04

 三年程私が一人暮らしを続けた我が家に、一昨日から住人が一人増えました、おばあ様。

 両手を組んでそんなことを報告しながら墓石に想いを語りかけていると、さくさくと軽い足音が耳に届いて顔を上げる。振り返れば、かご一杯に野菜を摘んでいた新たな住人……ふるやれいさん、が、私の横に並んでそっと手を合わせてくれる。少しして目を開けた彼は、ここにおばあ様が? と綺麗な金の髪を揺らして首を傾げた。

「そうです。おばあ様のお墓」
「……ご両親、は」

 その言葉に思わず声を詰まらせた私を見て、れいさんはすぐさま、ごめん、と困ったように視線を落とす。

「言いにくいことならいいんだ、不躾に悪かった」
「いえ。その……」

 どう話すべきか、と言葉に悩む。

 目の前の彼は、異世界から来た迷い人だ。

 私がそう確信したのは、そもそも二日前の昼間、日課でもあるあの樹の様子を見に行った時、薄く発光しているのを確認していた為である。
 淡く光るその時、異世界から客人が招かれる。そう聞いていた私は慌てて周辺をぐるぐると探し回ったのだが、運悪く私とは少し離れた位置に呼ばれたらしいれいさんを見つけた時にはもう、魔物に襲われて血に塗れていたのである。あの時の驚きといったらなかった。だってこの三年、極力他人と関わらずに生きて来た私は、人があんな大怪我をした場面を見ることもほとんどなかったのである。

 この世界では見ない生地の衣服に、何の備えもない軽装備。この人だ、と確信した私が魔物の間に割って入って助けようとした筈が、ウォルフに気を取られ背後から襲ってきたぷにから逆に庇われるという大失態を曝してしまった。この辺りの魔物と戦うのは慣れていたというのに、人がいる、ということに緊張してしまったせいだろう。
 そもそもフラム……爆弾にも不慣れであったのか傷だらけの身体で私を庇っていたれいさんは、とても優しい人なのだろう。そう考えて覚悟を決めて家に招こうとして見ればれいさんは倒れて気を失い、大慌てで薬を使ったものの、血を失い過ぎたのか目を覚ますことはなく。自分の薬の効果を疑い後悔に泣きながら待ち続けてみれば一時間後に目を覚ましてくれたれいさんは、ひどく私を警戒しているようだった。当然だ。だけど、ずきりと痛んだ胸の奥を誤魔化し必死に説明してみれば、れいさんはなんとか我が家までやってきてくれた。

 ――お客様がもしいらしたら、困っているようなら、助けてあげてね。

 そう言っていたおばあ様の言葉を思い出して必死に説明してみれば、どうやられいさんは元の世界に帰りたい様子。そうではないかな、と様子を見ていて感じてはいたが、どこか落胆も感じ、それを押し隠して私は、正体を告げた。元の世界に戻るには、どうしたって錬金術士の存在が必要だ。きっと、消えてしまいたいと思うほど悲しいことがあったのは、事実なのだと思う。それでも何か決意した様子で戻りたいと口にしたれいさんに協力する為に、どきどきしながら自分がその手立てを持っているかもしれないと告げれば、れいさんは、初めは隠していたという本当の名前を教えてくれて、僅かに体の力を抜いてくれたようだった。

 どんなお仕事をしていれば名前を隠すことになるのか、私にはわからない。けれど、左腕も、わき腹も、とても魔物にやられた傷ではなかったことはわかっている。薬で治ってくれたけれど、もしかしたらとても危険なお仕事をしている人なのかもしれない。でもきっと、いい人。私に滾々と「男と同じベッドで寝てはいけない」なんて説きながら、申し訳なさそうにベッドの端に寄って眠るれいさんは、あまり深くは眠れていないようだけど、とても美味しい食事を用意して慎重に私との距離を測ってくれているようだった。

 祖母が亡くなってから止まっていた私の時が、動き出したような気がする。

 私は、おばあ様に聞いて知っている。異世界に、もう一度渡る、その方法を。あとはその作り方を記した書物さえ見つけられれば。そう思ったというのに……それは、そう簡単な問題ではなかった。

