14


「だから、この世界に慣れないうちに冬の山越えなんて危険です!」
「君は僕が昨日話したことを忘れたのか! 危険だからこそ一人で行かせたくはないし、守られるだけでいるつもりはないんだ! この家にいれば安全? それはそうだろう、だから君もここにいるべきで、どうしても出るというのなら僕も行くと言っているんだ!」
「でもっ」

 零さんといろいろ話し合った、翌日。私たちは、見事に相談からの言い合いが喧嘩と呼ばれるものに発展していた。

 そもそも問題となったのは、冬期の準備についてである。
 この辺りの冬期と呼ばれる寒さの厳しい期間は、約二か月続く。その間は当然のようにこの辺りにも雪が降り積もり、植物系の素材は殆ど採取できないし、おばあ様の用意してくれた畑は道具を使えばなんとかなるけれど、出かけるには面白みのない季節。それが私にとっての例年の冬だが、今年は違う。
 二人分の準備が必要だからとかそういった問題ではない。そもそも、その冬期の二ヵ月を例年通り引きこもって過ごすのは無駄過ぎるのだ。二ヵ月もあれば、たくさんの素材が手に入る。たくさん調合できる。少しでも賢者の石に手が届く状況を捨てて、ただ引きこもってなんていられない。賢者の石はただ素材があればいいというわけじゃない。今の私では、圧倒的に技術力が足りないのだ。

 二ヵ月間は家にいるべきだと主張する零さんと、零さんには家にいてもらって森の奥の山にいる魔物から素材を取りたい私。
 どうしても行きたいのであれば連れて行ってくれと主張する零さんと、慣れぬ環境での魔物討伐は危険だから待っていて欲しい私。

 急ぐ私と、焦らなくていいと言う零さん。いつになく冷静さを欠いた零さんにも驚いたが、それこそ焦っている私の物言いのせいで喧嘩に発展するまで時間はかからなかったといっていい。


「そんなに焦らなくていい。冬の雪山なんて何かあったらどうするんだ。それとも、冬期でないとその魔物が出ないのか?」
「……いえ。そういった魔物もいるにはいますが、今回はそういうものじゃない。そうじゃなくて……」

 どうして、焦らないの。こうしている間にも零さんは元の世界で行方不明になっているかもしれないのに。零さんのことを探している人がいるかもしれないのに。
 そこまで考えて、ちくちくと胸の奥が痛みだす。零さんは、元の世界に帰らないといけない。零さんはすごい。きっと、元の世界でもとても頼られる素敵な人だ。……はやく戻してあげないと。その後私がまた一人になることなんて悔やまないでいられるうちに。そうじゃないと、私は錬金術士としての誇りを抱いたまま零さんを助けてあげられない。

 新婚さんだとか、仲良しだとか。

 特に装ったつもりもなく、私と零さんのやりとりがそう見られていたなんて知って、意識してしまった。零さんと一緒にいるのは楽しいと、認識してしまった。眠っているその姿で初めて素顔を見た気がして、近い距離に気づいてしまった。たくさん話す中で、肩を並べたいなんて言われて、嬉しく思ってしまった。またひとりぼっちに戻ることが辛くなるかもしれないなんて、気づきたくなかったのに。
 零さんを無事に元の世界に帰してあげることが、錬金術士である私への依頼だったのに。

 胸の奥がぐちゃぐちゃして、言葉が詰まる。零さんが私の目の前にいて、言葉を途切れさせてしまった私の様子を伺っているのがわかる。何を言えば誤魔化せるのかがわからない。零さんがとても察しがよくて、洞察力に優れていることなんて、見ていればわかる。絶対敵わないのだ。ならこの気持ちを知られないようにするにはどうしたらいいのだろう。私だって、よくわかっていないのに。

「ナマエさん」

 呼ばれて、声がかすれて出なくて、情けなさに歯を噛みしめる。早く帰してあげたい。そう考えるのは、そんなに悪いことだろうか。

「教えて。どうしてそんなに急いでるんだ。僕は焦らなくてもいい――」
「なんでですか! なんで焦らないの、零さん、元の世界で行方不明になってるかもしれないのに!」

 半ば叫ぶように言葉を遮って言えば、零さんは僅かに目を見開いて、ああ、と小さく零す。

「僕の為か。……そうだよな、君はそういう子だった」
「子どもじゃないです!」
「わかってる! そうじゃない、そうじゃなくて。一緒にいたく、ないのかと」

 ……へ、と溢れそうになった疑問を、なんとか飲み込む。いや、一緒にいたら離れがたくなりそうだ、とは思ったけれど。

「……い、いつになく自信なさそうにしないでください」
「悪かったな普段自信過剰で」
「そこまで言ってません!」
「そう見えると知っているだけだ。結果は残すつもりだし、そうありたいと努力もしてきた。……それが信じられないから、置いて行こうとしているのか、と。……俺はこの世界で無力すぎる」

