した。去年買った靴が少しきつい。
「北上君!」
すぐに僕に追いついた椎名は、横に並ぶと僕と同じ歩幅で歩き出した。何故僕についてくるのか理解が出来ない。
「北上君の家は何処なん?」
咄嗟に頭に浮かんだのは、ストーカーという言葉だった。知らない女に言えを聞かれている自分の状況がよく分からない。
「知らん」
「嘘付け。自分の家知らんわけないやん」
そう言って僕の背中を何度も叩くこの女に一瞬殺意が沸いた。でもそれを舌打ちだけで抑えて、足を速める。椎名も少しだけ足を速めて一生懸命僕について来た。
「家、何処?」
「……あそこ」
そう言って山を指した。椎名は一瞬驚いた表情で 僕を見てから、また僕の背中を叩いてきた。
「嘘付け! 本間、北上君て嘘ばっかりやな。あの山に家なんか建ってないもん」
「知るか。うざい、どっか行け」
妙にテンションの高い、この椎名という女が凄くうざく感じる。思ったことをそのまま口に出したら、椎名は少し悲しそうな表情をして足を止めた。
「じゃあ、北上君。バイバイ」
椎名はそう言うと、トボトボと今来た道を戻り始めた。僕と同じ方向が帰路じゃないなんて、やっぱりあいつはストーカーか、なんて事を考えながら、椎名の後姿を見る。
椎名は暫く歩くと、僕がさっき捨てた石に躓いて、一瞬体が傾いた。しかし、次の瞬間には右足で踏ん張り、こけることは無かった。