朝5時、起床。
顔を洗って、さくっと髪を整えて、ジャージに着替えて、ストレッチを念入りに行う。

「…行ってくるよ」

まだ寝ている母さんたちに小さく挨拶をしてから、玄関で履き慣れたスニーカーの紐をぎゅっと結び、ドアを開ける。
日課の、町内一周。
暑かった今年の夏も終わり、頬を撫でる早朝の空気は日を追うごとに冷たくなってきている。上着のジップを首まで上げて、足を進めた。
坂道を下る。まだ目の覚めない町はとても静かだ。いつも陽気なじいちゃんの家も、町の住民が集うスーパーも、部活仲間と立ち寄るラーメン屋も、未だ夢の中。
鳥の鳴く声や、木々がそよ風にさわさわと揺れる音だけが聞こえる。人間が作り出した雑音のない、自然が奏でる音楽。
天然のBGMを耳に招き入れ走りながら、いろんなことを考える。
今日の授業のこと、課題のこと、弁当の中身のこと、部活のこと、帰りのバスの時間のこと。
そして、あの人のこと。

「……おはようございます」

折り返し地点からの帰り道、鉢植えでいっぱいの民家に差し掛かった。

「あら、おはよう」

優しい笑顔のおばあさんが出迎えてくれた。ゆっくり速度をゆるめ、俺もぺこりとお辞儀をする。
おばあさんの手には、細かい装飾がなされた真っ白いじょうろ。色とりどりの花々とのコントラストがとてもきれいで、しばらく見とれた。

「顔色がいいわね。いつもは無表情なのに…」

花に水をやりながら、おばあさんはクスクスと笑った。
素直に、同じクラスの女子たちよりも可愛いと思った。こんな言い方をしたら両者に失礼かもしれないけど。

「……模試で、志望校合格率が80%で…」
「あら、あらあらそうなの…良かったわねえ…」

おばあさんはしわしわの顔をもっとくしゃくしゃにして、笑ってくれた。つられて俺の顔も綻んでしまう。
おばあさんとは、ジョギングを始めた中1の頃からの顔見知り。お互いに最初は気にもとめなかったが、日が経つうちおばあさんも俺の顔を覚えたようで、挨拶程度だったコミュニケーションが、今では世間話もするようになった。

「どちらの高校なのかしら」
「……県外の…」
「あらあらあら…そうなの…それじゃあ、春からは会えなくなるのね…」
「…合格できれば、ですけど」
「ふふふ、合格できるわよ、きっと…」

するとおばあさんはたくさんの鉢植えのうちからオレンジ色の花を一つ摘み取って、小さな手のひらサイズの鉢植えに移して差し出した。

「あなたに差し上げるわ。もうそろそろ、時期も終わってしまうけれど…」

おばあさんの小さな手から、その花を受け取る。

「ガーベラよ。花言葉は、友情。若くてかっこいい男の子とお友達になれて嬉しかったわ」

にっこり笑ってストレートに褒めてくれて、なんだか照れ臭かった。

「……ありがとうございます」

花なんて詳しいことはこれっぽっちも分からないけれど、鮮やかな色の小さなその花は、とても愛らしく見えた。

「高校でも頑張ってね、かっこいい先輩と。」

「……え、」

またね、とおばあさんは家の中へ戻っていった。

いつの間にか、ふんわりと漂う優しい香りが俺の全身を包んでいた。



===============



「……ただいま」

バタン。
ドアを閉めると、味噌汁の匂いが玄関まで漂ってきていることに気づいた。靴を脱ぎ捨ててそのままキッチンへ向かう。
すっかり朝食の準備はできていたが、確認できたのは母さんの姿だけ。いつも寝坊の父さんと妹はまだ寝ているのだろう。

「おかえりなさい。朝ごはん、できてるよ」
「……母さん、これ…」

さっきおばあさんに貰った鉢植えを母さんに手渡した。母さんは大きな目を丸くして、じろじろとそれを眺めている。

「あら、どこでもらったの?」
「……近所のおばあさんの家」
「きれいね。ガーベラ?よね…」
「……うん、そうだって」

鞄取ってくる、と告げて二階の自室へ上がろうとした時、母さんが呟いた。

「ガーベラの花言葉…可憐な愛情、だったかしら」


(…………愛情)


たん、たん、階段を上る。父さんの部屋からは大きな大きないびきが聞こえていた。今日も遅刻ギリギリだろう。
部屋のドアを開けて、椅子の上に置いた鞄に手をかける。
ふと、机上の写真立てに目がいく。
去年の大会で優勝した時、大会MVPを獲った先輩とツーショットで撮った写真。うちの学校の真っ青なユニフォームを纏って、満面の笑みでピース。その傍らに、僅かにはにかむ俺。我ながら、表情が乏しいなと思う。

「……友情に…可憐な、愛情…」

思わず声に出していた。
あのおばあさんは分かっていたのだろうか。俺の友情も愛情も。

「…………嵐、」

呼び慣れた名前。
やっと慣れた呼び捨て。
しばらく面と向かって呼ぶこともなくなったその名前を、呼んでみる。

写真をひょいと持ち上げて、ガラスの向こうで笑うその人に、そっとキスをした。

「……あと、もうすこし。」

可憐かどうかは分からないけれど。
胸いっぱいの、友情と愛情を持って。



あなたに、会いに行くよ。







ガーベラにくちづけ






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