07


「うう……零さんのご飯食べてると美味しすぎて、食材調達に行かないといけない気がしてくる……」
「僕としてはもう少し早くその結論に至って欲しかったところだけど」

 にっこりと笑みを返されて、なぜか威圧感を感じた気がして視線を逸らす。
 夕食後、零さんの提案で始まったティータイム。アフターディナーティーです、会話を楽しみましょうだなんて言われて零さんに淹れてもらったお茶を飲みながら、話題が良くない方向に向かった気がして逸らした視線はさらに泳いだ。

 そもそも私はあまり食事に頓着していなかった。何せ庭には祖母が残してくれた菜園があるし、栄養剤を調合すれば野菜なら数日で育ち実をつけるのだ。
 肉は調理法がよくわからなくてあまり好きではないし、魚なら近くの川で釣れる。
 零さんもこの世界に来て一週間と少し、時折川で魚を釣ってきて調理してくれるので、私的にはとても満足だったのだが……零さんがあれこれ美味しそうな料理について話すものだから、欲が出てしまった。零さん曰く、私は野菜中心で健康的に見せかけて栄養が偏りすぎらしい。
 近くの村に行くのは、大体月に一、二度だ。どうしても調合で手に入らない調味料や消耗品の調達に行く程度で、顔を出せば薬を卸して資金を得て、と適当な生活をしていたものだから、どうにも定期的に何かを仕入れるという習慣がなかった。困るのは乳製品か卵くらいかと思っていたのだけど。というか卵なんて普段口にしなかったから忘れていたのに、ケーキだとかプリンだとか、美味しそうなお菓子のことを零さんが言うから。

 と、ぶつぶつ文句を言うが、苦笑した零さんは譲るつもりはないようだった。私が調合で丸一日食べないこともあるから構わないなどと口を滑らせたせいで、偏った食事であることをさらに不安にさせてしまったようなのである。
 だがそもそも食料がどうとか言う前に、村に調達しに行ったほうがいいものがあるのは確かなのだ。
 ちらりと視線を送れば、短い丈の古いズボンを折り返しているのが見える。……そう、零さんの、衣服である。

 私の視線に気づいたのか、零さんはすぐに「服は困ってないよ」と笑う。
 零さんが着てきていた服は、わき腹や腕の部分が大きく損傷していて血に濡れ、錬金術で作った万能石鹸で汚れは落としたもののとても普段使いできるような状況ではなかった。スラックスは辛うじて汚れを落とせば無事と言えなくもない状態であったが、一枚しかないそれは今とりあえず使われていない。そもそも生地がこの世界とは違うので、今後この世界で使う予定もないだろう。つまり、零さんは服がない。

 そこで私が持ち出したのは、祖母が残していた、祖父がこの世界で昔使っていたという衣服である。この世界仕様のそれはただのシャツとズボンという装飾一つなく古臭いものであるが、一番の問題として零さんにとっては丈が短すぎた。くるりと巻かれた裾から綺麗な褐色肌が結構な割合で覗いている。なんだか今着ている本人にもおじい様にも申し訳ない感じである。
 錬金術で防具として調合しようかとも思ったのだが、とあるものの調合で布系を使い果たした為、素材調達を考えるとまぁ、買った方がはやいというやつで。
 ちなみにとあるもの、とは、残りの衣服……つまり、下着だ。零さんはおばあ様レシピで適当に作った下着を、非常に気まずそうに受け取っていた。本当申し訳ない。

 あれこれもやもやと考えていると、ふわりと私の頭に熱が触れた。撫でられて、恐る恐る顔を上げれば、困ったように笑う零さんと目が合う。

「村は苦手か?」
「………………はい」
「そうか。何が怖い?」

 その言葉に視線を上げる。私は村が『怖い』とは一言も言っていないのに、零さんの指摘は本当に的確だ。

「……私は、錬金術士だってことは隠しているんです」
「ああ、そうだね」
「といってもこの世界の人に錬金術士なんて言っても、わからないとは思うんですけど。……釜とか、見られたくはないですし」
「うん、それで?」
「優しい人たちなのはわかってるんです。良くしてくれるし……ただ、私はこの世界でも珍しい黒髪だし、今は良くても、急に悪魔……に、見えるかもしれないし。魔女疑惑は、そのままだし。そ、それに! 何話したらいいかわからないですし! 行くと、危ないからって送ってくれようとする人たちがいて、毎回断るのがその、申し訳ないやら、大変やらで」
「……へえ」

 にこり、と笑みを浮かべ首を傾げる零さんにつられて首を傾けると、小さく笑われる。

「でも、ごめんなさい。零さんの服のこともあるし、零さんだって同じご飯なんだし、もう少し早く行くべきでした」
「僕は構わないよ、かなり贅沢に食べさせて貰ってると思うし、いざとなれば狩猟もできそうな環境だから問題ないんだ。ただナマエさんはあまり食べる量も多くないみたいだから、少ない量でも必要な栄養分がとれたほうがいいって話だからね。それにしても、送迎か……確かに、二時間も森を歩くんじゃ心配はされるかもしれないね」
「と言っても、私たぶん村の人たちよりも強いですよ。そもそもこの家、私が案内しないと辿り着けないようになってるんです。ついてこられても困る」
「機密の倉庫みたいなものだからね」
「そうなんです。まぁ、おばあ様の代からの付き合いがある村ですし、薬師であるおばあ様に感謝してくれていて、素材の宝庫である森の奥まで入ってくる人はほとんどいないんですけど」
 そうなんだね、と頷きながら、ふと、零さんが僅かに私と距離を詰める。
「僕がいても、怖い?」
「……え?」
「というより、僕は怖くなかった? ナマエさんは結構人見知りなんじゃないかと思うんだけど」
「……そうかな?」
「はは。それで、僕は怖くなかった?」
 言われて、考える。
 怖かった……とは思う。それも、会うまでの話だ。樹がおばあ様に聞いていたように光っていて、人がくるってことがまず怖かった。怖い人かなとか、話せるかなとか、それはきっとたぶん、私でなくても不安に思うことだと思う。実際見てしまえば魔物に襲われてるわ血だらけだわでそんな余裕はなかったし、守られたことに驚いている間にぶっ倒れた零さんに驚いて、薬を使ってもすぐ目が覚めなくて自分の薬が問題だったのではと泣きそうになったりもしたが、それはたぶん零さんが今聞いている「怖かったかどうか」には当てはまらない。
 私は、おばあ様に言われた「お客様がもしいらしたら、困っているようなら、助けてあげてね」という言葉を守りたくて、必死だった。おばあ様みたいになりたかったのかもしれないし、自分の力が怖くないものだって思いたかったのかもしれない。
「うーん……血だらけなのはびっくりしました」
「まあ確かにそうか……」
「それにびっくりしすぎて、怖いとかそういうこと考える暇が、なかったです。でも零さん、いい人だから。おじい様の世界に、魔物なんていないって聞いたことがあります。零さんあの状況で私を守ろうとしてくれたんですよね、だから」
「……そうだけど。ナマエさんのそのいい人判定がたまに妙に不安になるよ」

 こめかみを押さえるような動作をしながら視線を落とした零さんは、ふともう一度視線を私に合わせると、今は怖くないんだね? と再度確認してくる。

「ふふ、大丈夫です」
「あまり慣れるものじゃないよ、恋人以外の男とベッドを共にするなんて」
「そんな……ん? なんか言葉だけ聞くと怪しい感じがしますね?」
「気づいてくれてよかったよ」
「ナワ呼びます?」
「やめてくれ。まぁ、ナマエさんが今無理をしてないならいい、ということにしておく」
 なんだか悩むような様子を見せる零さんのほうがよっぽど疲れている気がする。そっとシロップを差し出せば、眉を寄せて遠慮された。この甘いシロップはどうやらお気に召さないようだ。村では子どもたちに受けのいいお薬なのに。

「そういえば、銃を作ってくれると言っていたけど、サブウェポンなんだろう? メインはどうなる?」
「あ、そうでした。ええっと、体術……でもいいんですけど、私がちょっといい武器を思いつかないな……魔物相手ならある程度直接触れない得物があったほうがいいと思うんですけど……そうだ、祖父の使っていた武器が物置にあるんです。見てみますか?」
「物置……って地下の食料を保管しているところ以外にあるのか?」
「そこであってますよ。実は、」
 言いながら立ち上がると、同じく立ち上がった零さんが、ああ、と納得したように頷く。
「一つだけ、棚に不思議な細工がしてあったな。あれか」
「……えっ、気づいてたんですか!?」
「ああ、狭い地下倉庫だけど、入って右手奥だけ棚が少し浮いていたからね。何かあるのかなとは思ったけど、この世界は俺の知識が通用しない世界だから、下手に触らないほうがいいと思って弄ったりはしていないよ」
「……驚きました、私は見ても全然おかしいとは思わないんですけど。あれは、この腕輪が鍵なんです」

 ひょい、と右の二の腕に嵌る銀細工の装飾を指す。おばあ様と作った錬金道具で、これを身に付けた人でなければ隠し部屋への入り口は開かないように細工してあるのだ。
 倉庫の中には、私とおばあ様で、破棄するか悩むけれどこの世界には流出させられないようなものを隠してある。
 おじい様の武器はかなり質がいいのでしまってあるのだと言いながら狭い食料保管庫に降りる。私やおばあ様は問題なかったのだが、零さんは少し身を屈めているようで苦笑した。

