12

 ふと瞼をうっすらと刺激する光に気づいて瞼を押し上げる。朝かな、なんてぼんやりする視界で考えていると、次第に鮮明になるその光景の中に、きらきらと朝日を浴びて輝く煌めきに目を奪われた。

 零さんだ。

 まだ少し微睡みを感じる中、珍しい、とその煌めきを見つめる。
 珍しく、零さんが私より先に起きていない。
 珍しく、零さんが顔を見せて眠っている。

 初めて見る寝顔が何となくとても貴重なもののような気がして、ぼんやりと見つめ続ける。零さんは例え私が夜中に目を覚ましても、頑なにベッドの端に体を横たえ、こちらに背を向けていることが多かった。おかげでおばあ様と私の二人で使っていたこのダブルベッドは、零さんが来る前と変わらず私が狭いなんて感じたことはなくて、そして零さんの寝顔を見るのも初めてだ。いつもは私が目を覚ます頃にはもう、この部屋にいないから。

 そういえば零さんは昨日何か悩んでいるようだった。そのことで、あまり眠れなかったりしたのだろうか。私に何か、できるだろうか。

「僕もそろそろ、現実と向き合わないとな」

 村からの帰宅後、そう小さく呟いていた零さんはその後何か深く考え込んでいるようだった。私と接するときは殆ど変わりはなかったものの、私が調合に入るといつも読んでいるおじい様の手記のページを捲る速さも遅くて。てっきり村で聞いた冬期についての話を聞かれるのかなと思っていたのにそんな雰囲気でもなくて、結局私は零さんに促されるままにいつも通りの時間に布団に入ったけれど、零さんは朝ご飯の仕込みを済ませてから、なんて言って、私が眠るまでに部屋には戻ってこなかったのだと思う。
 ああでも、ちゃんとこの部屋で寝てくれていたんだな、なんて考えたその瞬間、どくんと心臓の音が耳元で響いて、じわりと身体が熱くなったことに困惑する。

 あ、あれ? 今更じゃない?

 慌てて乱れそうな呼吸を整えて息を潜めると、ふと、視界の先で零さんの瞼がふるりと震え、ゆっくりとそれが開いて空色の瞳が覗く。私と違って寝起きがいいのか、ぱちりと一度瞬いた後、零さんは小さく「あ」と呟いた。

「……おはよう、ナマエさん。ごめん、寝坊、」
 慌てたように起き上がった零さんにつられるように慌てて体を起こして、首を振る。別にそんなことはない、と時計を見れば、零さんはふらふらと視線を泳がせた後、いや、と小さく呟く。

「寝起きに男がいたら、驚くかと思って」

 少しだけ、訂正だ。寝起きがいい、と思ったけれど、少しいつもよりゆっくりとした話し方と、どこか混乱した様子から、いつも通りではないのかもしれない。
 というか、寝起きに男が、とか。むしろそんなことを指摘されるほうが恥ずかしい気がして、ぶわりと頬が熱くなる。ふと視線を私に向けた零さんがつられたかのように僅かに表情を変え、その目元が僅かに染まっている気がして、よく見えてしまう朝日が憎いと慌てて顔を伏せた。

「今更何言い出すんです……?」
「いや、その、悪かった」
「そんなの気にせず、ちゃんと普段からしっかり寝てください」
「……そんなの気にしません、とは言われなくてよかったよ」

 ふは、と笑う零さんの笑顔を思わず凝視していると、すっかり混乱が解けたのかさっさと立ち上がった零さんが、朝ご飯の支度をしてくるよ、と部屋を出ていくのを呆然と見送って……その足音が脱衣所兼洗面所に、そして階下に向かった辺りで、はっとして私もベッドから抜け出したのだった。



「質問したいことがいくつかあるんだ、時間をくれないか」

 今日の予定は、と朝食が終わる頃切り出した零さんにいつも通りの日程を告げればそんなことを言われて、思わず即頷く。何も考えていないわけじゃなくて、零さんの質問が最優先だという意味で。
 一応今日は冬期の話が出たこともあって、午前中に必要なものを調べ、午後採取にでるつもりではあった。調べものと、採取や調合。特に普段と変わらない日程で今日でなければならないものもなく、私が普段本にかじりついているのはあくまで零さんを少しでも早く元の世界に戻す為だ。そこまで思い至って胸に奥に鈍い痛みを感じた気がしたが、私の意識は「実は」と話し出す零さんのほうにすぐ向いて、こくりと喉を鳴らして次の言葉を待つ。

「ここが現実だと思わなかったわけじゃない。だがどこか現実離れした環境で、どこまで踏み込んでいいのか、わからなかった」
「どこまで踏み込むか……ですか」
「君が非現実的な存在だと思っていたわけじゃない。魔物もいて、目で、耳で、肌で、この世界は自分の世界と違うということは感じていたんだ。……ただ、深く知っていいのかわからなかったんだ。僕が僕でないものになる気がした」
 そこまで聞いて、こくりと頷く。
 同じだと言い切るのも失礼な感じがするが、なんとなくわかる気がした。私が、前の世界で自分が浮いた人間であると思っていたような、あの感覚に近いなもしれない。知るのがとても恐ろしいのだ。きっと、知りたくないと思うのはある種の防衛本能なのだろう。

「あまりにも常識が違い過ぎて……だというのに君は、『日本』について知っていて、好む食事も文字も、箸の使い方まで同じだった。錬金術のことに関して以外は常識的なことで話が合わないわけじゃないから、正直そこまでの実感がわいてなかったのかもしれない。ただ、昨日村に行って……ああ、ここは異世界なんだなと」
「……そうですか、そうですよね」
「人に平気で矢を射ることも、それを一般の人が見逃してくれと話すことも、警察や救急車のような存在がないことも……衣服も、建造物も、食材だって知らないものがたくさんあった。もっと早く村を見ていたら、受け止めきれなかったかもしれない。だが、違うと知ってしまった以上、知りたい。生きる為にも、だから」
 零さんがそう思うのならば、それが最善だ。頷いて見せればほっと肩の力を抜いた零さんだが、まぁここでの生活にはなんだかんだで驚きながらも馴染んでいたのだ。見たことない魚や植物への質問は普通にあった。だからきっと、知りたいのはこの世界の、そこで暮らす人々の『普通』についてなのだろう。
 私が普通でない自覚はあるのだ。

「……村には、警察のような存在はいないのか」
 悩むようにそこまで口にして、零さんははっとしたように、縋るような視線を私に向ける。「警察という言葉は、わかるのか」と。

「わかります。といっても概念というか……詳しく知らないのに知ってる記臆のひとつというか……だから、確かに村では通用しないと思いますよ。それに近い存在は、村では『守り手』と呼んでいるようです。魔物や野生の獣たちに襲われた場合の対処から、人間同士の諍いの仲裁、困っている人の手助けまで、力ない人たちを守るために間に入る存在です」
「守り、手」
「はい。ただし、例えば悪人が捕まった後だとかは……ええと、裁判所? のようなものはなくて。小さな村だと大体、村長を中心に村の有力者たちが集まって処分を決めているようです。結構曖昧かもしれません。大きな街や都であれば、兵士たちがたぶん警察って呼ばれる存在に近いと思うんですけど……」
「そう、か」
 少し考える様子を見せた後、零さんは初日のあの日のように、次々質問を繰り返す。今にして思えば、きっとここ数日ほとんどこの世界の人々の暮らしについての質問がされなかったのが不自然であったのだ、とわかるほどに、零さんはあれこれ疑問に思っていることを口にした。王政なのか、兵士とはどのような存在か、村から隣町とやらまでの距離に、冒険者の存在への疑問……他にも、私の作るあの薬は普通なのかどうか、手の届かぬような秘薬には該当しないのか、他、質問に答える過程で新たに湧いた疑問にも、答えられるだけ答えていく。
 といっても私も祖母に聞いた程度で、王都での暮らしはあまり詳しくはない。税金はと言われても答えられないし、政治についてならば尚更だ。だんだん申し訳なくなってきたところで、すまない、と零さんはお茶を淹れに立ち上がる。いえいえこちらこそ不勉強で申し訳ない。

「それにしても、あの薬は珍しいわけじゃないのか」
「うーん、薬師の腕の良し悪しで差は出るでしょうけど、例えば王都から欲しがる人が来るようなことはない範囲ですよ。普通はポーションみたいなものが主流で、高価なものだと私の薬より効果は高いものもあるみたいですから。ただし、」
「あくまで『審判の天秤』が許可した君の薬の話、か」
「……そうですね。さすがに、流通させたら私の命な狙われそうなものは存在を仄めかしたりもしていないので」
「今後もその方針でいいと思う」
 苦い顔をした零さんが、私の前にもお茶を置く。ふわりといい香りがして表情がゆるむと同時に体の力が抜けて、ああ私も少し緊張していたのかも、なんて考える。零さんが話を聞いてもパニックになったりしなくてよかった。
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