触れることが最善であろうか



「……すまない、写しに触れられても迷惑――」
「いやそれはないです」


 ふとした瞬間にあの時のことを思い出して、山姥切国広は……この本丸の主である審神者に『切国』と呼ばれる男は、自分を殴りたい程の後悔に襲われる。

 いつも離さない襤褸布をさらに引き下げ、畑の隅にある倉庫に背を預けたままずるずるとしゃがみこんで日を避け影に隠れた切国は、立てた膝と己の腕で顔を覆う。

 己が初期刀として呼ばれたあの日。呼び出すなり倒れた主を、担当に言われるがままゲートを通って本丸まで運んだのは切国だ。その時はわけがわからなかったが、後にこんのすけが主を気遣って去った後聞いた主の事情を知った今では、己の配慮のなさすぎる行動に眩暈がするようだった。

 男に襲われている最中時の政府に拾われたのだと、説明する主の声がやけにはっきりと頭に残っている。震えもなく、か細くもなく、淡々と、いっそ冷静な声で。だから切国はすぐそれに気づかず、言われてみれば薄っすら頬に残る傷跡のようなものに、何も考えず手を伸ばしてしまった。見せられた二の腕の痣も、舞の練習の際に見た脛の痣も、どれも眉を顰めてしまう程痛々しい。怖くないわけがなかったのに、あの時無遠慮に伸ばしてしまった手をいっそ斬り落としたい。そんなことをすれば主に迷惑をかけるので自重するが、気持ち的にはそうなのだ。あの時の主は固まっていたし、今思えば怖がらせたのではないかとも思う。そのくせ自分の発言は「写しに触れられても迷惑だろう」で、主に「いやそれはないです」と食い気味に否定させる羽目になっている。

 主は結界を練り上げる力が不安定だと言う。
 本丸の結界は本丸維持で成り立つものであり主の技術は不要だ。だが、演練に出る際は結界符の持ち歩きが推奨されているらしい。教本の見よう見まねで結界符を作る練習をしていた主の頬に墨がはねていることに気づいた乱藤四郎が拭おうと手拭いを持つ手を近づけた時、主は過剰に反応した。就任三日目のその日、既に頬の傷はなく、乱は主の言う通り驚かせただけだと解釈していたが、切国はそれが殴られた恐怖心から来るものだと理解してしまった。
 考えてもみれば、人の器を得たとはいえ、元は刃だ。理不尽な暴力を受けたばかりのまだ若い女人が、怖くないわけがないのに。
 そう思って絶望感を味わった切国は、なぜそれがこれほど胸を苦しませるのか理解していない。が、切国の杞憂はすぐ晴れることとなる。

 あるじさん、と、懐刀として気合が入っている乱藤四郎が駆けよれば、それは嬉しそうに主は出迎える。髪を結わせてと言えば簡単に背後を明け渡し、行こうと手を差し出されればあっさりと重ね、あまつさえ「見てもいいかな!?」と興奮した様子で切国や乱の本体の刃をうっとりと見つめるのだ。こちらが照れる程に。

「見てみたかったんだ」

 それはまるで、長い間待ち望んだような。そう、主がたまに口ずさむ、前世どころかより前から探し続けた相手を想う歌のような感情を乗せて。
 主は触れる、なんの躊躇いもなく。本体にも、この肉の器ですら。それは恐らく、切国が今知っている範囲では、それは切国と短刀二振りだけだ。主がどういった理由でそうしているのかはわからないが、それは切国の心を触れる手を通して温め、そして離れればそれまで以上にひやりとした思いも味わわせる。触れることが最善であろうか、悩んでしまう。触れている間は、あんなに温かいのに。

「……主はどうだろうか」

 触れてみたらどんな顔をするだろう。何を思ってくれるだろう。熱を感じてくれるだろうか。

「……聞いてみていいだろうか」

 いつの間にか顔を覆っていた腕を外して己の手を見ていた切国は、はっとする。考えていたことが、なんだか段々ずれていったような。


 春のうららかな日差しが、先ほどよりも迫っている。休み過ぎた、と気づいて慌てて倉庫から飛び出せば、あれ、と不思議そうな声が耳に届く。

「切国、どうしたの? 具合悪くなっちゃった?」
「違う、少し、その」
「休憩? なら、お茶でも持ってこようか。水分補給しないと」
「平気だ」
「……んー、じゃ、はいこれ。今日少し暑いよね、これ収穫しちゃったら厨に行こう。水分補給しないと干からびちゃうかもよ?」
 くすくすと笑う主が腰に付けたポーチから何かを取り出し、手のひらに乗せて切国に見せた。飴だ。数日前に近侍の仕事中に貰ったものとは色が違うが、恐らくそうだろうと判断した瞬間、切国は口を開いていた。きょとんとした主に、土だらけの手を見せる。それだけで納得した……納得してしまった主は、包装紙を剥がすと躊躇いなくそれを切国の口に近づける。きっと一応配慮はしたのだろうが、僅かに、切国の唇の先に細い指先が触れたのは、ほんの一瞬だったけれど。

「……美味い」
「塩飴だよ」

 もごもごと口を動かす。「唇に触れるのは他と感覚が違うな」と、言っていいだろうか。悩んだのは一応知識として、唇がおいそれと他人に触れさせるものじゃないと人の子の様子を見て知っていたからかもしれないが、切国は大してそのことを考えず、目の前の光景に気を取られる。

「……主。恥ずかしいならやる前に態度に出すべきじゃないのか?」
「それ切国が言う?? やってから気づいたんだから仕方ないじゃん……」

 何やってんだ私、と呟きながら籠を持って収穫に向かう主の左後ろを歩きながら、切国はふと襤褸布の下で目を細める。
 疑問は解決していないが、怖がられていないのなら触れてみてもいいかもしれない。







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