五話(長義side)




 次の日から長義はちょくちょく空いた時間に執務室に顔を出し、書類仕事を手伝った。それが三週間も続けばだいぶ仕事にも慣れてくる。もともと政府で似たような仕事をしていたこともあり、パソコンも使うことができたことが大いに役立っている。

 ここの審神者は基本的に出陣中常に水鏡を使って戦況を確認しており、その間書類仕事は当然滞る。
 水鏡による戦地の確認は基本的に霊力の消費量が高めであり、特別な指示がない限りは任意であることが多い。
 音まで拾うことはできないが鮮明さや視野範囲は霊力量や扱いの慣れによる差が出やすく、長義は主の映す戦場の様子の広さと鮮明さに始めはとにかく感心したものだ。見ているだけでも勉強になるくらいである。

 今日も気を緩めることなく戦場を見つめる主の目は真剣そのもので、後に仕事しやすいようにとその水鏡を見つつ敵の編成などをメモにとっていた長義は、ふと、主の様子が変わった気がして顔を上げた。目を鋭く細めた主を見てすぐ水鏡に視線を移すが、長義には何が起きたのかわからない。
「どうかしたかな?」
「……検非違使が来ます。まずいな、浦島の刀装がほとんど残って……」
 そこまで主が話したその言葉を遮るように、水鏡がやや波打つ。映し出される戦場に雷光が走り、出陣中の刀剣男士たちが身構えているのが見える。しばしその様子を見ていたが、敵の編成を見た長義は腰を上げた。

「槍がいるね。手入れ部屋の準備をしてくるよ」
「お願いします」

 出陣中の彼らは極めたものも多く、信じていないわけではないが相手が悪い。無傷とはいかないだろうと立ち上がった長義に端的に言葉を返した主の拳が僅かに握られる。水鏡では遠戦で刀装を削られたらしく軽傷を負った浦島虎徹を庇おうとしたのか、蜂須賀虎徹が槍に貫かれていた。そちらは刀装が残っておりまだ耐えられそうだが、既に刀装を失った浦島は敵大太刀の範囲内だ。恐らくすぐに帰還となるだろうと長義は急ぎ執務室を出ると、出陣ゲート傍に在る手入れ部屋の鍵を開ける。畳まれた布団を二組敷いて整えていると、ばたばたと少し外が騒がしくなった。
「なんだ、負傷者か!」
「誰か手伝ってくれないか、浦島が中傷、蜂須賀が中傷一歩手前だ! 馬を頼む!」
 声や普段は気にならない足音が近づいてくる。準備を終えた長義が立ち上がろうとすると、手入れ部屋に飛び込んできたのは、つい先ほどまで水鏡にも映っていた山姥切国広だった。

「……本歌」
「準備なら終わっているよ、負傷は二振りであってるのか」
「あ、ああ。助かった」
「偽物くんの為にやったわけじゃない」
 長義のその言葉に何か答えようとしたのか山姥切国広が口を開いたが、それは言葉になる前に遮られる。負傷した二振りが室内に運び込まれ、その後に続いて主が到着したことを確認した長義は、そのまま手入れ部屋を後にしたのだった。



「お疲れ様、主。一応俺のわかる範囲で敵の編成はまとめておいたよ。今日の日報はこっちに」
「あ、ありがとうございます、長義。薬研、こっちはいいから、出陣の準備を。この後予定通り三条大橋に出ます」
「お、腕がなるぜ。任せな、大将」

 大倶利伽羅は今日遠征で不在であり、そして出陣後は風呂で戦場の汚れを通す習慣があることから、先ほどまで出陣していた山姥切国広もまだこちらに戻ることはないだろう。薬研は今出陣準備に向かったばかりで、執務室周辺に長義以外の姿は見えなかった。珍しいが、これは二度目だ。この前は自分の名を呼んでもらえるよう話をしたが、今日はまだ出陣が残っている。この後出陣部隊を見送りに行くのだろうし、と次の報告書の準備を手伝うと、長義は時計を確認した。

「主。出陣まで少し時間がある、お茶を淹れようか」
「え、ありがとうございます。でも先にさっきの出陣の報告を清書して……」
「後で手伝おう。……主のような頑張り屋さんは、ひとつ言い方を変えれば……ワーカーホリックというのだったかな? ああ、社畜だったかな」
「ど、どこでそんな言葉を……政府怖い。政府の職員が似たようなものなんでしょうそれ」

 にこりと笑みを浮かべて執務室に備え付けのポットの前に行けば、主は大人しく休憩してくれるつもりになったらしく、小さな丸いテーブルの上に棚から出した茶菓子を並べ始めた。その皿の数が二人分で、長義はそれを横目で確かめ大人しく自分の分も用意を始める。棚には様々な湯飲みが置かれており、それぞれ特徴のあるそれは各々が個人で主と茶を飲む時用にと用意したものであるらしい。どうりで数が多い上に大きな棚が用意されているわけだと客用に揃えられたものを一つ借りて急須から主の湯飲みと往復させる形で茶を淹れた長義は、それをそっと主に差し出した。一緒に食べようと誘われて渡されたのはカップケーキだ。が、皿に二つ乗せられたそれは、形が崩れているわけではないがどことなく政府にいた頃見たものと雰囲気が違う。
「……手作り?」
「そうそう。おからを入れて私が作ったものなんだけど、あ、数があんまりないから、秘密ね」
 ふふ、と人差し指を唇に乗せる主を前に、きょとんと長義は視線を往復させる。手作り。主の手作り?
「え、いいのかな、俺が食べて」
「え? うん、苦手じゃなかったら、よかったら食べて。たまーに手が空いたとき作ったりするんだけど、さすがに何かの行事の時じゃないと全員分は作れなくて。滅多に作らないんだけど、手伝ってくれた子とかにたまにあげてるの。口に合えばいいんだけど」
「いただくよ」
 お茶を飲むより先にカップケーキに手を伸ばした長義は、カップを慎重に剥がしてひとくち、焼き色の綺麗なそれを口に入れる。表面はかりっとしていて、中はしっとりやわらかい。おからを入れた、と言っていたが、おからの風味などは一切なく、口いっぱいにバターのいい香りが広がる。

「おいしい」

 思わず零れ落ちたそれは考えるより前に勝手に口から出てしまったようなものだった。
 これは、ものすごいものを貰ったのではないか。主自ら作ったとあって僅かに感じる霊力と、滅多に作らないのだという貴重な手作りの品。おにぎりの話をしていた加州の言葉を思い出す。……かなり、運がよかったのでは。

「ふふ、おからを入れると中がしっとりやわらかくなるんだよね。最近気に入ってるの」
「手伝いに来ていてよかったよ。これは本当に美味しいね」
「それはよかった。……うん、喜んでくれたみたいで何より」
 ふふ、と嬉しそうな笑い声が聞こえて長義が視線を上げると、カップケーキではなく何かを指先で摘まんでいる主のその持つものを見て、長義ははっとして顔を背ける。そこに、やはりひらりと舞う薄紅の花弁。はらはらと落ちたそれはすうっと空気に溶けるように消えるが、一度零れてしまったものを隠すことは不可能だ。思わず手のひらで顔を覆った長義は、絞り出すような声を上げる。

「……見なかったことにしてくれないかな」
「難しいなぁ、ありがとう長義」
「お礼を言うのは俺の方なんだけどね……」

 こんなこと、政府ではなかったのに。戦場で勝利を掴み気分が高揚しているわけでもないのに勝手に感情を表してしまう花弁を、これほど疎ましく思ったことはない。くそ、勝手に。しかし口に広がるバターの風味とやさしい甘さが、すぐ心をほぐしていく。……こんな美味しいものを苛立って味わえないのは損だ。

 しっかり味わって最後まで食べきった長義が皿を片付け終わる頃には、出陣の見送りにちょうどいい時間となっていた。長義は薬研が主を迎えにきたこともあって、一回ごとに取り換える水鏡の水の張り直しを引き受け、一人執務室に残る。と、ぶわり、と一度収まったと思った花びらがもう一度吹き出し、誰もいないとわかっても一人、それを隠すように手で払ったのだった。
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