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 村はあまり大きくはない。家も百軒あるかないかではないかと思う。
 零さん曰く見慣れない建築だという、私にとっては見慣れた民家の間を抜け、目指すのは私がいつも薬を卸している小さな診療所だ。この時間は各々仕事に精を出しているせいか人通りは多くはなく、どこか遠くで子どもたちの遊ぶ声が聞こえる中、時折日向ぼっこをしている御年輩の村人さんたちに挨拶をして、いつも通り足早に進む。

 村に一つしかない唯一の医療機関である、小さな診療所。そこに、おばあ様の代からずっと薬を届けているのである。その金額は診療所のおじいちゃん曰く格安であるらしいが、ほとんど自給自足に近い生活をしている私たちは特に問題なく、むしろ貯金もそこそこだ。相場が激変しない限りは変わらぬ卸値で薬を用意し続けている。
 こんにちは、と顔を見せれば、また随分と顔を見せなかったねと笑いながらこちらを見た診療所のおじいちゃんが驚いて零さんを見つめ、苦笑しつつも私たちは結局『夫婦』のように振舞うことを続行した。零さんにそんなことをさせるのは申し訳ないが、ここに来るまでに先程の猟師の男性と私の関係を改めて聞いた零さんがそのほうがいいかもしれないと言ったことで、結局零さんと相談し続けることになったのである。申し訳なさすぎるので零さんにはたくさん服を買いたいと思う。

 実は零さんはあまり服を買うことに対して積極的ではなかった。理由は、お金のことである。
 当然のことながら、零さんはこちらで使える金銭なんて持ち合わせていない。それは当然の話で、わかっているからこそ異世界からお客様が来るとわかって最初に接触しようとしていたのが私なのだから、私自身は何も気にしていないのだが……零さんが、私にお金を出させることをひどく嫌がったのだ。
 ただでさえ食事や住居で世話になっているのだからという零さんだが、そもそも食事を作っているのは零さんだし、最近では畑の世話をしているのも零さんである。手際が良すぎて私はまったく役に立たなかった。川で釣り……釣り? をしてくれているのも零さんだし、掃除洗濯もほぼ零さんだ。いやさすがに下着は自分で洗っているけれど。住む場所だって他に用意できず、狭いベッドの提供だなんて申し訳ない環境なのは間違いなくて、私は零さんが来てくれて生活が充実している。となれば、お給料を払いたいくらいなのだからと説得し、漸く必要な分の購入に頷いてくれたくらいだ。そのせいで余計零さんが家のこと以上に働きだしたのでむしろ申し訳ないとすら思う。
 最近じゃ薬の素材の採取も手伝ってくれているので、本格的に給料を渡したいのだが、今のところ笑顔でかわされ続けている。こうなればちょっといい食材を買って、衣服をしっかり用意してやろうではないか。あとは材料を集めて、身を守る防具の調合についても要検討だ。


 診療所のおじいちゃんにいつもより多めに薬を渡す。
 この薬はおばあ様ととある道具を使って決めた『この世界で流通させても大丈夫だと判断した薬』である。
 その道具は、『審判の天秤』とおばあ様が生み出し名付けた道具で、私たちが私たちの為だけに作った、おばあ様曰く『私たちの身勝手の為の道具』であり、指針だ。
 私とおばあ様はあの崩壊しかけた世界出身の錬金術士として、審判の天秤が否とした錬金道具は何があっても流通させない、と決めている。それはつまり、もっと素晴らしい薬があれば、と嘆く人がいたとしても、私たちは技術を隠し、それを市場に流すようなことはしない、という、ある意味では私とおばあ様の錬金術士としての信念をも曲げるものであり、そして私たちを守る為の道具であった。
 あくまで流通させないというだけで私たちはそれ以上の力を持ったままであり、私が勝手に身内と判断した零さんにもコアクリスタルや魔法銃もどきなんて『流通無し』の道具を渡しているのだからがばがばな指針であるが、私たちは一定以上の力は『私たちの為だけに使う』と決めている。隠したい現実だが、話さねばならなかった。コアクリスタルや魔法銃だけではなく、異世界転移の道具は確実に『無し』だということを、その重要性を、私以外のこの世界の人々と彼が触れ合う前に伝えなければ、ならなかった。
 覚悟を決め零さんにそれをぽつぽつと話した時、零さんは難しい表情をしながらも、同意を示していた。

「ある程度線引きは必要だというのは、わかるさ」

 そう言った零さんがまるで覚えがあるような苦しげな表情をしていたことは気になったが、質問はしていない。私も似たような表情をしているだろうし、きっと触れてはいけない部分な気がして、話はそこで終えている。

