10

 キン、と金属がぶつかり合うような音が響き、私の肩を押しながらも抜刀した降谷さんの背が目の前に来たことで、はっとして体が動く。

「零さん!」
「大丈夫です、当たっていませんよ。……危ないじゃないですか、彼女に当たったらどうするんです?」

 穏やかな、それでいて棘を含んだような声音に、驚いてその背を見あげる。どうやら放たれた矢は、零さんが刀ではじいたようだ。零さんって魔物がいない世界から来たんだよね? どんな反射神経しているんだ、と思いながらもひとまず怪我はなさそうだとほっとして、次いで聞こえて来た「狩人の俺が外すわけないだろ」という猟師さんの怒った声にそろりと零さんの後ろから顔を出す。

「それに彼女は優秀な薬師だ! 多少当たったところで問題ないし、お前みたいな男が傍にいるほうが危な――」
「それは聞き捨てなりませんね。確かに彼女は優秀な『薬師』だが、痛みを感じないわけじゃない、普通の女性ですよ。怪我させても治せるからだなんて理由にもならない話で、状況の確認もせず矢を向けていい相手ではありませんが?」
「れ、零さん。大丈夫だから」
 口調が早いわけでも、怒鳴っているわけでもないのに、丁寧な口調の中にこれでもかと怒りを詰め込んだような声に、慌ててその袖を引く。ちらりと私を振り返った零さんは鋭い瞳の眦を下げ、怖くはありませんでしたか、と私を撫でた。ぱちぱちと瞬きをして、ああ、そっちの雰囲気で村では過ごすのかと理解し、こくこくと頷く。すごい、同じ人なのに、違う人と話しているみたいだ。

「てめっ、だから、離れろと……!」
「なるほど……見てわかりませんか? むしろ僕がなぜ彼女と離れなければいけないのかわかりませんね」
「急に現れといてなんなんだよてめぇは! 彼女はな、男が苦手なんだ! 何も言えない彼女に勝手に近づくな!」
 ん? 男が苦手、とは?
 そんな覚えはないというか、しいて言うならば他人が苦手なんだけどと突き動かされるような感情そのままに反論する為ひょこりと零さんの隣に並べば、その瞬間ぐっと肩を引き寄せられる。驚いている間に聞こえた声は、随分と楽し気だ。

「いやですねぇ、僕は彼女と一緒に暮らしているんです。そういう仲ですよ? 彼女は別に僕を嫌がったことありませんから、男性が苦手だなんて初耳です」
「は、はぁあああ!? 旦那!?」
「これからは不用意に男性が近づかないようにしないといけませんね。ご親切にありがとうございます、ということで彼女にはあまり近づかないでいただけますか」
「ふ、ざけんなっ、なんなんだよっ! 彼女はずっと俺が守って来たんだ! どっから来たんだてめぇ!」
 ま、守ってきた??? 守られた記憶ないんですが……!?
 ぶつけるような宣言に訳が分からずつい「は?」と声が上がってしまったが、どうやら相手には聞こえなかったようで零さんを責めるような声が被さり、思わず眉を寄せる。守るってなんだ? 私はあの猟師さんとは特に親しくなったこともなく、彼が家まで送っていくなんて勝手に言って断っても追いかけてきたことはあれど、森に数歩入ったところで鳥型の魔物程度に後れを取った彼の代わりに私が倒したことがあっただけでほぼ関りがないと言っていい。
 そもそも村の人たちは、私が暮らす村の南の森には滅多に入らない。魔物の住処で、そこから村に侵入しないよう魔除けを施したのはおばあ様なのだ。
 村の人たちが狩猟に入るのは村から三十分程歩いた先にある、魔物ではなく獣たちが住まう東の森だ。そちらで活動する猟師である彼と顔を合わせたのはほんの数回だというのに、旧知の親しい相手と言わんばかりの様子に意味が分からず眉が寄る。単純に、怖い。
 だがそんな私の様子に気づいたと言わんばかりに、肩を掴む零さんの腕に僅かに力が込められたようだった。

「僕ですか? 僕は彼女のお祖父様と同郷でして、その縁で」
「なんっ……ナマエ、嘘だよな!? 脅されでもしたのか!」
「は? え、いえ、嘘じゃないですけど。というか猟師さんはどうしていきなり矢なんて」

 嘘ではない、と思う。だいぶ何か誤解を与えそうな言い方をされた気はするけど。というか今更ふつふつと怒りが湧いて来た。いきなり射るなんてあんまりじゃないか……!? 零さんが怪我してたらどうするつもりだったのだ!

「急に攻撃してくるなんて、」
「け、結婚したなんて、聞いてない! ああああああっ」

「へっ」

 急に叫んだかと思えば弓を手に逃げ出したその猟師さんの背をぽかんと見つめて、怒りのやり場に困って唖然とする。
 何が起きたんだ。……いやまさか、もしかしてさっきのは私のせいかと思い至り、全身からざぁっと血の気が引く。ぐるりと振り返ってごめんなさいと零さんの腕を掴んで再度無事を確認し、混乱の中で思い当たった可能性に表情がひきつった気がした。嘘でしょう、確かに送るだなんてしつこくはあったけど、私あの人の名前も聞いた事ないのに……!?