 項垂れるように呟く零さんが珍しく動揺した様子を見せ『俺』と自分を指したことに戸惑い、そろりとその顔を見あげる。無力なんてことはない筈だ。実際零さんは私の作った武器を使いこなし、恐らくこの森のこの辺りに住みついた魔物相手に負けることはないだろう。順応性があるのか留守番を任せても大丈夫だろうと思う程度に生活力もあり、ものすごい速さで文字を覚えている為に今では図鑑を確認しての採取の手伝いまでできるのだ。決して無力なんて言葉が似合う人ではない。それなのにどうしてこんな、……と、そこまで考えて、息を飲む。

 私は零さんをすごい人だからと言って、本人の希望も無視して一人残そうとしていたのだ。彼の為だと言って、一人この世界にやってきてしまった彼を。


「……私、零さんをひとりぼっちにさせるところ、でした?」
「……そう、なるのかもな」
「ご、ごめんなさい。あの、でも。急がないと、零さんは元の世界で、行方不明なんですよね。心配してる人、いると思うんです」
「……どうだろうな。そうかもしれないが、……ああ、なるほどな」

 何かに納得するように頷いていた零さんは顎に手を当てしばらく考える素振りを見せた後、お茶を用意するから座っていてくれ、と私に椅子を勧める。なんだろう、と思いつつもまず散らかしていた本を纏めていればお茶を入れ終わったようで、私と零さんはいつものようにテーブルを挟み向かい合って椅子に腰を下ろした。
 零さんの手には一冊の本があって、それがおじい様の手記であることに気づいて首を傾げれば、一口お茶を飲んだ零さんは静かにその本を私たちの間に置いた。

「君はこの手記を読んでいない、と言っていたな」
「はい」
「……僕もまだ全てわかったわけではないが、恐らく、君の祖父と祖母は、共に『日本』に行ったことがある筈だ」
「……えっ?」

 初めて聞く情報に訳が分からず首を傾げる。おじい様はともかく、おばあ様が、おじい様の故郷に?

「始めに違和感を持ったのは、味噌と醤油があることだ。あれはこの世界にはない調味料だが、おじい様を想っておばあ様が錬金術で作った……と言っていただろう?」
「そうです。故郷に戻りたいわけじゃないけどどうしても食べ物は恋しくなるみたいでね、っておばあ様は言ってましたけど……」
「そもそも味噌も醤油も、聞いたイメージで作り出せるようなものじゃないんだ。作り方を聞いたのかもしれないが、この世界で材料を揃えるのも難しそうだからね。そもそも大豆や米と言った作物はこの世界にはないだろう? 今ある醤油と味噌も、他の素材を錬金術でそれらしく近づけたもののようだし」
 言われて、おばあ様レシピの『ミソ』と『ショーユ』を思い出し、頷く。頭の中の『記憶』では確かに大豆も米も思い浮かぶのに、そんなものを使って作る調合品ではないのだ。どちらもこの世界にある素材を使ったもので作り上げている。
「となれば、君のおばあ様は実物を知ったのではないか、と考えたんだ。そこで手記に何か書いていないかとくずし字のこれを読み解いていって見たんだけど、明確な言葉は今のところ出ていない。ただ、おじい様はこう記している。『米を持ち帰ることができなかったことが悔やまれる』、と。……君のおばあ様は、味噌や醤油を作り出したけれど米は作ることができなかったんじゃないかな」
「……そういえば、おばあ様が最後まで研究していたのは種でした。おじい様がどうしても欲しかったものを結局作ってあげられなかったのよ、と言ってたんですけど、私には教えてもらえなくて」
「米のことだろうね、恐らく。……思い出すと食べたくなるな、クソ、せっかく我慢してたのに」
「零さんも食べたいんですね……米、記憶にはあるけど、味はわからないな……」
 うーん、と唸っていると、話が逸れた、と零さんがまた一口お茶を飲んで、深く息を吐く。
「とにかくだ。僕はそこで一つ疑問を持ったんだ。もしそうであれば、おじい様はいつ戻ったのだろう、と。……君は、君のおじい様が、君の『記憶』よりかなり前の時代を生きた人だということには気づいていたかい」
「……だから、手記の文字が読めなかった?」
 知らなかった。だが、納得はした。おじい様が普段書いていると思われる文字は私には読めなくて、私はそれを昔の字だと認識していた。私が真似た字を見ておじい様は私が読める字に書きなおしてくれてはいたけれど、手記はそのままだった。おじい様が慣れ親しんだのはあちらなのだ。
 こくりと頷いた零さんは、年代があわないんだ、と続ける。
「君のおじい様が生きた時代と、君の記憶にある時代。そして、君の年齢や僕の年齢から推測しても、どう考えても合わない。……君の祖父がいた時代は僕にとってもかなり昔で、君の年齢の孫がいるというのはかなり苦しい。そして君の『記憶』は僕の生きている時代とほぼ変わらない。そこからこの世界に生まれなおしても、今度は君の年齢が合わない」
「えっと……?」
 話す内容のどこに注目すればいいのかわからず首を傾げる。すると、零さんは一度目を伏せ、再び今度はゆっくりと口を開いた。

「もう一つ気になったのが、世界を渡る道具を君が『懐中時計のよう』だと言ったことだ。……恐らくこの世界と僕のいた世界は、時の流れの概念が違う。より正確にいうなら、世界と世界の間に同じ時が流れていないのだと考えている。今はまだ手記を読み解いている途中だが、世界を渡る道具は行く先の『時間』を指定できるのではないかと考えているんだ。手記にも似たような記述があったからね。どうやら君のおじい様は、こちらに来て何年も経ったあと、自分が転移したあとのことを覗き見に行ったみたいだから。あとは未来を見に行って、そこに移り住むのは『戸籍』の関係で難しそうだと結論付けている」
「え、……えっ?」

 おじい様の手記にそんな大切なことが書いてあったのか。
 恐る恐る私たちの間にあるその手記に手を伸ばし開いてみるが、やはり、私にはさっぱり読めそうにない。辛うじてところどころひらがなっぽいものが見えるかな、といった具合だ。

 零さんは戸惑う私が落ち着くまで、しばらく待ってくれていた。そうして私がなんとか飲み込んで顔を上げると、じっと強い視線が見つめ返してくる。

「……つまり零さんは、私が道具を完成させるのが例え二年後三年後だとしても、転移直後に帰れる?」
「その可能性が非常に高い……というのは、錬金術の原理もわからず根拠を示せない今はっきり確信があるわけじゃないが」
「……ちょっと、待って。それが本当なら……」

 零さんを残し席を立った私は、ここ数日調べていた異世界転移の道具の材料について纏めたものをずらりと並べていく。懐中時計の道具を作るのに必要なもの自体は少ないが、それが賢者の石だったり他にも高難易度の道具だったりと、実質作るまでに何工程もあるせいで使う素材は膨大だ。そしてその組み合わせ、効果などを予想し、ああ、と気づく。

「……確かに時間は指定できそう……? 確信はないんですけど、明らかにそうじゃないと使わない道具が入ってる気が。でも待って、これだと何か制限がかかるような……」
「ただし過去には戻れない、といったところだろうね」
「え?」
「過去には過去の僕がいる。僕があの世界から消えた直後に帰還するのが一番問題がない、ということだ」

 そう話す零さんと、視線が合わない。後悔していることがあるのだと、もしかしたらそれをなんとかすることができたかもしれない『指定した時間に戻れる道具』の存在をほのめかされても使えないだろう現実にぶつけたい何かがあるのだと言わんばかりに震える拳を見て、気付いてしまった。零さんにとって『転移した瞬間に戻れる』というのは朗報ではなくて、そう思えないからこそ『ここに転移してきた』のだと。……そうだ。あの樹は、そういう人を連れてくるのだった。……どうして私は、勝手にひとりで行こうとしたのだろう。

「おじい様の手記には、他にどんなことが?」
「大体は日常が多い。日記の中にそういった元の世界に戻った話が少し出ていただけだよ」
「……でも零さん、このまま私が作るのに五年や十年かかったら、困るでしょう。このレシピでは、使用者の年齢を戻すことはできないです」
「仕方ない、と言えるかどうかはわからないが、君に無理をさせてまで早期に戻ることを望んでるわけではないな。ただでさえ君は没頭すると寝ないし食事も忘れるだろう。それが元からだというのはさすがに一緒に暮らしていてわかったけど、それでも今無理してまで採取に行こうとしているのが僕のせいだというのもわかったからね」
「でも」
「――焦りこそ最大のトラップ。僕の友人の言葉だけど……それこそ五年も十年もかかるのなら、今たった二ヵ月を焦る必要はないんじゃないか」
「……零さんが、困るのに」

 だって私が、零さんを帰したくなくなったらどうするの。

 ……それこそ、二ヵ月なんてなんの意味もない期間なのかもしれないけれど。
 今困ったように笑って私の頭を撫でて落ち着かせようとするその大きくて暖かい手は、それ程暴力的なまでに私を乱すのだ。
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