 身勝手な私たちは、この力が『こっそり』使える状況でなければ、例え助けられる相手が目の前にいても助けない。賛否両論あろうが人として間違っていようが、殆どの道具を『無し』とした審判の天秤は、この世界が優しい世界ではないと判断したのだ。

 審判の天秤は、罪悪感を軽くする為におばあ様が私を想って作ってくれた道具なのかもしれない。

 私は気まぐれで残酷なその力を捨てることもできない、本当に自分勝手な人間だ。それはきっと、物語に出てくる気まぐれな魔女そのもので、私たちが森の魔女と言われても仕方ないのだと思う。それでも私たちは、この世界でひっそりと錬金術士として生き、傲慢にもその力を使う相手を道具の判定か己の気持ちで決めてしまうのだ。私が抱えられる量はきっと、とても小さい。手が届く範囲は、ほんの少し。審判の天秤が否と示す道具を広めて、私の生まれ育った世界のような滅びの道を歩ませることは、できない。私は、私の小さな手の届く範囲の人しか助けない、とてもわるい錬金術士なのかもしれない。

 でも、『私の薬があるから私を傷つけてもいい』なんて判断したあの猟師さんは、あの世界の始まりなのかもしれないから。始めから薬なんてないほうがよかったのかもしれないと思うほどに、とても、大きな罪なのかもしれないから。だから私は今日も、いつもの薬しか、卸さない。


 それはとても、楽しい気持ちを生み出すものではなくて。
 まるで本当に、私が傲慢な悪魔にでもなったかのようで。
 それでも自分が錬金術士であることは変わりなくて、おばあ様のことを尊敬する気持ちも確かにあって。


 だから私は、この薬を卸す時間がとても嫌いだ。


「いつもありがとうね、助かっているよ」

 そんな穏やかなおじいちゃんの言葉に、泣きたくなるほど、自分が嫌いになる。

「……薬師、ですから。また、持ってきますね」

 なんとか伝えた私の肩に、そっと零さんの手が触れる。いつもは寒い程苦しい診療所に、僅かな熱が生まれた気がして。その熱はすぐ、背負わせてごめんなさい、という罪悪感に塗りつぶされたのだった。



 診療所を出てまとまった金銭を手にした私たちは、まず食材屋を巡りあれこれと手に入らないものを購入し、素材をいれていたかごとは別に零さんが用意してくれた車輪付きの鞄にどんどん詰め込んでいく。
 この車輪付き鞄、私が錬金術で用意した木材やらもともと使っていた大判の風呂敷を用いて、庭にあった壊れて使っていなかった車輪付きのよくわからない道具を分解し、零さん自ら作り上げてくれたものである。キャリーバッグだとかトロリーバッグだとか言っていたので元があるのだろうけれど、使わないときは細長くまとめて背負えるように改造したらしいそれは、なんでもかんでも錬金術でなんとかできないかと考えている私の作るものより現実的かつ使いやすく、村でも違和感なく使用できる。こういうすぐ錬金術でなんとかしようとするところが自分が悪魔だとか魔女だとか否定できない理由の一端……って待て待て。診療所に薬を卸しに行ったことでネガティブ思考になっているのかもしれない、なんて考え首を振りつつ、零さんが楽しそうに食材を選んで鞄に詰めていくのを手伝う。チーズはいっぱいでお願いします。

「小麦粉はいらないんだよな」
「うん、作れますから」
「卵はどうする? いっそ鶏でも買っていくか?」
「うーん、遠出した時に世話できないからなぁ」
「ああそうか、ならとりあえずある分でいいか……」
「卵なら少し森に入れば野鳥のがありますよ?」
「その鳥、魔物なんじゃないか……?」
 ひそひそと他の人には聞こえないように言葉を交わし、時折笑う。最後に買い忘れはないかと確認する零さんに、はっと思いついて手を叩く。
「あ、私結構辛い味付けが好きです!」
「ふふ、大丈夫です。胡椒や唐辛子を使った味付けの料理は進みが早かったので、合いそうな食材は購入していますよ」
 思わず声が大きくなってしまった私に合わせて、ころりと性格を変えた零さんが対応する。というか知られてたのか、と視線を泳がせる私を見てさらに笑った零さんは、新婚さんは仲がいいねえなんて冷やかす店員さんにさらりと笑みを返しながら私を促し、たっぷり荷物が詰まった鞄を手に私の腰を抱き寄せたのだった。ひょわっ、とおかしな声が出たのは聞かなかったことにしてほしいと切に願います。



「お、お帰り! いろいろ良さそうなのは準備できてるから、さ、着てみて!」
「すみませんレジナさん、よろしくお願いします」

 仕入れを終え、あとは最後に服だとレジナさんのところへと戻れば、さぁさぁと笑みを浮かべたレジナさんに手招かれた零さんが店の中で仕切られた試着室へと姿を消す。
 にこにことあれこれ服を持ち出して説明してくれるレジナさんは、試着してみましたと顔を出した零さんをじっと見つめて裾がもう少し長く、だとかウエストは絞って、だとか呟き、メジャーを持ち出したかと思えばさらに候補を絞って、何着かを手に頷いている。なんてことだ、零さんが出会ったときに来ていた洗練された衣服とは全然作りもデザインも違うというのに、似合っている。というより、紺の生地と同色のさりげない刺繍が裾に施されたパンツは恐らく流行りのものなのだろう、店内にも数点見えるが随分と質が良さそうで、この店で扱う中でもかなり上質なものに見える。それにシンプルな白いシャツと、やや濃い色のジャケットも、とあれこれ並べているレジナさんの横を抜けて零さんに近づくと、小さな声で全体的に少し洋まじりの中華風ですねと呟かれて首を傾げた。
 何にせよ、こうしてみているとやはり防具の用意が急務のような気がしてくる。

「とりあえず今日はこれとこれと……これの上下でどうだい」
「ありがとうございます」
「採寸はしたからね、魔物と戦うこともあるんだろう? 動きやすくて丈夫な、冒険者用の服を仕立てておこうと思うんだが、どうだい?」
「お願いします」
「約束通り一着は贈らせておくれよ」

 にこにこと微笑むレジナさんが衣服を何着か纏めたところで、振り返った零さんが私の名を呼び、顔を覗き込んでくる。そこではっとしてぼんやりとしていたことに気づき、慌てて笑みを浮かべた。

「ごめんなさい零さん、ちょっと考え事してて」
「……疲れましたか? 早く戻りましょう」
「あ、ちょっと待って。レジナさん、あの、ちょっとお尋ねしたいんですが、行商人さんとかから、霊鳥の羽根や竜のうろこを使った布、手に入ることありますか?」

 私の問いに目を丸くしたレジナさんが、ないないない! と大袈裟に手を振る。まぁ、そうじゃないかな、とは思ったが、それならばと諦められるわけではない。脳裏に浮かぶレシピは、零さんの身を守る為にも必要なものだ。何せ私は錬金術の技術を上げる為に、この私にとっての安寧の地から近いうちに出なければいけないことは確定している。

「そんな上等な生地、こんなど田舎じゃ手に入らないよ! どうしても欲しいなら、そうだねぇ。隣町……いや、王都までいっても、相当高値であるかどうかってところじゃないかい?」
「ですよね……」
「なんだ、前言ってた材料探しの旅でもするつもりなのかい? 旦那さん、随分腕っぷし強そうだもんねぇ」
「……そうですね、珍しい薬の材料とか、勉強がてらあちこち見てみるのもいいかなって」
「なるほどねぇ、ま、一人じゃないなら安心だよ。薬、いれてってくれるんだろう? うちの子もナマエちゃんの薬じゃないと全然飲んでくれなくてさ」
「もちろんです! 遠出前にはいっぱい届けておきますね。あ、レジナさん。新しい地図とか手に入りますか?」
「たぶん数日以内には行商人が来る筈なんだ、あったら手に入れておくよ。あ、もうすぐ冬期が来るんだ、準備はしっかりしておきなよ?」

 冬期? と不思議そうにする零さんに、そうか知らないのかい、とレジナさんが服を畳みながら機嫌よく口を開く。

「この辺りじゃ、冬期になるといきなり冷え込むんだよ。たぶんあと二、三週間ってとこじゃないかと思うんだけどね、随分雪は積もるし、ナマエちゃんのいる森なんて腰まで積もるんじゃないかい? 大体二月程で春期が見え始めるとはいえ何かと生活が厳しくなって入用な時期だよ」
「へぇ、そうなんですね」
「ナマエちゃんも次来るのは一ヵ月後とか言ってないで、早めに村に必要なもの仕入れにおいでよ! そうだねぇ、十日後までにはあたしも仕立てておくからさ。ついでにナマエちゃんのものも見繕っておくよ」

 にこにこと楽し気な声で話すレジナさんにありがとうございますと答える零さんから「聞いてませんけど?」という無言の圧を受けた気がして、私はそっと目を逸らすのだった。

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