01

 どうして、と嘆いてしまった。

 友人たちを失い、ただ一人残されてしまったと知ったその日。決して正義とは言いきれぬ任務の為、命の奪い合いをして、そして。

「なんでお前まで」

 ぼろぼろになりながらも生き残った己の手の内にある銃を握りしめ、安室透は……降谷零は、亡くなった友人たちの名を心のうちで呟き、つい先程己と命の奪い合いをした男の下に赤い血溜まりが広がるのを見つめながら、嘆いた。

 あの日輝かしい太陽の下で正義の為の一歩を踏み出しながらも笑い合った友人たちは、もう誰一人として残っていない。
 己の手もこうして血に汚れ、立ち向かう巨悪はどこまでも深く、ずぶずぶと足元から呑まれていくようで。

 どうして、僕をひとりにするんだよ。


 その瞬間、とぷりと男は、闇に呑まれたのだ。




「なんだ、これは……」
 降谷は目の前に広がる自然を前に、呆然と立ち尽くしていた。
 左腕と脇腹からはとめどなく血が流れ続け、痛みと冷や汗は制御できるものでもなく、それだけでもかなり状況はまずい。
 だというのに、嘆いてしまったあの一瞬で、何故か降谷の視界に映るのは薄暗い廃墟の一室ではなく、大自然へと様変わりしていた。ありえない。
 まさか気絶したのかとも考えたが、意識が途切れた記憶はない。降谷の体勢も何もかもがそのままだというのに、周囲はごっそりと入れ替えたように変わり果てている。それだけではない。いくら大自然と言えどもそれは降谷の知る自然とは大きくかけ離れていたのだから、笑えない違和感が激しく脳内を揺さぶるようだった。

 見たこともない葉を持つ樹木がそこかしこに生え、時折泡を吐き出す淡い色の人の頭部ほどの花弁を持つ花が咲いている。きらきらと輝く鉱石の見え隠れする大岩は光の粉を散りばめているかのように見え、まるで物語の世界にでも迷い込んでしまったかのような光景に、降谷は眩暈を覚えて歯を食いしばる。何だ、何が起きている。一歩踏み出してみればその足裏から確かな草と土の感触が伝わり、風は肌を撫で、呆然とする降谷の視線の先にぽたりと落ちた彼の血が土に吸い込まれていくのが見える。ぐらり、と脳が揺れた気がして、くそ、と降谷は吐き捨てた。

 そもそもつい先ほどまで月も見えぬ深夜であったというのに、なぜあんなにも高い位置に太陽があるのか。
 降谷は友人の訃報を聞いたその足で、どうしても外せぬ潜入先の組織の任務に出た筈であった。ここ一年程組織と取引があったある人物が不穏な動きを見せているという噂を聞き、取引ついでに探りを入れる為の接触。決して殺し合いを予定していたわけではないが、あちらはそうではなかったらしい。出会い頭に犯罪自慢を始めた取引相手は、突如降谷……いや、バーボンに向けて発砲し、無力化で済ませようという考えを嘲笑うかのように猛攻撃を仕掛けてきたのだ。これで己が死ぬならばそれでもよし、そうでないのなら輝かしい未来が約束されていると口ずさむその様は異様であり、狂ってしまっているとわかるその表情に降谷は覚悟を決めたのだ。やらねば、疑われるのは己である。
 それが、初めてではなかった。
 だが奪ってしまったその瞬間、降谷の両肩にずしりと重しが載せられたかのような錯覚を感じたのは、生きていて欲しいと願っていた友人たちの命が全て散ってしまったことを知ったばかりであったからか。
 はやくこの場から去らなければという理性に、この黒く染まってしまった体ごと消えてしまいたいという感情が僅かでも滲んでしまったせいか。

