漆黒へ落下 ( 3 / 3 )



思えば、きっとあれはヒトメボレ、ってやつだったんだと思う。
なんであんなオッサンのことを好きになったのかなんて、今でも分からない。自分のことながら、ビックリだ。

初めてキスした時は、嬉しかったし、ドキドキした。
でっかい手で、頭を撫でながら、頑張れ、って言ってくれた。
意外と、笑顔もかっこよくて。
ああ、あと、キスの前にする、あの顔が。

…最後に見たのは、いつだっけ。



「ただいまー…て、え、彰太、何した?」

部屋が暗いぞ、なんて言いながら、部活を終えたらしいハルが帰ってきた。
塞いだ視界の隅が僅かに明るくなる。ハルが電気を点けたみたいだ。

「え、部活は?」
「……行ってない」
「じゃあメシは?」
「……食ってない」
「あ、そう…」

ハルから訊いてきたくせに、すぐそばで気のない返事をした。
もそもそと衣擦れの音がする。



「…だってさあ」


ぽろり。

油断した。

溢れる。



「…気付いたんだ。俺ばっかり好きなんだ。あの人の『好き』を、聞いたことがないんだよ」

ぽろりぽろり。
一緒に溢れる涙。
拭う気力も、流れていった。


「…じゃあお前はどうなんだよ」

静かだったハルが口を開く。思いもよらない言葉に、思わず顔を上げた。

「お前は、声に出して『好き』だって言ってたのかよ」


あの日を、この日を、思い返す。

何度も触れた。何度もキスした。

だけどそこに、言葉はなかった。

ただ繋がることが嬉しかった。満足してた。
それで伝わるものだと、思ってた。



「…言葉にしないと分からないことの方が、多いんだぞ」

ハルの言葉は重い。
いつになく真面目なその目。
また、涙が溢れる。

「ココからは、俺の独り言」

さてと、と立ち上がったハルは大きく頭を掻いた。

「藤高サンの家って、確か駅前の喫茶店の通りを行ったところのアパートだったよなー。そういえば、野球部のランニングを監督がチャリンコ漕いで後ろから追いかけてたから、そいつ借りれば藤高サン家なんかすぐ、だよなー」

まるでわざとらしい口調。思わず吹き出しそうになったけど、ハルが後ろ向きだったのが幸いした。

「……ハル、」
「…何」

「………ありがと」


.....


夜道を歩く。夜道、と言うほど遅い時間ではないのだけれど。星が、瞬き始めている。
チャリは借りなかった。
自分の足で、向かいたかったから。

たん、たん、僅かに足音が響く。
だんだんと先生に近づいていると思うと、心音も、速くなってくる。

藤高

その二文字。
ようやく見つけた。
…そんな気がした。

表札の下のボタンに触れ、ゆっくり、人差し指に力をのせた。

…ピーン、ポーン。

呼び出し音が、鳴る。



「……はい」









─…漆黒へ落下。




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