六話(長義side)




 長義がこの本丸に所属し既に一月以上が経った。十二月を迎えたばかりの本丸は、主の意向で冬の景趣となっており、室内以外はかなり冷える。これでも畑は霊力の補佐を受けて今も夏の野菜が実っているというのだから驚きだが、味や見た目は旬の時期に比べて僅かに落ちるらしい。それでも冬を楽しみにしている者はそこそこおり、今朝も早くから大広間前の中庭に雪だるまやかまくら、鶴に似た雪像が出来上がっていた。……やたら再現度が高い雪像に関しては突っ込みは入れない。が、作った者が望んだ通りに驚きを提供できていたのではないかと思う。誰が作ったかは非常にわかりやすかった。

 今現在期間限定で秘宝の里が解放されており、戦果によっては江派の新しい刀剣男士を迎えることができるとあって、本丸内は絶対にお迎えするぞと気合が入っているようだった。とはいえ配属されたばかりの長義は序盤に二度ほど出陣したがその後は午前に一度通常通りの戦場に出陣するくらいで、たまに遠征に混じるものの少し暇な時間が増えていた。現在一番難易度が高いとされる辺りを極めた刀たちで集中的に回っている為、相変わらず審神者はひどく忙しそうだ。
 月末に連隊戦が開催される予定で、長義は第一部隊隊長を言い渡されている。年末年始にかけて行われるそれは御歳魂を集めて修行道具とこれまた新刀剣男士を迎えるのだと主を中心に皆意気込んでおり、しばらく忙しくなりそうだなと考えながら長義が向かっているのは執務室だ。連隊戦に向けて今は遠征部隊も多く、出陣数も減らされてはいないため本丸内はどこか閑散としている。長義も午前出陣、午後すぐに遠征に出ていた為、今はもう八つ時もすぎて日がかなり傾いている。いつもより遅い時間ではあるが仕事はいくらでもあるだろうとたどり着いた執務室にはしかし人気がなく、視線を巡らせた長義ははたと驚いて目を瞬いた。

「……主?」

 執務室の左隣、刀たちの休憩用に用意された部屋への障子が開け放たれている。そこに形を変える大きなクッションに上半身を預けて眠っているらしい己の主を見つけた長義は、珍しいこともあるものだとそろりとそちらに近づいた。ぐっすり眠っているのか、その手が持つ本が落ちかかっている。そっとその本を抜き取れば、可愛らしいキャラクターや花が描かれたそれはどうやら少女漫画のようだった。
 この部屋は主の私物が多く置かれているが、主の私室ではない。主が揃えた漫画や小説、図鑑などが多く並んだ本棚に、人を駄目にするというクッションがいくつか置かれた、どちらかといえば刀剣たちが楽しく過ごせるように整えられた部屋だった。主の私室はここではない離れにあり、そこに出入りできるのはこの本丸を支える、『三大近侍』などと呼ばれる最初の三振りの刀だけだ。その中に己の写しが含まれていることを思い出し、長義は僅かに眉を寄せる。

 審神者の絶大の信頼を受けた三振り。その中でも山姥切国広は主不在の際の部隊の指揮すら任されている本丸の総隊長だ。実際主の傍にいるのは残りの二振り、薬研藤四郎と大倶利伽羅であることが多いが、長義がこの本丸に来ることとなった任務聚楽第でも部隊長を務めていたのは山姥切国広である。
 その絶大な信頼を寄せる山姥切国広に正面から偽物くんと絡んだ長義を目の前にしたときも主は特に反応を見せた様子はなかったが、恐らく審神者の印象はよくない、そう思ったのに、この主ははやく体を慣らし練度上げにと長義を現在集中的に出陣させてくれているし、執務室に顔を出しても嫌がることなく傍に置く。共用として支給されている端末から他本丸の、特に山姥切国広を初期刀とする本丸で山姥切長義があまりうまくいっていないという情報も見聞きするというのに、うちの主の普段からの様子では、長義と仲良くしていこうという意思すら見えた。
 もちろん多くの本丸があるのだからどこもかしこも山姥切長義という刀が受け入れられていないわけではないとわかっているし、むしろ見聞きする噂が少数なのだろうが、それでも自分はおそらくかなり良くしてもらっている。そう感じるはずなのに、なぜか何かが胸の奥で燻っている。