「どこだ、ここは」

 掠れるようなその問いに答えたのは――


「グルルル」

 一匹の、狼であった。


「なっ!?」

 慌てて銃を構えるが、思った以上に素早いそれは次の瞬間降谷の目前に迫っていた。咄嗟に体を捻ることができたのは僥倖だったのかもしれないが、鋭い痛みが右腕から全身に伝わる。夢じゃ、ない。
 見れば、肘より下の一部の肉が牙に持っていかれたのか抉れるように削り取られ、ぼとりとその瞬間銃が地面へと落ちる。先に傷を負っていたせいで左腕の感覚もなく、降谷は武器を失ったことを瞬時に悟って弾けるように走り出した。脇腹の痛みなど構っている余裕はない。
 唸り声が聞こえる。
 そもそも、見た目は狼に近いように見えたがその体は大きく、首回りにまるで鬣のように膨らんだ毛はゆらりと逆立ち、降谷の知る狼とはどこか違う気がして、ぶわりと冷や汗が溢れる。なんだあれは。なんだあれは、あれは、――

「ぐっ」

 突如目の前に現れた艶やかな楕円に、降谷は呻きながら足を止める。
 鮮やかな青。大きな目、にこりと笑っているかのような口。しかし腕も足も、いや体がそもそもないそのふるりと震えるものは、先ほどの狼以上に降谷を混乱の淵に叩き落した。
 知らぬわけではない。似ているものなら知っている。いっそ可愛らしくも感じる見た目をしているが、それが生きて動いているなど到底信じられるわけもないそれは……まるで、ゲームに出てくる、スライムのようで。

「なんだ、ここは!」

 死。
 背後から聞こえる唸り声と、ぷるぷると震えるその得体の知れない化け物を前に、降谷は感じた命の終わりに震えながらも、つい、救いを見出してしまった。
 友人たちの、もとに。


 僕はもう、ひとりになってしまったのだから。



「えっ、あ! だ、大丈夫ですか!?」

 迎えであるかのように感じた降谷がその目を閉じかけたその時、突如聞こえた高い声。はっとした降谷とスライムの間に割り込んだのは、美しい長い黒髪。

「嘘、何? ああもう、ええい!」

 黒髪の、日本語を話す少女であった。

 驚く降谷の前で、降谷より頭一つ分は小さな黒髪の少女は、手にした美しい装飾の棒……いや杖らしきものを振り下ろし、襲いかかって来たスライムを潰す。ぽよん、と跳ね返ったようだが、スライムは驚いたのか慌てたようにころころと転がっていき、距離が離れたところで少女はくるりと振り返った。

「大丈夫ですか!?」
「え、あ」
「大丈夫じゃないですね! うわ、ウォルフもいる! ちょっと待ってください、ええと」
 言うなりごそごそと鞄に手を入れていた少女は、その鞄から棒状の何かを……いや、どう見てもそのフォルムは。

「なっ、何してるんだ!?」
「その魔物倒しちゃいますから、よい、っしょ!」

 降谷が止める間もなく、赤い色をした筒状の……恐らく爆弾が放られる。その先に先ほどの狼はいるが、この距離では爆風が、と咄嗟に降谷がほとんど動かぬ手を少女に回し庇うように抱きしめたところで、ぼん、と大きな爆発音に、キャウンと高い声が重なる。降谷が思っていた程ではないが感じる熱気から少女を守ろうと背をそちらに向けた時、狙っていたかのように先ほどのスライムがぽよんとその体でとびかかろうとしていたのが見えて、降谷は思い切り足を振り抜いた。

「ひゃっ!?」

 この細腕の少女の杖の打撃にすら驚いていたのだからと振り上げた足は見事スライムを蹴り飛ばし、ぽしゅんと音を立てて何かを落としてそのスライムは消え去った。……消えるってなんだ、という突っ込みはもうできず、ずるりと降谷の身体から力が抜ける。

 くそ、と呟きながら少女を庇ったまま後ろに目をやった降谷は、先ほど狼がいたであろう場所に毛皮らしきものだけが落ちているのを見て、今度こそ膝をつく。

「ああああっ、ど、どうしよう! 薬、薬!」

 そこで救急車じゃないんだな、という突っ込みも残念ながら言葉にはならなかった。血を流し過ぎたのだ、ということはわかる。少女が慌てたように鞄から塗り薬のような小瓶を出すのをぼやけた視界で見ながら、降谷の意識はそこでふつりと途切れたのだった。

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