「本当に大丈夫ですよ。あなたのせいではありませんし、あなたに当たらなくてよかった」
「でも、零さん」

「ふ、はははっ」

 突如聞こえた女性の笑い声に二人でそちらに顔を向けると、目元を擦りながらも店先から姿を見せたのは、見知った村のお姉さんだった。

「ごめんね、笑いごとじゃないし、最初は焦ったんだけど。まさかあのバカをあっさりやり込めるなんてね。こんにちはー、ナマエちゃん」
「こ、こんにちは、レジナさん! お久しぶりです」

 身体の向きを変えて改めて見れば、現れたレジナさんは手に持ったフライパンを店先の棚に置きつつ、ああ本当にびっくりした、と呟く。もしかしたらさっきの猟師さんを物理的に止めるつもりだったのかもしれない、なんて以前フライパンを手に野犬を追い払うレジナさんを思い出していれば、いや本当に怪我をしなくてよかった、と傍にきたレジナさんが大きく息を吐く。

「ほんと久しぶり。二か月も顔見せないからまたろくに食べないでやせ細ってるのかと思ったけど、元気そうじゃないか」
「えっ、嘘」
 二か月? 一ヵ月くらいじゃないっけとつい零さんを見あげて、そっと視線を外す。笑顔のその目が怖すぎる。
「忘れてたのかい? にしても顔も綺麗だし腕っぷしも強いなんて、まっさかこんないい男旦那さんに捕まえてたとはねぇ。新婚さんが家に引きこもってたんじゃ聞くだけ野暮ってもんだね」
「えっ、いや」
 新婚さんって、と驚いてそれを否定しようとしたが、それだとさっきの零さんがしてくれた行動が嘘になってしまうのでは、と焦った私は、たぶんこの時混乱していたのだと思う。

「そ、そう、なんです! 零さんとってもすごいから!」
「すごい」
「ふはっ」
「ご、ごはんとかも困らなくて……?」

 ぐ、と拳を握って何とか説明しようとする私と、きょとんとした様子で「すごい」と呟いたレジナさん、背後からは耐え切れないように笑う零さんの声が聞こえる中、なとか話を繋ごうと考える。パニックに陥っていた私は何か間違ったかもしれないと思いながらも、ぐるぐると拳を握ったまま思考を巡らせ、この場をどう取り繕えば!? と焦っていた。きっと零さんは、あの猟師さんがなんだか良からぬ思いであると、わざと誤解させるような言い回しをしてくれたのだ。それは嘘だとバレないほうがいい、筈で? あれ? ぐぅううこんな時に普段人と話さない弊害が!
 なんだか生暖かい目で「そうなんだねぇ」と呟くレジナさんを見て何か間違ったかもしれないと反芻する。いや、零さんは本当にすごいのだ。零さんが来て十日程とはいえ、食生活に不満が(私は)なかったのは零さんのおかげなのだ。買い出しに来なくてもむしろ私の食生活は充実していたのだし、野菜に飽きてチーズを買おうといういつもの思考が出なかったのだから。
 そこでさくさくと近づく足音が隣に並び、零さんの大きな手が私の頭の上に乗る。優しいその熱に顔を上げれば、先ほどとは変わって穏やかな笑みを浮かべた零さんが私と一度視線を合わせた後、にっこりとした笑みをレジナさんへと向けた。

「はは、つい二人の時間が惜しくて、引きこもってしまいました。ご挨拶が遅れてすみません、僕はレイと申します。レジナさん、でよろしいですか?」
「ああ、あたしはこの村で仕立て屋をやってるんだ。さっきは村のやつが悪かったね、あのバカは後で私が村長に突き出しとくから、今回だけそれで大目に見てくれないかい? 人を傷つけようとしておいてむしがいい話だろうが、あいつの家は今働き手があいつ一人でね」
「……何か事情があるようですね。僕はこれ以上彼女に危険がないのであれば構いませんが……ナマエさんは、それでいいのかい?」
「え、あ、はい、これ以上零さんに何かしてきたりしないのなら」

 村長って、確かめちゃくちゃ怖そうな人じゃなかったっけ、と、まだ若いあの猟師さんを憐れに……思う必要は全くないのでちらりと零さんを見あげた後頷けば、困った様子で笑いながらもレジナさんが近づいてくる。視線の先にいるのは、にこにこ笑顔の普段とはまったく様子が違う零さんだ。

「ナマエちゃんのお祖父さんと同郷って言ってたが、先代薬師の旦那さんのことかい?」
「ええ、そうですね」
「なら旅人さんだったんだろう。どうだい、うちで仕立てていかないかい。何着か良さそうな服もある筈さ。詫びに一着は贈らせておくれよ」
「助かります! もともと持っていたものは魔物に駄目にされてしまって。ですが詫びだなんて」
「いいの、いいの。あのバカの姉がアタシの親友でね、旦那に先立たれて実家に赤ん坊つれて戻ってるもんだから、……なんて完全にアタシの我儘なんだよ。大事な薬師とその旦那さんに手出しといて見逃せなんて常識知らずなこと言ってんのはこっちだからさ」
 その言葉にぎょっとする。猟師さんのお姉さんについては、知っているのだ。何せ妊婦さんでも使える風邪薬を調合したのは私で、お礼を言われたのも少し前のこと。……確か旦那さんは行商人で、生まれるまでに帰ってくるつもりで大きな仕事の為に長旅に出ていたのではなかったのか。
 私の疑問に気づいたのか、レジナさんは困ったように「帰る途中で崖から落ちてそのままだと行商人仲間が伝えにきた」と言う。……そう、なのか。
 隣で零さんもそうでしたかと驚いたように口にし、まぁそういうことだから、とレジナさんは困ったように笑って手をひらひらと振って見せる。

「良さそうなもん用意しとくから受け取っておくれよ。先に薬を卸しに行くんだろ? 待ってるからさ」

 そう話すレジナさんに見送られ、私たちはその場を離れて歩き出す。胸の奥に溜まるようなもやもやを抱えつつも、それでも零さんを危険な目に合わせていいわけじゃなかった、と顔を上げる。

「零さん、あの」
「良かったんですか?」
「え?」
「さすがにいきなり矢を放ってくるような相手をそのままにはしておけなかったので、勘違いさせるようなことを言ってあの狩人だという男性を遠ざけようとしたのは確かに僕です、が、彼女にも誤解させたままでよかったんですか?」
「そ、そのキャラ続くの?」
 思わず尋ねれば、ぱちぱちと瞬きした零さんはおもしろそうに笑って、ふと屈むと耳元に顔を寄せる。
「ええ、ここは村ですし。安室透仕様の方が人当りはいいでしょう? 本当の僕はあなたが知っていてくれれば十分です」
「う、その」
「それで、どうします? 否定、してきましょうか?」
「いや、えっと」
「僕は構いませんが、結婚したという噂があって問題はありませんか? 僕はこの世界の常識を知らない。一緒に暮らしていると聞いて、彼はすぐ夫だと判断したようですし、恋人関係では同棲するようなことがないのが常識なのではありませんか?」
 えっ、と思わず呟きながら、ぐるぐると問われた内容を考える。同棲、いや、そうなのかな? やばい、私も村の常識なんて知らない。
「結婚がどのようになされるものかも、恋愛結婚が主流なのかも知りませんし、村のしきたりがどうだとか、そういった可能性も十分にありましたから、強引な手段を取りました。あなたが想う相手がいた可能性も考えず、あなたの未来の可能性を邪魔したのではありませんか? 正直に言うと、かなりまずいことをしてしまったかな、と思ったので」
 そう言って困ったように笑う零さんを見て、あ、と気づく。そもそも零さんは確かに誤解させる言い回しをしていたが、一度も明確な単語は使っておらず、レジナさんの前で最初に誤解させる発言を肯定したのは私である。零さんはレジナさんの前ではあくまで私に話を合わせただけで、その上でやはり明確な言葉は避けていた。なぜか? ……私が想う相手がいるかもしれないから。私が将来、結婚したい相手に誤解されないように。

 ぶわり、と顔が熱くなって、慌てて首をぶんぶんと振る。私があの時レジナさんの前でも誤魔化したせいで、零さんを勝手に旦那さんにしてしまったのだ。

「ご、ごめんなさい、嘘にしちゃいけないんだと思っ……いや、私別に村に好きな人とかいませんから!」
「まぁ、まったく村に焦がれていない上に僕をあっさり泊めた状況ですから、それはわかってはいたのですが。将来は、わからないでしょう」
「別に結婚する予定はありませんでしたし、村の誰かに言われてするつもりもないです。それはいいんですけど、あああ、勝手に、すみません……」
「いえ、先ほども言いましたが、勘違いさせるような発言をしていたのは僕ですから。むしろ役得ですよ、僕はここでは可愛い薬師さんの旦那様ですからね」

 くすくすと笑う零さんは、『零さん』ではなくて。というか零さんなら、そういうことなんだか言わなそうな気がして、潜められた声であるのにそんなことを言う零さんを思わずじとりと見つめる。

「い、意地悪ですね、『透さん』って」
「ふは、『こちら』が意地悪ですか。――勝手に悪かった、もし不都合があれば言ってくれ」

 より潜められた声に驚いて頷けば、ぱっとまたにこにことした表情に戻した零さんは、楽しそうに村の様子に視線を巡らせたのだった。

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