 おばあ様がそれに関して記した本は……レシピは、暗号として残されていたのである。

 異世界に渡るなど、そう何度もあっていいことではない。慎重に、それでも誰かの為にと残したおばあ様は、腕のいい錬金術士でなければ手を出せぬよう、何重にも鍵をかけたような状態でそのレシピを残したようだ。


「さて、行こうか」

 切り替えるように立ち上がるれいさんのズボンの裾を、慌てて引く。そうだ、質問、されていたのだった。

「えっと、両親は」
「……無理してない?」
「していません。どう説明すればいいのか悩んだだけで、その」
「……それなら、朝食を食べてから話そうか。ずっと解読ばかりしていては疲れてしまうしね」

 にこり、と笑ったれいさんは、やさいが並んだかごを片手に抱えなおすと、私にその大きな手を差し出した。少し悩んでそっと手を重ねれば、優しく引き上げてくれる力強い手。微笑むその笑みに緊張しながらも、私は立ち上がってゆっくりと一歩を踏み出したのだった。




「両親は、ここから見て異世界にいました。なので、この世界にお墓は……ないんです」

 私の答えに、れいさんは驚いた様子で目を瞬いていた。
 異世界。そう、両親は、……いや、父は、元は別の世界の人間だ。いや、もっと言うならば、祖母がそもそもその異世界の人間なのだ。
 支離滅裂にそう語る私に、れいさんは、ゆっくりと順序だてて、質問してくれる。
 もとより話すのはあまり得意ではない。あまり、人と関わってこなかった弊害だ。私にとって、人は怖いもの。この世界では優しい人たちにも出会ったが、警戒心が抜けることはなく結局こうして森の奥に一人で住んでいる為、あまり話す機会もない。

「祖母は、もともと異世界の人間……錬金術が発達した……発展しすぎた、他の世界に住んでいたんです。錬金術は、才能だと言われています。才能がない人間が釜を覗き込んでも何も見えないし作れないと言われていて、使えるのは一握り。祖母は……その世界から、逃げだしたのだと言っていました」
「あの『世界を越えて命を運ぶ樹』の助けによって、ということか」
「そうです。そうしてこの地に住みついた祖母は、ある時発光した樹の側で、黒髪の男性を見つけて助けたそうです。その男性もまた異世界から招かれた人だったそうですが、祖母のいた世界とは違う世界だったと聞いています。それでも同じ境遇と言うことで手を取り合って生活していた男性と、祖母は結婚しました。やがて二人の間に生まれたのが、私の母です」
「なるほど、あなたのその美しい黒髪は、お祖父様譲りでしたか」
「……そうですね。母は、祖母と同じ薄茶の髪だったのですが」

 そう話したところで表情が歪んでしまう。れいさんは気づいて、少しばかり困ったように表情をこわばらせたようだった。いけない、気を遣わせてしまう。

「……祖父母と母は、初めはこの地で幸せに過ごしていたそうです。ただ、母が幼い頃……大きな怪我を負ってしまったそうです。錬金術士としてかなりの力を持った祖母でも、この世界に持ち込んだ道具は少ない。その当時では治せないような、大きな怪我だったと聞いています。このままでは娘が、……そう考えた祖母は、自身の生まれ育った世界であれば治す手があると、気づいた」
「……まさか」
「……はい。祖母は、世界を渡る道具を作り出しました。それが、きっとれいさんが必要な道具になるんだと思います。小さい頃、私も見たことがあるんです。懐中時計みたいな形をしていたと思います」
「……そう、か。それで、ご家族でお祖母様の元の世界に?」
「そうみたいです。そこで、しばらくはその世界で過ごしたみたいです。理由はよくわかりませんが、隠れ住んでいるうちに母も伴侶を見つけたみたいで、少なくとも私が七歳になるまでは、あの世界にいました」
「ホォー……なるほど。では、お父様はその発展しすぎた世界の御出身ですか」

 はい、と頷く。れいさんは、深くは尋ねてこない。だというのにある程度は見通しているかのような真っ直ぐな視線に、自然と背筋が伸びるようだった。

「つまり、あなた方がここに住んでいるのは……あなたとお祖母様だけが再び、その道具を使ってこの世界に逃れた為?」

 ああやはり、気づかれた。とても、頭の回転が速い人なのかもしれない。これほど荒唐無稽とも言える話であったのに、すぐにお墓にいるのが祖母だけだと気づいたれいさんは答えを導きだしたのだろう。

「きっかけは、私だったんだと思います。あの世界では、私のこの真っ黒な髪は珍しかった。それだけじゃない、私はずっと、あの世界に居場所を見つけられなかった。私にとってあの世界は、違和感だらけの世界だったんです」
「違和感だらけ?」
「はい。私が知ってる文字と違う。文化が違う。私だけ、髪の色が違う。……その時祖父はもう白髪でしたから、同じだと言われてもわからなかった。ただ、そう訴える私は、教わっていない祖父の綴る祖父の世界の文字が、なぜか読めました。私はこっちがいい、と言った私に、祖父は、『私のいた世界に繋がりがあるのかもしれないね』と悲し気に笑っていました」
「……それは不思議な話だね。幼い頃の話だとすれば、もしかしたらいわゆる前世だとか、そういったものが関係しているのか……こうして転移がありえた時点で転生を否定する要素もない、か」
「わかりません。前世と言われても、生きた記憶とかはないんです。……そうして違和感を抱えて生きて来た私はある日、祖父の世界の言葉で綴った錬金術のレシピを……祖母が暗号代わりに書き記したそれを見て、つい、見様見真似というか……作って、しまって」
「才能が、あった、と」
「はい。作ったのは中和剤だったんですが、かなり特殊な、稀少なものだったんです。それを見た祖母は焦ったのだと思います。あの世界では、錬金術が戦争にまで使われ、自然は破壊されつくし、最早素材すら手に入りにくい程、荒廃し始めていた。きっと、終わりが近かったのだと思います。祖母は再び懐中時計を作り始めていましたし、祖父も、両親も、荷物を纏めていたと思います。……そんな中で私は、少ない材料で稀少な調合品を作り出してしまった。誰かに知られたら、確実に家族とはいられなかったんです。その頃には才能ある錬金術士は、もう、人として見られていなかった筈だから」

 そこまで話して、私は声を詰まらせた。

 そう、家族は、逃げる準備をしていた。ゆっくりと滅びに向かう世界から、まだ幼い私を守る為に離れようとしていたのだと思う。
 だが、そこで問題になったのは、私のこの黒髪だった。
 荒れる世界に、人々の不安から生まれる疑心暗鬼は矛先を異質なものへと向けた。私の黒髪を悪魔のようだと告げた近くの村の人たちが、悪魔討伐と称して離れた地に住んでいた我が家を、大勢を引き連れて襲撃にきたのだ。

 祖母は、錬金術は困った人の為にあると言った。
 だが、あの世界ではもう、そんなことを語る人はいなかったのだと思う。

 祖父も、父も、母も、この世界にはたどり着けなかった。

 口には出せず視線を伏せてしまったところで、ふわり、と頭に柔らかく熱が触れる。そろりと視線を上げれば、大きな手が頭に乗っているのだとわかる。ゆるりと撫でられて、申し訳なくなった。きっとこの優しい人は、これ以上私に、聞かないのだろう。


「無理に話させてしまったかな」
「いいえ」
「……僕は君の黒髪を美しいと思うよ。僕のいた国では、この金のほうが珍しかったんだ」
「……そう、なんですね。とってもきれいなのに」

 ふわり、ふわりと頭が優しく大きな手に撫でられる。祖父の手を思い出した、と言ったら、この優しい人は怒るだろうか。
 口を閉ざしたままの私にれいさんは何も言うことなく、しばらくの間、躊躇うことなく黒髪に触れていたれいさんは、やっぱりとてもいい人だった。

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