五〜八


「慣れ合うつもりはない」
「うん、ごめんなさい、いつもお手伝いありがとうございます」
「……ふん」

 主張はしつつも私に続いて厨に入りもくもくと調理を手伝ってくれているのは、五振り目となる大倶利伽羅だ。ちなみに就任一週間の日に鍛刀で来てくれた刀である。
 審神者となって十日目、現在私の本丸にいる刀は五振りだ。ドロップは相変わらず薬研以外ないし、畑の正常機能が遅かったこともあって積極的に鍛刀を行ってはおらず、いまだ一部隊揃っていないままだ。まぁ、いまだに人数分の調理に慣れておらず四苦八苦しているのでいきなり増えても対応できないかもしれないけれど。第一慣れ合わない系男士大倶利伽羅がこうして調理を手伝ってくれているのも、私が調理に四苦八苦していたせいである。他の男士は出陣遠征はもちろん広い本丸の掃除と畑当番にとこれまた大忙しで、大倶利伽羅もまた料理をしなければいけない時間だけ抜けてこちらに来てくれているのだ。

 皆の意見としては、私が練度上げを優先している為に現状出陣中一振りも私の傍にいない、という状況に不安を覚えているらしく、最低七振りを目標としているらしい。まぁ七振りいたら七振りいたで遠征に回したい気もするのだが。今戦場は維新の鳥羽。私の記憶が正しければしばらくドロップは短刀、脇差ということで鍛刀は優先して打刀以上を狙っていたのだが、予想以上にドロップがないことと現状あまり資源を回せないことを考えると、次は脇差の鍛刀を狙ったほうがいいかもしれない。……で、次はまた打刀、太刀狙いでいくか。というか料理が不安だ……現状打破できるのは歌仙兼定様か燭台切光忠様の二振りが可能性高い……?
 うんうんと考えながら漸く安定して獲れるようになった野菜を炒めていると、おい、と声をかけられる。

「あ、はい!」
「あんた、寝てるのか」
「へ? あっ、起きてます、ちゃんと起きて」
 考え事に集中しすぎて手が止まっていただろうか。焦って返事をすれば、はぁ、と特大のため息とともに大倶利伽羅が首を振る。
「そうじゃない。夜寝てるのか」
「……あ、寝てます!」
「……ふん、ならその嘘をさっさと真実にするんだな」
「あれ」
 え、ばれてるじゃん。思わずぽかんと高い位置にある顔を見上げれば、眉を顰めた大倶利伽羅は視線を逸らし、調理に戻ってしまった。慣れ合うつもりはない、というやつだろう。
 シャカシャカと卵をかき混ぜる音とジュウジュウと焼ける音だけの空間でしばらく呆然とした私は、はっとして慌てて炒め物をかき混ぜる作業に戻る。……多少焦げ目がついたのを誤魔化すのは、難しそうだ。



「おやすみなさい」
「ああ。あんたも、早く休め」
 最後まで書類仕事を手伝っていてくれた切国に頷けば、少し何かを言い淀むような様子を見せたものの切国は布を深く被りなおすと自室の方へと歩き出した。早くしなければ風呂の湯が冷めてしまうのだ。
 霊力さえ安定すれば、常時温かい温泉を用意することも可能なのだ。が、私は霊力量はあれどそれの制御が下手過ぎて、現段階本丸維持装置が様子見中の為、風呂は夜の七時から八時半の間までに入らなければならない。まぁシャワーなら常時使用可能なのだが、人の身を得た刀たちは浴槽に浸かり体の芯から温まる感覚が気に入っているようだ。そもそもその湯も私の霊力が元だし、調子を整えるのにいいと資料で見てからは我が本丸ではなるべく湯につかるよう刀剣男士たちに言い聞かせている。
 ゲームでは細かい描写はなかったが、実際普段本丸で生活する刀剣男士たちだっていくら統率が高かろうと出陣以外で怪我をしないわけではない。戦場での傷は受けるのに、転んでも怪我しない……なんてことはなかった。熱い味噌汁を飲んで舌を火傷したり、靴下をはいていて畳の上を滑ってしまったり。人の身を得たばかりの不慣れな彼らは、時折ふとした瞬間に予想できない小さな怪我をする。
 実際手入れしなければならない怪我ももちろんあるが、多少の傷……政府が刀剣男士たちの能力値を数値化したその生命力や体力……メタい話をすればゲームの生存値が削れる程でもない怪我であれば、本丸の中で過ごしていればいずれ癒える。治りはしないが中傷の傷だって手当して本丸内にいれば手入れせずとも流血自体は止まるのだ。そして本丸内では彼らの疲労は回復するが、出陣、遠征先ではいくら休憩をとってもあまり回復する感覚はないのだという。つまり入浴は大事だ。

 さて、と部屋の照明を落とした私も、自室の方へと歩き出す。自室は本丸の奥にあり、そこはもう一つの家と表現すべきか……部屋には浴室もトイレも簡易の台所もついているのだが、資料でその辺りの説明を読み込んだ時は、明言されていないが何の為の設備なのか察してしまい、実はあまり落ち着いて過ごすことができないでいた。あの部屋は刀剣男士の入室を禁じているのだ。結界も、強力である。
 一応近侍用の空き部屋も隣接されているのだが、現段階我が本丸でそれを使用する予定はない。理由は単純、本丸設備の霊力削減箇所の為にライフラインが生きていない。
 早く霊力の扱いを覚えなければ。
 様々なところに影響が出ている、と改めて感じながら、私は自室に入ってすぐ用意していた衣服に着替え、いくつかの道具を持って再び部屋を出る。向かう先は、今は使用されていない手合わせ用の広い鍛練場だ。
 しん、と静まる廊下を渡れば、ほんの少しだけ体が冷える。少し薄手の服の上から腕を擦り、そっと鍛練場の扉を開ければ自動でふわりと淡い光が灯る。そのまま奥に進み、壁のパネルを弄れば壁の一部が鏡張りへと変質した。厳密にいえば鏡ではないのだが、壁に移る私は同じように私を見つめ返していて、言われても鏡ではないと信じられないような、本丸で働いているとわかりにくい未来技術の一つである。

 持ってきた装置……投影機を設置して起動すれば、ホログラムのこんのすけが浮かび上がり、簡単な説明のあとそのホログラムは美しい黒髪を持ち面布で顔を隠す巫女服の女性へと入れ替わる。
 音が流れ始める。
 私は深呼吸してしばしその音の冒頭を聞き、そのまま扇を手に腕を伸ばす。横に並ぶホログラムの女性もその動きをしており、時折視線でそれを捕らえながら、私はその動きを摸倣する。ひたすらに、ひたすらに。曲が終われば、もう一度。二度目はホログラムを追い過ぎず、視線の流れも意識する。全身に霊力を感じられるように。髪の先まで行き渡るように。
 手にしている扇は黒く塗られた親骨に金の桜が彫られ、仲骨の細工まで整え、扇面には桜の木と刀が描かれている。長く垂れる薄い何色もの飾り紐が舞うたびにふわりと流れ、その一部である連なる美しい小粒の石がチャリチャリとぶつかって小さな音を生み出す。舞を嗜む審神者用のもので、一般的な神楽よりもやや動きは激しく音も速い。
 この扇と投影装置は霊力制御の不安定さをこんのすけに相談し用意してもらったものだ。扇は貸し出し用のものなので早めに自分のものを購入するように、とカタログを見せられたのだが、美しいものが多くていつか購入するのをひそかに楽しみにしていたりする。
 そう、私がこうして舞を一人学んでいるのは、霊力の扱いを安定化させる為だ。
 他にもさまざまあるらしいが、私が選んだのは舞だった。審神者はその霊力を清く高く保つため推奨されている鍛練がいくつかあるらしいが、実際は戦が忙しすぎて形骸化した規律となっているらしい。が、私のように高すぎる霊力の扱いに不慣れな審神者には特に推奨されているようで、私はこれを教わってからというもの毎日こうして寝る前に舞の練習をしているのだ。他には朝に祝詞の奏上も。効果が出ると信じてやるしかない、そんな風に思って始めたが、今では確かにそれを感じている。普段感じ取れない血潮と同じく曖昧な霊力が流れるという感覚を、朧気ながら感じ取れるようになってきたのである。
 三度目、四度目、五度目と練習した当たりで足がもつれ、息を整える為にもほんの少し休憩する。持ち込んだ水を飲み干して、本丸に霊力を注ぐつもりで、もう一度。疲れて、眠気が訪れるまで。あの日の悪夢に苛まれることがないように。
 練習を再開してからしばらくして、ふと、時計を視界に入れると、時刻は間もなく午後十一時というところだった。……朝も早い。そろそろ眠らなければ、とホログラムを消し、壁を元に戻したところで、少しふらりとして座り込む。少し霊力を使い過ぎたようだ。……まだまだ、甘い。

 そのまま蹲れば、木張りの床がひんやりとしていて気持ちがいい。舞を踊っている間は不思議ときんと周囲が冷えているように感じて汗をかくことはないのだが、終えてしまえば多少息が上がり、体が火照る。ふと目を閉じれば、どろりと思考が鈍っていく。いけない、ここで寝るのは駄目だ、朝誰かが稽古に来るかもしれないのに。起き上がらなければ、と腕に力を入れたところで、ふと耳にぎしりと音が届いた気がしたが、私の意識はそのまますとんと途切れた。



「おい、山姥切国広」
「……なんだ、大倶利伽羅」

 朝食を終え、出陣は九時からを予定しているという審神者が皿洗いを引き受け刀剣男士たちは内番へと送り出された。今日の畑当番は打刀の二振りで、乱と薬研、江雪は生活圏の掃除に動き回っている。今日の予定も山積みで、内番を終えた後は出陣を二度、昼休憩を挟んだ後さらに出陣、そして打刀、太刀で遠征、短刀二振りは手合わせ。その間に書類仕事を審神者が進め、夕食後は全員で今日の報告会、気になる点などの意見交換の場を終えたら漸く入浴を含め自由時間となるのだが、立ち上げたばかりの本丸はやはり忙しい。
 昼食に使うので収穫するよう言われている茄子とピーマンの出来を確認していた山姥切国広は、名を呼ばれて振り返った。大倶利伽羅は本丸に来てまだ三日目だが、部隊長として出陣し誉をかっさらい、今や政府の定義する練度で三振り目の江雪左文字に近い練度まで経験を積んでいる。投石兵ともかなり相性がいいらしい。
 同じ打刀として会話する機会もそこそこあるが、どちらかといえば寡黙な刀で、慣れ合いをするつもりはないと断言していることもあって少しばかり驚いたと同時に興味も引いたのだが、表情があまり読み取れない山姥切国広ではそれが相手に伝わることもなかっただろう。布を深く被ってはいるがしっかりと向き合えば、大倶利伽羅の方が僅かに視線をずらした。

「あいつは、寝てるのか」
「……あいつ、……主、か」
「顔色が悪い。食事量も少ない。霊力が不安定なのは見ればわかるが、あの霊力量であれば本丸維持自体はそこまで問題ない筈だ。なぜああも疲労を溜めこんでいる」
「……それは」
「あんたは、なにか聞いているのか。初期刀殿」
 僅かにだが、煽るような声音だった。その言葉に山姥切国広が僅かに視線を落とし、ふん、と大倶利伽羅は察して顔を背ける。
「人の子は脆いぞ」
「……わかっている」
 ならばなぜ。そんな視線を受けて、山姥切国広は覚悟を決めて顔を上げた。布に隠れがちな翡翠の瞳に見つめられた大倶利伽羅が僅かに目を細めると、話したいことがある、と山姥切国広が口を開く。

「慣れ合うつもりはない」
「わかっている。ただ、主を守る為にも何振りかには知ってもらいたい話だ。一部隊揃ったら言おうか迷っていたんだが……確かに限界なのかもしれない。今夜、風呂が終わったらこの場所に来て欲しい」
「……乱藤四郎か薬研藤四郎に言ったらどうだ」
「あんたが俺に聞いたのが切っ掛けなんだ。悪いが諦めてくれ」
 普段写しがどうのという癖に、こうと決めてしまえば意外に押しが強い。しかし確かに人の子の状態を気にかけたのも初期刀を煽ったのも自身であると自覚しており、盛大に長くため息を吐いた大倶利伽羅は、無言でそのまま畑仕事に取り掛かった。


 夜、風呂が終わると逡巡したものの言われた通りに畑に向かった大倶利伽羅は、ほどなく現れた山姥切国広に促され、畑横の蔵に互いの距離を僅かに開けながら背を預ける。

「写しなんかが呼び出してすまない」
「そんなことはいい。それで、なんのようだ」
「……主の、この本丸の担当に聞いた話だ。いや、実際はこんのすけを通して伝え聞いたんだが」
 語りだした切国に、勝手にそれを言っていいのか? と思いながらも口を閉ざした大倶利伽羅は目を伏せ腕を組んで続きを促す。何度か言い淀む様子を見せた山姥切国広だが、それでもそうと決めたせいかそれはほんの数秒で。

「主は、過去から拐かされてここにいる」
「……は」
「主からも初期刀として聞いた話なんだが、正直今思い出しても平成、令和辺りに出陣したいくらいなんだ。……主は、主曰く変質者とやらに路地裏に連れ込まれて、襲われたらしい」
「……なんだと」
「……未遂であったような口ぶりだったが、まだうら若き女人が気にしないわけがない。……気づいているかもしれないが、主は己の、とくに右側に人に……いや、ある程度上背のある男に立たれることに恐怖を感じている節がある。正面、特に頬の辺りに手が近づけば、硬直する。……袖をまくればまだ二の腕に痛々しい痣が残っているし、あと脛にも痣の後があったな。頬の怪我はさすがに政府が治療したようだが、恐らく俺たちに見えない範囲を治療しただけだろう。担当の奴は知らずに謝っていたが」
 大倶利伽羅も実は料理する過程で、洗い物をする主の二の腕に僅かに覗く痣には気づいていた。隣で作業すれば一瞬確かに驚いたような素振りは見せるが、しかしすぐ落ち着いて穏やかな空気を纏うので、それが恐怖心からくるものだとは気づけなかったが。
 山姥切国広からもたらされた情報だけで、十分何があったのか察してしまった大倶利伽羅の手が無意識に刀へと伸びる。初期刀が主の不調を知っていながら周りに言えずにいた理由はこれだったのか。初鍛刀の乱藤四郎とて男だ。男だらけのこの本丸で、己の主が何も言いだせないのも頷ける。そんな恐ろしい体験をした後に拐かされて……とそこで大倶利伽羅はひくりと喉を鳴らした。待て、その変質者とやらと誘拐犯は違うのではないか、と。
 大倶利伽羅の視線を受けて、山姥切国広は僅かに布を引き下げて視線を遮る。何かに耐えるようにその指先に強く力が入っており、白く色が変わっている。
「だが、問題はそこじゃない。……いや、そこでもあるんだが、その傷口に塩を塗りこんだのが政府の主を勧誘した人間だ。……呪術師で、言霊を使う男だったらしい」
「……洗脳されたのか。だが、あいつの霊力は」
 浄化と抵抗力が高いのは、その霊力を受けて顕現した大倶利伽羅も、そして初期刀の山姥切国広もよくわかっているだろう。余程その呪術師の能力が高かったのか。とうとう蔵から背を放し顔を上げた大倶利伽羅と、山姥切国広の視線が合う。既に夜も更けているが、打刀二人は夜目も利く。互いの顔を見るのに支障はなかった。……山姥切国広の顔は悔し気に歪み、大倶利伽羅の表情もまた険しい。
「恐らく洗脳まではいっていない、というのが担当の判断だが、その魂に役人の言葉が染みついている可能性はある、と」
「どういうことだ」
「……主は男に襲われている中でその呪術師に助けられた。いや、そのタイミングであえて拾われたんだ。その後人形にまじないを施し主と誤認させ、変質者の屑が人形をいたぶる様を見せつけられ、お前はこの後死ぬのだ、死んだのだと主に言い聞かせたらしい。人形が死ぬ様を見せ、打ち捨てられるまで。自分は助けに来たのだと、審神者になれと、断ればお前があの人形と同じ運命を辿る……お前は死んだのだと、執拗に。まぁ、これは担当が呪術師本人から聞き出した話だから、実際のところは推測しかできないが」
「……」
 今度こそ大倶利伽羅はぐっと己の本体を掴み、しかしその刃を向ける対象がおらず歯噛みする。まだ顕現三日目、慣れ合うつもりもない。だがそれでも大倶利伽羅は別に主を嫌っているわけではなく、必死に日々を回すさまを見てすぐ多少手伝ってやってもいいと厨に並び立ったくらいなのだ。
「主は自分は既に死んだと、知らず思い込んでいる。自覚は恐らくない。あくまで存在が死んだのだという口ぶりだが、聡いのだろうな。自分が『非常に利用しやすい駒』であると、理解している。いや、しているから、洗脳されずに済んだのだと思う」
「……何?」
「自分を善意から助ける為ではなく利用する為に助けられたのだと正しく悟り理解した為に、盲目的に相手の駒になるような洗脳はされずに済んだ。が、同時に自分が替えの利く捨て駒であるということも納得してしまったんだろう、と。担当はそこそこいい伝手があるらしく、主が現世に連れ込まれてからその存在に気づいて、無理やり担当に割り込んだらしくてな。心配して、できれば数振りでもいいから、主を守る為に事情を知ったほうがいいと連絡してきたんだ。……主が言っていたんだ、初日に、本丸が貰えただけマシだと、『巻き込んじゃったけれど、頑張って生きる場所を作るから、一緒に、生きて、戦ってくれ』と。……あんたが初陣の際、なるべく中傷で撤退するように、大将首を前にしても重傷で進軍しないように言われたときのことを覚えているか。『どこで死ぬかは俺が決める。命令には及ばない』……あの言葉に、主の霊力が揺らいだこと」
「……ああ」
「主は恐らく俺たち刀剣男士を、替えが利くと見ることはない。自分と重ねてしまう。俺たちが折れれば、主は……いや。写しなんかが余計なことを言ったな。なんにせよ、これから演練の参加も考えないといけないが、主の右側を守るのは短刀になる。あと呪術師側の政府の人間が万が一接触してきた場合の対策……そういったことを、ある程度打ち合わせたい」
「……そうか」
「……ああ、そろそろ、いくか」
 もたらされた情報量の多さと己の初陣の時の状況を正しく思い出した大倶利伽羅がぎりりと歯を噛んだ時、空気を変えるように声音を変えた山姥切国広が返答を待たずに歩き出す方向が自室のほうではないことに、まさかと思いながら大倶利伽羅も後に続く。
 それは予想通りだった。明日の朝も早く、もう寝ていてもおかしくない時刻であるのは間違いないのに、少し離れた先にある手合わせ用の鍛練場から漏れる光と僅かな音。まさか主がいるのかと眉を寄せる大倶利伽羅を手招いた山姥切国広が、小さな窓から中を覗くような動作をして一度身を引く。見てみろ、そう言われているのだと理解した大倶利伽羅が内心で慣れ合うつもりはないんだがと思いながらもちらりと視線を向ければ、そこに、ひらり、と薄い布が舞う。
 審神者が、舞っていた。
 手にした扇から飾り紐がゆらゆらと流れるように宙を舞い、薄い千早と色を合わせ、くるりくるりと主が舞う。霊力に常に気を配っているのだろう、常にないほどその周囲に満ち溢れ、きらきらと輝かんばかりにそれらが本丸へと注がれていくのがわかる。呆然としばしそれを見つめていた大倶利伽羅は、同じく山姥切国広も中を見る動作をしたことに気づいてはっとして窓から離れた。

「寝不足の原因はあれだろう、止めないのか」
「いや、あれは解決方法だ」
「は?」
「こんのすけに相談していた。霊力を安定させる修行がしたい、と。あと、悪夢を見てどうせ眠れないのだと。ああして疲れ切るまで鍛練してからでないと、寝れないらしい」
 悪夢の内容など察して余りある。
「……くそっ!」
「……疲れた頃には部屋に戻る筈だが、まだ霊力の扱いに不慣れだからな、実は俺や江雪を呼び出したときも倒れたんだ。今夜はあんたに任せていいか、俺は近侍の仕事の後まだ風呂に入っていない。シャワーでも浴びる」
 つまり無事に部屋に戻るのを見守れということか。慣れ合いは光忠や貞宗とやってくれ、俺は連中とは……いや、そもそもこの本丸にはその二振りはいないし、今この場にいるのは己と初期刀だけだ。

「……さっさと戻れ」
「わかった」

 さく、さく、さく、と小さな足音が遠のいていく。もう一度だけ窓の向こうをちらりと見た大倶利伽羅はすぐに眉を寄せ、その窓枠のすぐ隣に背を預けて目を伏せると、耳に届く音に身を委ねた。


「倒れるまでやる必要はないだろ……」
 終わったかと安堵したところで窓から見えるその姿がふらりと傾くさまを見てしまった大倶利伽羅が慌てて中に入れば、主は青白い顔でぐったりと床に寝そべっていた。呼吸から見てもただ眠っているだけなのだろうが、床に手をついて起こそうとした大倶利伽羅は眉を顰める。当然床は固く、そしてここは冷える。しかし起こして眠れなくなったら?
 どうしたらいい。一瞬の逡巡の後、仕方なく大倶利伽羅は主の身体をそろりと抱き上げる。扇や装置はそのままだが、別に明日でもいいだろう。歩き出して少しして主の部屋には確か入れないのだと思い出した大倶利伽羅は、舌打ちをしながら自室へと足を向ける。ふざけるなよ、男が怖いんじゃないのか。そう思うが、そもそも主は刀剣男士を怖がる素振りは見せていない。ふん、と鼻を鳴らしながら自室の襖を足で開けた大倶利伽羅は、眠る為に引いていた自身の布団に主を寝かせると襖を閉めに戻り、そのままどかりと襖に背を預ける形で座り込む。
 ちらりと視線を向ければ、相変わらず青白い顔で、しかし穏やかな表情で主はぐっすりと眠りこんでいる。ただ、気が回っていなかったのだろう。抱き上げた時に捲り上がったらしい舞の為かやや短い袴の裾が……足が曝け出されており、それを見た大倶利伽羅は目を丸くしたあときつく眉を寄せ、そっとその衣服を正すと布団をかぶせる。二の腕や脛だけじゃないのか。その体にどれだけ痕を残したのだ。

 太腿に浮かび上がっている痛々しい痣は、恐らく怪我をして十日経った今も色濃くその白い肌に残っていた。


▽▽

 審神者とは、神意を解釈して伝える者のことである。
 これが私の前世での知識だ。まぁ、ゲームにはまってからその意味を調べたのだけど。それに加え、こちらの世界での審神者については資料にこう記されている。
 審神者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技を持つ者、と。



「本当にごめんなさい、すみません、あああああ」
「……さっさと手を動かしたらどうだ」
「仰る通りで……」
 審神者になって十一日目。正確には十日目の夜とんでもない失態を犯した私は、一番最近顕現したばかりの刀剣男士、大倶利伽羅に多大な迷惑をかけた。
 朝目が覚めてなんだか違う天井を見つめ、そしてなんとなく覚えのある匂いに首を傾げて起き上がった私は、起きたのか、という低い声に驚いてそちらを見つめ文字通り飛び上がることとなった。襖の前に座り込み背を預けているのは、間違いなく、大倶利伽羅。そしてここは自室ではなくて、辿る昨夜の記憶が、鍛練場で途切れている。

 ――やらかした!

 すぐさまそう悟った私がひたすら土下座もどきで頭を下げるそれを見て深くため息を吐いた大倶利伽羅は、さっさと戻れ、まだ早朝だと促し、私が慌てて布団を畳……もうとしたらそのままでいいと追いやられ、そうだ仕事と急いで自室に戻ることとなった。途中庭を散策する江雪に首を傾げられたし、なんだ元気だなと目を丸くする薬研ともすれ違ったが、ひとまず自室に逃げ込んだ私はすぐシャワーを浴びて支度をし、日課の祝詞を奏上して予定時間ぎりぎりに厨に飛び込んで……再び大倶利伽羅と遭遇したわけである。
 手を動かせと注意されてしまいカシャカシャと卵をかき混ぜるが、心はざわざわと落ち着かない。なんで私は昨日寝落ちたんだ。いつ大倶利伽羅に助けられたんだ。そういえば寝落ちる寸前に足音を聞いた気がしないでもない。もしかしたら、大倶利伽羅も眠れなくて体を動かしに来ていたのかもしれない。練習場所、変えたほうがいいだろうか。そんなことをぐるぐる考え、目の前の卵液もぐるぐる回る。
 今更だがこれ何作るんだっけ。ああ、そうだネギが育ったからネギいりの卵焼きでも。はぁぁ、ああ、やらかした……

「今日」
「ふぁい!」
「……鍛刀はするのか」
「えっ、あ、そうですね。ちょっと資源もたまってきたし、そうだな……脇差、そろそろ来て欲しいですね。あと今後催し物に参加するとなると、短刀……はドロップの可能性もあるのでそちらに期待して、やっぱり太刀か打刀……大太刀はまだ資源が厳しいか……」
 頭の中に資源の残りを思い浮かべ、すぐさま思考を切り替える。うちは現状毎日鍛刀しているわけじゃない。といっても全然していないわけではないのだが、今のところ既に手持ちの刀が鍛刀された場合はその刀に連結しているので、なかなか刀剣が増える状況にはなっていない。
 決められた上限を越えなければ、資源は毎日ある程度政府から配布される。他日課任務に月課任務、主要任務と様々あるが、こなせばその分報酬として資源が与えられる。刀剣男士の数が少なくとも、毎日ある程度の資源は集まるのだ。
 しかしそれに頼って、例えば一日三回鍛刀すれば資源が各150もらえるからとプラマイゼロを狙ってALL50レシピで刀を増やし続ければ、確実にこの先苦しい状況が訪れる。ゲームで言うならば六面……池田屋の記憶がこの本丸に開放されるまで、極める前の短刀たちにとって昼の戦場が厳しいのは間違いないのだ。まぁ、それでも出陣はしてもらわなければならないのだが。
 決して弱いと判断しているわけではない。得意な戦場が違うだけだ。短刀は大器晩成、極めた短刀を確実に早期に入手する為にも、今増やすべきは昼の戦場を安定して突破できる刀種だろう。……薙刀も狙いたいが、手入れも考えると今資源に余裕がない。
 ある程度育つまでは短刀を他の刀種と昼戦に出陣させ、本番の池田屋の戦場に備えたいが、その為にもまず昼に強い刀種で戦場を解放しなければならない。現実でもゲームと同じく、武家の記憶、室町鎌倉あたりの戦場厚樫山を突破できる本丸でなければ、ゲートが開かないよう設定されている。無茶をしない為、だろう。無謀と勇気は違うのだ。
 それに現段階の本丸に配給される運営費を考えると、増え過ぎても賄えない。戦績を、残さなければ。

「あんたの考えはわかっている。だが、七、八振りは必要だ。出陣の他に遠征も安定して回したいんだろう。あと、供をつけろ。知らないところで倒れて探し回らせたいなら別だが」
「うっ……気を付けます。うーん、そうですね。……今五振り、となるとあと二、三振り……であれば、今の畑の状態ならなんとかなると思います」
「今日は維新の鳥羽に行くと言っていたな。脇差が発見される報告があっただろう」
「戦場で見つける確率は低いですけど、そうですね」
「……探してやる。資源の上限を迎えるくらいなら、そろそろ使え。手入れ資源は十分あるだろう。人手が増えれば、調理にも回せる」
 じゅう、と焼ける音がする。大倶利伽羅が人数分の鮭を焼いているのだ。
 余程心配をかけてしまったのだろうか。慣れ合わないと語る彼とこうして長く会話を続けるのは、初めてだ。早いうちから調理の手伝いに来てくれてはいたが、厨で会話が弾んだ記憶はなかった。

 審神者とは、神意を解釈して伝える者のことである。

 慣れ合うのを嫌う大倶利伽羅と、どう交流していけばいいのかと、正直に言えば悩んでいた。
 無言だろうと必ず食事の用意を手伝いに来てくれるだけで十分だろうとも思った。でもだからこそ、彼の見えにくい優しさを感じるたびに、失うことを恐れた。ゲームでは本気で悩んだことがなかったが、もし、命令には及ばないという彼が死に場所を決めてしまったら。私の手の届かぬところで、帰らぬ刀となってしまったら。それは思っていた以上の、想像以上の恐怖であったし、大倶利伽羅がたまたま口に出しただけで他の刀たちにも言えることだと気づいてしまった。彼らは刀だ。状況によって戦場で散ることを厭わぬ者もいる。

 審神者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる。

 想い、心に触れてしまえば、私はそれを否定したくないし、戦場を死に場所と決めた彼らに帰れと指示を出していいものか不安になった。折れたら二振り目を育てる? いや、きっと私はそれができない。部隊を率いる将としては不合格だと頭で理解はしている。だけど彼らは、私と違って捨て駒であってはいけない。私がそうしてしまったら、私が本当に物言わぬ捨て駒になってしまう。あの人形わたしのように甚振られても文句を言えず、淡々と受け入れる駒になどなりたくない。それは私の心で、あれには渡したくはない。心を持つ彼らを、代わりがいるだなんて思いたくない。
 必ず帰ってきて欲しいと言ってはいけないのか。

「俺たちはそう簡単にくたばったりしない」

 ぼろり、と、視線の先、足元に雫がつぶれて広がる。

「俺は一人で戦って、一人で死ぬ。どこで死ぬかは、俺が決める」
「……は、い」
「あんたを守るのも、俺一人で十分だ」
「は……え?」
 あれ、と慌てて顔を上げる。既に魚を焼き終え皿に盛りつけ終わっている大倶利伽羅の視線が、私を射抜く。
 今なんて言った? 私を守る? 突然のデレ?? そんなタイミングだったか? だが、刀だからな、と続けられてしまえば、それが刀剣男士の役割として言っているのだと意味はわかる。
 が、疑問は残った。
 あれ、そういえば、慣れ合うつもりはないというのが大倶利伽羅の常の言葉だが、俺一人で十分だ、というのもよく聞く言葉だ。……その大倶利伽羅が、刀を増やせ、と言ったのか。
「あんたは、一人で生きるには危なっかしい」
「えっ」
「あんたの本丸だ、俺たちはあんたの刀だ。言いたいことは、言えばいい。俺たちを目覚めさせたのは他でもないあんただからな」
「……い、う……?」
「俺は慣れ合うつもりはないが、こうして耳はついているんでね」
「え、それって、」
 聞いてくれるのか。ぱちりと瞬きすると、溢れた涙が頬を伝う。それを慌てて拭うと、大倶利伽羅の口角が僅かに上がる。
「あんたを守って死ぬ誉は俺が貰ってやる」
「いやそれ誉じゃないです生きて」
「なんだ、言えるのか。まぁ、俺は慣れ合うつもりはないが」
「聞いてくれるのでは!?」
「さぁ、何か聞こえてはいた」
 あれ意地悪かな!? ぱくぱくと次の言葉を詰まらせ呆ける私を前に、大倶利伽羅はさっさと手を動かせ、と言いながら卵液の入ったボウルに刻んだネギを散らす。そのまま手を動かし、それで鍛刀はどうする、とあっさり話題を戻してしまった。ちょっと待って、審神者ついていけてない。
「えええ、ええっと、そう、ですね。太刀……大太刀辺りも考えて、二振り分。午後同時に鍛刀します」
「午後?」
「えっと、すみません。出陣が終わってから、ですね」
「ああ、顕現でたまに倒れるんだったか」
「……聞いてたんですね。でもたぶんもう大丈夫です、結構感覚つかめてきたので」

 人はそれをフラグという。



「まさか本当に脇差を見つけてきてくれるとは」

 出陣……何度目だったか。部隊長の大倶利伽羅が次だ、次だと出陣を促し何度目かの鳥羽、そこでとうとう出陣していた五振りは、我が本丸六振り目となる刀、脇差、堀川国広を得て帰還した。「こっちに兼さん……和泉守兼定は来てませんか?」と予想通りの台詞で顕現した堀川くんは兼さん……和泉守兼定がいないと聞いても嫌な顔をせず、待たせず先にこれてよかったですと笑顔で頷き、さっそく出陣となった。
 恒例の単騎出陣の後堀川くんが手入れ部屋を出るのを待って全員で向かったのは、鍛刀部屋だ。今日は二振り狙うと聞いて全員がついてきたのだが、各鍛練所の妖精にせっせと資源を入れ込む作業を全振りで行ってしまえば、その瞬間はあっという間に訪れる。

「木炭と砥石はいつもどおりだね! 任せてあるじさん!」
「よし、大将。玉鋼660、納めたぜ」
「冷却材は760だったな」
「こちらも……揃いました……」
 全員をぐるりと見回して、よし、と気合を入れる。一気にこんなに資源を使うのは、初なのだ。
「では、お願いします、妖精さん」
 その言葉を伝え扉を閉じた瞬間、ぱっと出入り口に鍛刀までの残り時間が表示される。

「えっ」
「おっ? 大将、四時間って書いてるぞ」
「こっちは三時間二十分だ。……江雪の時がそうだったな」
「おや、そうでしたか……四時間、は、太刀でしょうか……」
「……政府の発表を信じるならどちらも太刀の可能性が高いんじゃないか」

 太刀だ。しかも四時間と三時間二十分って、一振りが江雪であったとしても確実に一振りは仲間が増える。
「……切国」
「なんだ?」
「倒れたらごめん」
「は?」
「先にご飯にしよう。二振り顕現しても大丈夫なようにおにぎり作っておかなくちゃ」
「おい、あんた、結構感覚掴めたとか言ってなかったか」
 大倶利伽羅の突っこみを受けつつ、私は厨に走る。さすがにその時間が出るのは予想してなかったんだよ仕方ないだろう。
 そうして挑んだ四時間後、ごくりと喉を鳴らしまず四時間の刀……なんだか見覚えのある月の鞘を持つ刀に手を触れさせようとした私は、ずるり、と霊力がごっそり抜ける感覚が制御できず、一歩踏み出してなんとか体勢を立て直そうと試みる。
 ひらり、と桜が舞う。
「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ……うん?」
 戸惑うような声が聞こえた。溢れすぎたその霊力が隣に並ぶ江雪とは違う太刀にまで流れ込み、そしてさらに桜が舞う。ほぼ同時に顕現した二振りの顔を見た瞬間、よかった、と笑みを浮かべたものの私の意識はふつりと途切れたのだった。

▼▼

「よっ。鶴丸国永……だ……が、は? え、主だよな? ちょ、おい、倒れたぞ!」
「ああ、あるじさん!」
「……鶴丸国永」
「いっだ!? あ、なんだ伽羅坊か!? 久しいが、痛い痛い痛い、待て、なんで主が倒れたんだ!」
 主を助け起こそうとした鶴丸国永の白い頭をがしりと掴んで押さえ止める大倶利伽羅の下で、これを予想していたのかと遠い目をした山姥切国広が主を抱き起こし、乱藤四郎がぱたぱたと寝床を整えに走る。なるほどなと頷きながら薬研が二振りにはっきりと状況を伝える為に口を開いた。
「いやまぁ、あんたたち二振りにごっそり霊力持っていかれて制御できなかったんだろうな」
「え、主さん大丈夫ですか!?」
「世は、悲しみに満ちています……」
「そうかわかったすまなかった、確かに清らかでいい霊力だと思ってもらい過ぎ、ったあああ悪かったから放せ伽羅坊!」
「ふむ……スキンシップと言うやつか?」
 騒がしい隣の既知の刀をきょとんとした様子で見守りつつ屈んだ三日月宗近が、そろりと山姥切国広の腕の中で目を閉じる己の主の頬に触れる。
「……多すぎる、というやつか」
「ああ、そうだ。主は霊力量が多いが、それを自覚したのも最近だったせいでまだ制御に慣れていない」
「すまんな、差し出されるだけ受け取ってしまった」
「いや、これが初めてじゃないからな、主も予想していた」
「はっはっは、そうか、そうか。……して、得たばかりの主とはいえ、愛しい人の子よ。この子の……俺の新たな主の魂が器から剥がれかかった理由は、なんだろうなぁ」
「……なんだと」

 ぴたりと山姥切国広と薬研藤四郎が動きを止める。堀川国広は戸惑いに主の前で膝をつき、大倶利伽羅は、目の前で目を細める鶴丸国永に視線を止めた。江雪左文字は、そっと視線を伏せる。……なるほど、刀装を操る数が多い太刀の連中は、神格が高いのか、その在り方のせいか、見えていない者が見えているらしいと山姥切国広は口を引き結ぶ。

「それは……」
「心当たりがあるか、なら、まぁ、今はとにかく休ませるといい。恐らくその無理に引きはがされそうになって生まれた傷から、意思に反して霊力が引きずり出されるのであろうな」
「……そうか。わかった」
 山姥切国広は主を抱き上げると、薬研に視線を向けた。目が合った薬研は、任せろと笑う。
「こんな状況だが、主の心遣いは受け取って欲しい。兄弟と、三日月宗近、鶴丸国永の三振りには、主が握り飯を用意している」
「そうか、あいわかった。ありがたくいただこう」
「案内するぜ、旦那方」

 一人だけ口上を上げることもできなかった鶴丸国永がちらちらと主をひどく気にしながら離れていく。そうして残ったのは、三振りだ。

「……何か、知っているのですね……」
「あんたにも、見えていたのか」
 悲し気に目を伏せる江雪に、大倶利伽羅が魂の状態について問う。しかし江雪は、いいえ、と首を振った。
「ただ少し、状態が危ういように見える時がある、と。三日月宗近殿程、はっきりとしたものではありません……舞の鍛練で随分と制御が上手くなっていた、と……思っていたのですが……」
「あんたも、気づいていたのか」
「ええ、そうですね。……私も、主が目の前で倒れた時は、驚きましたから……」
 つまり気にかけていたらしい。息を吐きだした山姥切国広が主を抱きかかえて歩き出すと、こっちだよ、と執務室の隣室に寝床を整えたらしい乱藤四郎の声が遠くから聞こえる。江雪左文字は静かに新しい刀たちの方へと向かい、二振りとなったところで、大倶利伽羅は小さく口を開く。
「どうするんだ」
「八振りは揃った。まず主を説得する。あんたには聞いてもらったが、勝手に言いふらすわけにはいかないからな」
「なら、俺にも言うな。群れるつもりはない」
「今更だな。あんた、写しの俺なんかよりも近侍に向いてるんじゃないか」
「ふざけるなよ」
「冗談だ。俺は写しだが、主の初期刀だからな。まぁそれでも、初期刀と近侍は別だろう? 近侍については俺に固定しないほうがいい。出陣中主が一振りになるのは避けたい」
「こいつが決めることだな」
「そうだな」
「ちょっと二人とも遅ーい! はやくあるじさん休ませてあげて!」

 乱藤四郎が駆け寄り、二人は口を閉ざして踏み込んだ部屋に主を寝かせる。乱、と呼んだ山姥切国広が、初鍛刀で主の懐刀であろうと努力するその刀に、どうせ知られることだと先に三日月宗近が語った内容を伝える中、大倶利伽羅は一度主の横に膝をつき、そしてそろりと部屋を抜け出した。


prev

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -