夏休みも本格的になり、とうとう8月に入った。前から思っていたが、夏休み7月の間は長く感じるが8月に入ると、随分あっという間に9月になってしまうような気がする。勿論これは冬休みも言える事だ。僕だけかもしれないけど、ずっとそう思ってきた。
7月の間にも色々あったけど、それは省こうと思う。誰かが聞きたいと言うなら話してもいいような気がするが、誰も聞きたがらないなら話しても意味が無い。簡単に言うと、茂と遊んだりした。
今日は8月6日で、僕の記憶が正しければ椎名と水族館に行く約束をしていたと思う。そこで思ったけど、よく考えたら詳しい時間なんかを何も決めていなかった。
今の時刻は午前7時半。僕はリビングの椅子に座って悩んでいた。待ち合わせ場所、僕が覚えていないだけか? いや、確かに何も決めていなかったと思う。あの椎名の水族館に行くという発言は、適当に発せられたものだったのかもしれない。女は何でも適当に言ってしまう生き物だと、昔茂に聞いた。
時計の短い針が8と9の真ん中にいるとき、インターホンが鳴った。僕はリビングの椅子に座ったまま、動かなかった。台所に居たお母さんが玄関に向かうのを目で追った。
「真、お友達来たで」
思ったとおり、お母さんが僕にそう言った。僕の家に来たお友達が誰かは直ぐに分かった。
「おじゃましまーす!」
まるで自分の家のように家に入ってくる女を、僕はよく知っていた。
「北上君! 今日は何の日でしょう?」
「水族館」
椎名は驚いたような顔をした。それから、僕の前の椅子に座る。
「覚えてたんや」
「記憶力はいい」
「テストの点数は?」
「悪い」
うんうんと椎名は頷いて、お母さんが出したお茶に少しだけ口をつける。
「行くか」
「え、もう準備出来てるん?」
「もう出来てる」
「まさか北上君がそんな」
「できてる」
椎名はまた驚いた顔をした。僕が準備をしていない筈が無いじゃないか。
僕が椅子から立ち上がると、椎名も同じように立ち上がった。僕が玄関へ向かうと、椎名も同じようについてくる。
「お邪魔しました!」
椎名が玄関からリビングに向かってそう叫ぶと、奥から気をつけていってらっしゃいと声が返ってきた。
「うわー、緊張したー」
家から出ると、椎名は心臓を抑えて溜め息をついた。
「何がや」
「え? 北上君のお母さんと初めて喋ったし」
「ふうん」
そういうもんか? ちょっと疑問に思ったけど、直ぐにバス停に着いたからその疑問もあまり気にはならなくなった。
「バースまーだかなー」
「あと5分ぐらい」
椎名は腕時計を確認して、それから静かになった。セミの鳴き声が耳につく。ふと椎名の方を見ると、額に薄っすらと汗をかいている。確かに、今日は暑い。それに、椎名の今日の服は長袖だ。
「……ちょっと待っといて」
「ん?」
僕はバス停から少し離れたところにある自販機まで歩いた。自販機に並べられた飲み物を見る。リンゴ、みかん、コーヒー、炭酸、お茶、水。いつもなら、自分が飲みたいのを買うのだが、今は違う。
女子は何がいいのか……。そういえば、茂の彼女は炭酸が苦手だと言っていた。なら、椎名も炭酸が苦手かもしれない。
ガコン、と音がして飲み物が落ちてきた。それを手に取って、椎名の所へ戻る。
「あ、お帰り。何してたん?」
「これ」
椎名に、今買った林檎ジュースを渡した。
「これ、貰っていいん?」
「あげる」
「やったー!」
椎名は嬉しそうにジュースの缶を受け取った。
「北上君」
「なに?」
「ありがとう」
そう言ってニッコリと笑う椎名は、随分綺麗に見えた。