「零さん背、高い。ぶつけないでくださいね」
「少し油断するとやらかしてしまいそうだけどね。それで、どうやって開けるんだ?」

 心なしか少しわくわくしている様子の零さんをにんまりと見上げて手招く。二歩で辿り着くそこで、私は手を伸ばして棚の上の奥、壁との隙間に指先を入れて、そこにはめ込んである腕輪と対の道具に触れる。ぱちん、という小さな音は零さんの耳にも届いたようで驚く気配があるが、特に痛みがあるわけではない。ただ腕輪は少し光ったようで、薄暗い保管庫内にほんの一瞬輝きが満ちた。

「あとはこの棚を、こう」

 ぐ、と押し込めば、ズズズ、と低い音を立てて棚が押し込まれる。ちょっと重いが、こうなってしまえば他の扉と変わらない。驚く零さんにこっちですよと促しながら奥に足を踏み入れて傍のランタンに明かりを灯せば、足を踏み入れた零さんは低い天井に苦戦しながらも、目を見開いて部屋の周囲を見回していた。

「すごい。上の部屋の半分くらいの大きさはあるな」
「シェルターも兼ねてる、っておばあ様は言ってました。と言ってもうちに簡単にたどり着けないように誤魔化す錬金道具ができてからは、本当にただの倉庫扱いになっちゃったらしいんですけど……ええと、こっちです。祖父の使ってた武器」

 そう言って奥の棚を指せば、そちらに視線を向けた零さんは驚いたように足早に先へと進む。

「日本刀だ。すごいな、見事な拵だ」
「こういう武器は、どうですか?」
「どうって……言われてもな。魔物相手となると剣道ともまた違うんだろうし、俺はこうした得物は普段使わない」
「他だと、やっぱり槍とか、弓? 鎌、はちょっとイメージが違うな。やっぱりナックルとか籠手……でも魔物に接近させすぎるのも……」
 うんうんと唸りながら脳内にいろいろな武器を思い浮かべてみる。なんだか結構日本刀がしっくりくる感じがするのは、零さんがおじい様と同じ世界観から来ているという先入観のせいだろうか。
「日本刀、似合いそうなんですけどね……双剣となるともっと扱いに癖があるだろうし、大剣……もいいかもしれないけど、零さん結構動きも速いのでちょっともったいないかもしれないですね。いや、腕力はあるから向いているのかな?」
「……、なんだか武器としては有名でも非現実的だと思っていたラインナップだな、持ち歩く意味でも。ああでも……どうせなら、日本刀を使ってみたい。慣れないものに手を出すのは悪手かもしれないが、せっかく新しい環境だからね。ものになるかはわからないが」
「祖父の刀は祖父専用におばあ様が手を加えまくっちゃったらしいので、ちょっと残ってるレシピを見ながら調整してみますね。雰囲気見たいので、これ、持ってみてもらってもいいですか?」
「……いいのか? これ、思い出の品としてここにあるんじゃないのか」
 その言葉に、少し驚いていつもより近い位置にある零さんの顔を見あげる。

「どうして」
「簡単だよ。この部屋にあるのは錬金術についてはわからない僕でも、恐らくこの世界にとってオーバーテクノロジーなんじゃないかと思うものばかりだ。用途はさっぱり不明だけどね」
「おーばー、てくのろじー」
「そう、この世界にはまだ早い技術、というほうがいいかな。だというのに、この日本刀は俺にもわかる……古くから伝わる日本の伝統技術の結晶だ。思うに、使い手はいないが残しておきたかったもの、なんじゃないか?」
「……そうですね。おばあ様、これは破棄したくないって言ってましたから」

 そう言ってそっとおばあ様が大切にしていた刀と呼ばれる武器を手に取る。私には少し重いが、零さんに渡すと彼は軽々とそれを手に、ちゃきりと音を立てて刃を覗かせる。

「……綺麗だな」
「はい。うーん、いきなりこのレベルで鍛えるのは無理かも……」
「はは、いや、どんなものでもありがたいよ。魔物相手に素手で挑むのは確かに無謀そうだからね」
「零さんならドラゴン種でも立ち向かいそうな気がしますけどね。早めに作ります、幸い練習用程度なら暇つぶしに作った材料で何とかなりそうですから」

 一日ください、と言えば、零さんはにっこりと、それはいい笑みを浮かべた。ほっとする反面なんだか嫌な予感がして一歩後ずされば、伸びて来た手にがしりと肩を掴まれる。

「では明後日、一緒に村に行きましょうね」
「忘れてなかった! わかってます、ちゃんと行きます……っ」

 まるであの『安室透』と名乗っていた初期のような笑みと口調で威圧感を放出する零さんを前に、私は盛大に顔を歪めながらもこくりと頷いたのだった。

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