 霊力も高く上質で、政府もブラック本丸など困った案件で頼ることがあるという高い浄化能力持ち。何より普段はふわふわとした女人であるというのにいざ戦闘となれば戦場での采配も文句なしの優であり、書類仕事も決して手を抜いたりはしない。自分という分霊はとても恵まれた本丸に来た、それを理解したのは来てすぐのことで、だからこそ長義も相応しくあろうと努力している最中だ。
 執務室に来たのは、約束したわけでもなくなんとなくだった。いや、一応仕事の手伝いはないかと聞くつもりで来たのではあるが、口実だ。出陣で疲れは感じるが、なんとなく足が向いてしまったため。持てるものこそ与えなくては。
 だが、こうして休憩しているのは予想外だった。今はまだ秘宝の里に出陣中の筈なのに水鏡に使う為の器の中身は空であり、しかも転寝とは。まぁ秘宝の里は政府主催のもので危険は少なく、あれほどの出陣回数にすべて水鏡の術で対応するのは霊力の消費が激しすぎる為、休憩は賛成だ。が、驚くのも無理はない。長義の知る己の主はいつも何かしら動いていたし、無防備な姿をさらしたことなどなかったのだ。

「……まったくこんなところで。体を冷やしたらどうするのかな」
 部屋は暖房が入れられていて暖かいが、眠ると体温は下がるだろう。長義は押入れから適当な毛布を一枚取り出すと、主の身体にそっとかける。
 そのまま戻ろうと思ったが、どうやら今は過保護なくらい張り付いているあの三振りがいないらしいと気づいて長義は腰を下ろした。眠っている彼女がこんな男所帯で一人でいるのは、だなんて理由をつけた長義は、少しの間ぼんやりと主を見つめ、己の行動にはっとして慌てて視線を外した。眠っている女人の顔をまじまじと見るだなんて紳士的ではないと、持ったままだった主が読んでいた少女漫画に視線を落とす。一、と書かれているので、続き物ながら一巻であることは間違いないだろうと、暇つぶしにそれを開く。


 主人公はまだ年若い女性のようだ。学校機関らしきものに通っている少女は恋人と仲睦まじい友人を羨み、恋人を欲しがっているようなのだが、どうにも異性と話しても恋に発展していないらしい。恋に恋するとはよく言ったもので、好きだから恋人にではなく恋人がほしいから好きになれるかもしれない相手を探している状態が一話でよく描かれており、そこにこの漫画のメインヒーローであるらしい少し物静かな少年が登場する。気にかかってはいるようだが話す機会もあまりなく、どこかに恋が落ちていないかと少女は日々を過ごしている。へぇ、と長義は特に深く考えず、その本をぺらりぺらりと早いペースで捲っていく。
 恋人ができないと嘆き、友人に誰か気になる人はいないのかと問われた主人公は、気になると好きとは同じなのか、違いはなんだろう、と三話目で漸く深く考え出した。そこまでただ文字を追っているだけだった長義がふと、目を瞬く。友人たちが恋を主人公に教えるその描写が、なぜか気にかかって数ページ前に戻って読み直す。
 何か理由をつけて傍にいたくなるだとか。遠目でも姿を見ただけで気分が高揚するだとか。話をすると胸が高鳴って嬉しくなるだとか、それを少しでも長く続けたいだとか。そういった可愛らしい行動にピンとこなかったらしい主人公に、もう一人の友人が説明したのは古来から恐ろしいと呼ばれる感情だ。それはすなわち嫉妬、悋気だ。

『その人が自分以外の女の子と仲良く話してたらもやもやしたり』
『距離が近かったり触られたりしてると悔しくなったり』

 吹き出しに囲まれたそんなセリフを見た長義は、ひゅっと自分の喉の奥がなることも厭わず文字を凝視した。
 自分が似たような感覚を知っている気がしたのだ。

 主人公はそれを言われてもわからなかったようだが、話すことは稀なメインヒーローを見かけるたびに目を奪われ、何か話そうと口を開き、という行動を重ねていく。読者にはわかりやすい行動でも、本人に自覚はない。だが孤高の存在と思われたその少年に、仲の良い幼馴染が現れたところで状況は変わった。腕を組む幼馴染の少女を見て、とうとう主人公がショックを受けたのだ。苦しい、と胸を押さえる所作に、長義は動揺して本を閉じる。いやまさか。これは、頑張る主を慕う刀剣男士として当然の感情の筈だ。だってそんな筈がない。そもそも自分はまだここに来て一月と少しで、そんなに時間を共に過ごしてはいなくて、と否定要素を並べるが、主人公もまた接点の少ない少年に恋をしているのだ。

 ぺらり、と何も考えずページを開く。

『恋なんて気づいたら落ちてるものなのよ』

 見えた友人の言葉に、こくりと喉を鳴らした。
 ああ、人の子の感情はなんと難しいものだろうと眉を寄せる。それでも納得できない主人公に、友人のとどめの一言が繰り出され、それは長義の胸を正確に射抜いた。

『手を握りたいなんて可愛いものよ。キスしたいと思ったり、それ以上したくなっちゃうのだって恋じゃん? その人以外には嫌悪感があったり、そばにいたいって思ったり、なんでもいいのよ、その人が特別ってこと!』

 長義の脳裏に、政府所属であった頃の出来事が蘇る。長義とて男の身体を得て顕現した刀剣男士だが、長義は割と淡泊なほうであったのか、他の男士に誘われてもそういった肉欲を発散する施設に世話になることはなかった。が、そんな長義に言い寄る女がいなかったわけではない。受けたことなど一度もないが、長義は確かにあの時嫌悪感を抱いた筈だ。なら、それが、もし、彼女だったら?
 それは本当に主従の特別だろうか。
 そこまで考えて無意識にすやすやと眠る審神者に視線を向けた長義は、ごくり、と喉を鳴らす。吸い寄せられるようにクッションに身を預けた主の薄紅の口元に視線が固定され、知らず膝を進めていた長義はひくりと再び喉を鳴らした。
 こんな男だらけの本丸で、無防備で眠っているのが悪いのだ。こくりと溢れそうになる何かを飲み込み、長義は行動を起こせばこの疑問が解決するのではないかと、そう、その時はその思考に捕らわれてしまった。
 屈めば、穏やかな寝息が聞こえる。僅かに熱を感じる気がして、そのぬくもりに触れたいと屈んだ長義の唇の先が、主である審神者の唇の先に、ほんの少し、僅かに、掠めたような、吐息だけが触れたような……それだけでがばりと実を起こした長義はばくばくとうるさい心の臓付近に手を押し付け、は、と短く息を吐きだす。顔が火照り、罪悪感とそして沸き上がる欲。手の平で口を押えようとして、無粋な手袋が唇に触れて拭ってしまうことすら厭わしくそれを下げた長義は、二秒後頭を抱えた。最低なことを、してしまったのでは。これでは、否定しようがない。
 少女漫画の中ではときめく状況なのかもしれないが、実際こんなことをするのは犯罪だろう。触れたのか? ぎりぎり触れていなかったか? 俺は主になにをしているんだ。寝込みを襲うなどなんたる……とぐるぐる脳内を後悔が巡る。冷静さなどどこかへ行ってしまっていた。
 変態、変質者、犯罪、ああ、なんてことを。

「嘘だろ、本歌たる俺が、いや本歌であるかどうかはこれには関係が」
「ん……ちょ、ぎ?」

 最悪だ。思わず声に出してしまった後、それが主を起こすきっかけになったのだと気づいた長義が慌てて顔を上げると、眠そうに目を擦る主がぼんやりとその瞳に長義を捕らえる。……この様子では気づかれていない筈、という事実が僅かに長義の冷静さを取り戻すが、罪悪感は深まった。俺は自分の主に何をしているんだ。その言葉を飲みこみ、同時に言葉を発せずにいると、毛布に気づいた審神者が首を傾げる。
「あれ、寝ちゃってたね。これ長義が?」
「あ、そう、だよ。駄目だろう、こんなところで無防備に寝てしまっては」
 言ってから長義は、しまったと内心舌打ちする。その隙を狙っておいて、何もわざわざ無防備だなどと指摘する必要はなかったというのに。慌てて「珍しいね」と付け加えるが、内心感情が荒れ狂う。
「んー……そうだ、ちょっと霊力使い過ぎちゃって、本読んで休憩してたつもりが、寝ちゃってたんだね」
「霊力を? 鍛刀でもしていたのかな。今は期間限定のものは何もなかったと思うけれど。まさか、里の任務まで水鏡でずっと確認していたのではないよね」
「ううん。秘宝の里は必要ないって言われちゃってね、時間も霊力も余らせておくのもったいないし、お守り作ってたの。売ってるものじゃなくて、手作りで予備を増やしてて」
「……お守りを、作る? あれは政府が協力を仰いでいる術者しか作れないものだと思ったのだけど、違ったかな」
「手順を踏めば作れるよ。……っと、これ秘密ね? これ以上政府に仕事増やされても困るんだった」
 しぃ、と人差し指を唇の前に立てる主のその指先の向こうに視線が留められそうになってしまうのをなんとか耐えて視線を逸らした長義は、はくはくと言葉を出せず口を開閉したあと、はぁ、と大きなため息を吐いてそれを誤魔化す。
「……そもそも俺がつい最近までその政府にいたことを忘れていないかな」
「でも長義はもう私の刀でしょう」
「……そうだけど。はぁ。もちろん報告する気はないが、こうして休まねばならないほど無理をするようなら、考え物かな」
「あら、それは困るな。……はい、長義。これ長義の分」
 ごそごそと起き出した審神者が懐から取り出したものを思わず受け取った長義は、その温かさにまず意識がもっていかれそうになったが、はっとする。手の上に乗せられたのは政府の売り出しているお守りと見た目は違うものの、確かにその効果を感じられるものだった。恐らくお守りの極だ。今まで刀装部屋の中にある箱に並んだお守りを好きに持っていくといいだなんて言われていたが、それとは格が違うもの。あの部屋にある無造作に箱に突っ込まれていたお守りは恐らく何かの任務報酬として政府からもらっていたものなのだろうとわかるほど、主の霊力が込められた、間違いなく手製のお守りだ。
 生地は瑠璃色に灰が鮮やかに混じったもので、銀糸の刺繍が施され、その刺繍が己の刀紋であった。紛れもなく長義専用と言わんばかりのそれが、二重叶結びの紐でさえも己の纏う色であると気づいて指先で撫でる。青色の小さな丸い石が紐に通され飾られているが、これはまるで自分の瞳の色ではないか。

「……これは」
「私、自分の刀の分しか作れないんだけどね、皆に渡してあるの。いい? 長義。それは内番だろうが遠征だろうが、必ず肌身離さず持っていて。あ、さすがにお風呂に持っていけとかは言わないけれど、忘れないように」
「あ、ああ。でもこれは、もったいないな」
「なら重症即撤退を必ず約束してね、例え敵の本陣が目の前でも。帰ればまた行ける。私は私の育てる刀剣のただ一振りも失うつもりはないの。たまに、換えはいくらでもなんていう子がいるんだけど、それは違うんだよね。それは私が育てた刀は本丸に今いる子たちだから。大切にされて付喪神になったあなたたちが、自分を大切にしなかったらだめだよ。言い方を変えると、本陣前の帰還なんていくらしてもかまわないけれど、戦力を失う方が痛手だから。この意見に時と場合とか例外は一切ない」
「……そう、かな」
「そうなの。うちの方針は命大事に最優先が本丸帰還! ただし、どうしてもそのお守りを使っちゃうような状況になったら、迷わず使って必ず私の元に帰ること。約束だよ、長義」
 長義は僅かに戸惑うが、少しして手の平のお守りのぬくもりに促されるように、頷く。
「約束しよう」
 これまで以上に強固に縁が結ばれたような気がして、長義が無意識に笑みを浮かべた。それを見た審神者が、にこり、と笑みを返した。
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