いつも通りの何でもないある日の午後、いつもと同じように授業を受け、いつもと同じように放課後を迎え、部活へ行こうとこれまたいつもと同じように弓道場へ向かった。


「よろしくお願いしまーす」


 弓道場へ着くなり弓道着に着替え、道具を持っていつもと同じようにお決まりの気の抜けた適当(そんなつもりはないが宮地にはそう言われた)な挨拶をし、弓道場の扉を開ける。だが、扉を開いて視界に入ってきたものと俺が想像していたものは異なっていて、目の前に広がる景色と展開は少しだけ予想外のものだった。


「…って、誰もいないのかよ」


 扉を開くと同時に言い放った挨拶は誰もいない閑散とした弓道場に虚しく響く。弓道場の壁に掛かっている時計を見れば、あと5分程で部活の開始時刻に差し掛かろうとしていた。


「部長も宮地もいなくて、夜久もいない…」


 他のメンバーがいないのはそうでもないが、あの3人がいないというのは珍しい。部長は陽日先生に呼ばれたり、夜久は生徒会やら保健係やらを掛け持ちしているのでわからなくもないが、あの堅物甘党で鬼の副部長である宮地がこの時間にいないというのは何かあったとしか思えない。


「うーん…こりゃ、どうすべきなんだ?」


 そんなことをぽつりと呟きながら誰もいない弓道場を見渡すと同時に、ガタッと勢い良く扉の開く音が響く。音のした方向を見れば、そこにいたのはあの3人ではなく、ましてや白鳥や小熊でもなかった。


「あ、隆文…。よかった、ここにいたんだ!」
「…名前?」


 振り向いた先にいたのは、この学園で夜久以外の唯一の女子であり、宮地と共に弓道部の副部長を務めていて、それでいて俺の幼なじみである名字名前がいた。


「そんなに急いで来なくとも大丈夫だぞ?まだ俺以外来てないからな」


 息を切らしながら口を開く名前にそう言うと、彼女は少し申し訳なさそうに、「そのことなんだけどね…」と口にした。


「実は…今日休みになったんだ」
「……は?」


 予想外の発言に拍子抜けしつつ名前の言葉の続きを聞くと、どうやら今日はみんなそれぞれ私用があるらしく、それならば休みにしようという陽日先生の提案で急遽休みになったらしい。だからこの時間になっても誰一人来なかったわけか、などと納得しつつある一つの疑問が頭を過ぎる。


「ひょっとしてお前…俺に知らせるためだけにわざわざここまで来たのか?」
「うん、そうだけど?」
「……」


 …呆れた。俺の目の前の幼なじみはさも当然のように、寧ろそれ以外に何かあるのかと言うように首を傾げているのだ。そのことに呆れつつ溜め息を一つ吐いてから、俺はゆっくりと口を開いた。


「…そんなもんメールか電話でいいだろうが。なんでわざわざ直接言いに来てんだよ」
「…あ、そっか!」


 その手があったか!、と言いながら名前はポンと手を叩く。昔から代わらない彼女の行動に苦笑いを零すと、彼女はむっとしながらこちらへずいっと近寄ってきた。


「…年上なのに馬鹿とか思ってるんでしょ」
「おー、大正解。よくわかってんじゃねぇか。」
「……」


 俺がそう言った後、名前は拗ねたように頬を膨らませこちらをじっと見つめたまま黙り込んでしまう。そしてその数秒後、突然パッと顔を離したかと思うと、両手を俺の顔へと持ってきて何かを取ってニヤリと悪意のこもった笑みを向けてきた。


「へっへーん、いただき!」
「は?…ん?何か視界がぼやけて…って名前、お前…っ!」
「眼鏡のない隆文なんか怖くないもんねー」
「コラ、返せ!」


 名前が取ったものは俺が命の次になくてはならないもの…は言い過ぎだがとりあえずないと日常生活に支障をきたす程度には必要なものである眼鏡だった。ぼやける視界の中で辛うじてわかる彼女の輪郭を頼りにそちらへ近付く。


「おい、名前!」
「一樹が言ってたよ。眼鏡がないと困るって」
「はぁ?生徒会長は眼鏡なんかかけてないだろ?」
「偶にかけてるの。普段はかけてないだけ」
「ふーん…って、それより俺の眼鏡を返せ」
「年上を馬鹿にする隆文が悪いんだ…って、わっ!」


 そう言いかけると同時にドンッという大きな音が弓道場に響く。音のした方へ向かうとそこには予想通り名前がコケて座り込んでいた。


「…これはまた派手に転んだなー」
「……」
「…俺の眼鏡は無事なんだろうな?」
「…私より眼鏡の心配かバカヤロー」


 名前のすぐ側に落ちていた眼鏡を拾いながら、「あれがないと色んなものがちゃんと認識出来ないからな」と言うと、「…ふぅん」と実に興味なさそうな返答が返ってきた。それを聞き流しつつ、拾った眼鏡を確認する。よし、傷はないみたいだな。


「…じゃあさ」
「ん?」


 壊れていないことを確認し、漸く眼鏡をかけようとしたところで、再び名前がこちらへ近寄ってくる。


「…このくらいは、見える?」
「…はぁ?」
「だから、眼鏡かけないとこのくらいの距離でも駄目なのかってこと!」
「あー…」


 …目の前の幼なじみはこのようなことをわざとやっているのだろうか。それなら本人が自覚している分まだいいが、もし無意識だったのならとてつもなく危険だ。


「はっきりとはわからないが、大方見えるぞ」
「…なーんだ、つまんない」
「…お前さ、こういうこと先輩たちにもやってたりしないよな?」
「ん?」


 名前はまるで質問内容がわからないとでも言いた気に首を傾げる。どうやら本人にはまるっきり自覚がないらしい。


「だーかーらー」
「え、ちょっ…わっ!」


 俺は溜め息を一つ吐き、名前の腕をぐいっと自分の方へ引っ張る。引っ張られた本人は必然的にこちらへ倒れ込むわけで、先程よりも彼女との距離はより近くなった。


「…こういう展開になったらどうすんだよ」
「……っ」


 耳元でそう言ってやるとそれが効いたのか名前は静かになる。その隙をついて眼鏡をかけると、自分でも予想外に彼女の顔が近くにあって少しだけ驚いた。同時に彼女がずっと黙っているわけも理解した。ああ、成る程な。


「お前、俺なんかに照れてんのか?幼なじみだぞ?」
「…はぁ!?ばっ、て、照れてなんかいませんー」
「あー、そうかい」


 真っ赤な顔で否定する年上の幼なじみになんだか可笑しくなり、思わず噴き出してしまう。


「…笑うな、バカ文」


 だがそれと裏腹にこんな表情の彼女を誰にも見せたくないという独占欲のような感情がふつふつと沸き上がってくる。


「面白いもんは仕方ないだろ。これを笑うなっていうのには大分無理があるぞ?」
「なっ…」
「あー待て待て。怒ると余計ブサイクになるぞ、止めとけ」
「…っうるさい!年下のくせに!」

 頬をぷくっと膨らませながら怒る名前はとてもじゃないが、自分よりも年上だと思えない。こんな風に表情をころころと変わる様を見ているのは実に面白く、自然と笑みが零れる。


「…どうせ私は月子ちゃんみたく可愛くないですよ」
「まぁ、顔に限らず夜久は性格もお前よか何倍も良いからな」
「…ちょっとは幼なじみとしてフォローしてくれてもいいと思うんだけど」
「ははは、今更フォローも何もないだろ」


 名前は先程の自分の発言を気にしているのか、今度は叱られた子供みたいにしゅんとしてしまう。少し言い過ぎただろうかと不安になりつつ彼女の頭にぽんと手を置き、俺は呆れたように口を開いた。


「…まぁ、俺は星月学園のマドンナよりも、百面相が特技で全然年上に見えない幼なじみの方が一緒にいて楽しいけどな」


 そう言って頭をぐしゃぐしゃと撫でてから名前を見ると、今までとは比べものがないくらいに真っ赤な顔をして照れていた。


「…ぶはっ!だからお前、何俺なんかに照れてるんだよ!」
「なっ…!て、照れてないっ!」


 名前は照れているのを必死に隠しなが何とか俺に言い返そうと隙を狙っている。だが、俺と視線が合うと、赤くなってあるのをバレないようにしようとして急に顔を逸らしてしまう。


「…い、いい加減離してよね、その手!」
「あ、忘れてた」
「……」
「ははは、すまんすまん」


 忘れていたが今の俺達の体制は先程俺が名前の腕を引っ張ったところからあまり変わっていない。というよりは俺が彼女の手を離さなかったのが原因らしかった。


「まったく、隆文のくせに生意気だよ!」
「年下に振り回されるお前こそどうなんだよ」
「…う、うるさい!これは、その、いきなりだったから…」


 その発言に若干イラッときた俺は、ニヤリと口角を上げながら口を開いた。


「ほぅ…じゃあ、いきなりじゃなかったらお前は平然とスルー出来るってことだな?不知火会長たちでも、スルー出来るんだな?」
「で、出来るよ!」
「…じゃあ、俺なんかはもっと余裕だよな?」
「そ、それは…」


 名前は視線をきょろきょろさせながら何かぼそぼそと呟いている。よく聞こえず頭にクエスチョンマークを浮かべていると、突然身体をどんと押され、再び床へと叩きつけられた。


「いってぇ…おい、何してん…」
「…ら、だよ」
「は?」


 上手く聞き取れず聞き返すと、名前は顔を真っ赤にしながら信じられないことを口にした。


「…隆文だからに決まってるでしょ、馬鹿!」
「……は?」
「もう言わない!暫くそこで尻餅ついてれば!」
「あ、おいっ…」


 名前はそれだけ言うと物凄い速さでこの場から去って行った。この場に一人残された俺はというと、全く予想もしていなかった急展開に未だ追い付けず、ただ呆然と座り込んでいた。


「…よくわからないが、とりあえずはアイツを追い掛けないとな」


 漸く状況の整理がついて口から出た言葉は心なしか少しだけ弾んでいる気がした。俺が名前に会って言葉を告げたらどんな表情を浮かべるのだろうか。怒るだろうか、または驚くだろうか。…いや、きっと照れながらだけど嬉しそうに笑うに違いない。絶対口にしないが、そんな彼女の表情を想像して可愛いなんて思ったことは秘密だ。






きみ攻略マニュアル
(さてと、お姫様を迎えに行きますかな)




■あとがき
甘い雰囲気を出そうとしたのですが、見事に撃沈いたしました^^;
エセ犬飼君で申し訳ございませんorz

素敵な企画に参加させていただきありがとうございました!


◎奏季そら


戻る

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -