十四話


「なんっだ一時間半後って生々しい!」
「生々しい……?」
 離れに入ったところで既に国広に気を遣われているとわかったらしい長義が微妙そうな顔をしていたが、一時間半後に顔を出すって、と告げたところで噴火したように長義が僅かに頬を赤くして怒り出す。相変わらず二人の関係は曖昧なようだが、例え長義と恋仲となった今でも私はそれに口を出すつもりはなかった。気にはなるけれど。
 二人で何かを話していたのだろうかと首を傾げれば、長義はやや落ち着きなく「何でもないよ」と視線を逸らし、段ボールを資料室へと運び入れる。そっとそれを床に下ろした長義は、すぐに箱を開けるとてきぱきと項目を合わせて片付け始めた。その背中がどこか怒っている気がして、何かしてしまっただろうかとまだ手を付けていない段ボールを運ぼうとしたが、重い。ぐぐ、とずらすと、「何をしているのかな」とため息交じりにそれを持ち上げた長義が、貼られた付箋を覗き込んで今いる棚の後ろへとそれを運ぶ。
「あ、ありがとう」
「俺がいるのだから、わざわざ重いものを運ぼうとしなくていいよ。それとも偽物くんだったら、」
 そこまで口にしたところで、長義がひくりと喉を鳴らして言葉を噤む。……なんとなく言いたいことを察して、少し高い位置にある長義の顔を覗き込んだ。複雑な表情を浮かべる長義は私を見ると何かを言おうとしたのか口を開くが、それが音となることはなく再び引き結ばれる。
「……人の子に擬態したと言っていたけれど、その体は霊力以外は人の子と変わらないものなのかな」
 私が何かを言う前に、長義が疑問を口にしながら高い位置に収めなければいけないファイルを片付け出す。最初長義が手を付けていた箱はまだ終わっていないのだが、このまま戻れば私が手の届かぬ位置に無理して片付けようとする、と判断したのかもしれない。低い位置に片付けるファイルを手に、そういえばまだ話していなかったもんね、と口を開く。
「私たちは潜入するときその世界に合わせて体を擬態……見る相手の認識を変える。例えば極端な例を挙げるなら、血が青い世界に行くなら血を青く変化させる。実際青いかと言われればその擬態中はどう調べても青いし、この世界であるような科学的な調査を入れても何の違和感も与えない……というある種の能力なの。これは神としての能力を封じ込まれるデメリットもあるけれど、基本的にそのデメリットを補う程その世界での高スペックな体を得ることができる」
「それがこの世界では『高く浄化等に特化した霊力』になるのかな?」
「そうだね、その代わり身体能力自体はあんまり高くないんだ。性質として戦闘は得意だし心得がないわけじゃないけど、機動力は大分落ちてる。もともと前衛タイプじゃないし腕力がないのは変わらないんだけど。あ、この体自体は用意した別な器とかじゃないよ、私のもの。というかこの世界は本来の私の姿にかなり近いかな、髪と目の色はさすがに誤魔化してるけどね……今回は人の子の身体と変わらないから長義の神気に染まったみたい」
 実際の色は説明しにくい、と話していると、さらりと色の変わった一房の髪を掬われる。
「その姿を見た者は? あの三振りは見たのかな」
「見てないよ」
「そう」 
 ああ、これはいけない。私は彼に負担をかけすぎている。心配を、かけている。不安にさせているのだ、きっと。あの日以来何も話せていない上に、彼を不安にさせる要素を私ばかりがいくつも持っている。
 いつもの長義とは違い強い視線でありながらどこか戸惑う様子を見て、そろりと口を開こうとしたその時、手袋に包まれた長義の人差し指が、私の唇にそっと乗せれられた。遮られたのだと気づいて目を見開くと、ぐっと眼差しを強くした長義が表情を変える。
「勘違いしないでほしい。ここに俺が弱腰になる理由はないのだから」
「え」
「俺は、俺こそが長義が打った本歌、山姥切。この本丸で俺はこうして喰われることなく存在し、そして初めてこうして主に触れることを許された刀で、寄り添い長きを生きることを許された最初の存在だ。俺はその意味を違えていないし、後悔しているわけでもない。あとはこれから研鑽を積むだけだ、わかっているよ」
「……長義、」
「ただ、……ただ俺がこの本丸に来て短いことは変わらないし、まだまだ知らないことが多いからね。少しその、焦りや嫉妬があったのは認める。すまなかった、あなたに当たるつもりなどなかったのに」
「……当たってたの?」
「え、まぁそうなる、かな」
「……うん、いいと思う。まだ全然時間をとれてなくて、背負わせるだけ背負わせてるのは私だもの。何も言われないよりずっといい」
「俺が出陣を希望しているんだ。早く練度上限を上げたいからね、主のせいではないよ」
 それに、うちの本丸は今日、明日、明後日と休みだろう。
 屈んで耳元で告げる長義の声に思わずびくりと肩を震わせると、少し顔を離した長義がいつもの自信を漲らせた艶やかな笑みを見せ、唇に触れていた指先が輪郭をするりと撫でて耳朶を擽り、そのまま上へと辿る感覚に身を震わせる。はぁ、と熱いため息が頭上にかかり、知らず閉じていた目を開ければ、潤んでまるで月の光を浴びた海のような色をした瞳がこちらを捕らえている。いつの間にかすぐ後ろの棚に背を押し付けるようにしていた私の前で少し屈んだらしい長義の耳にかけていない髪がさらりと流れ、頬に触れるほどの距離。沸騰しそうな程顔が熱くなる。そんな唇同士が触れ合うようなそんな距離で、長義はぴたりと動きを止めた。

「一つ不満があるとすればまだここに触れられないことかな」
「ひぇ……長義待って、あのね、その」
「偽物くんのお膳立てなのが気にくわないけれど、据え膳食わぬは、とも言うからね。霊力を慣らさなければいけないことだし、直接霊力を受け渡すようなことがなければ触れてもいいと思ったのだけど、どうかな」
「どうかなって、えっ、いやそかもしれないけど、ちょっと待って」

 心臓がばくばくと音を立てる。この体の構造は人の子と変わらないのだ。体中が熱くて、拍動がうるさ過ぎて、息が苦しい。恋ってこんなに体を落ち着かなくさせるものなのかと長義を見上げようとしてふらついて、少し驚いた様子の長義の腕が腰に回される。

「おっと……主、大丈夫かな」
「だいじょうぶではない……」
「……ふふ、へぇ、そう。……まぁ今はこれで構わない。一時間半では俺の気持ちは伝えられないからね。もちろん全てとは言わないけれど、休みの間俺と過ごしてくれるんだろう?」
「それは……」
 できるだけ一緒にいられたらいいとは、思っていた。何せ本当に私たちは時間がすれ違っていたのだ。
 今日から長義が離れに越してきたとはいえ、連隊戦が始まって第一部隊隊長を務めていた長義は連戦であり、本当にたくさん頑張ってくれたのだ。予想外な霊力の混じり合いで本丸の誰が見ても私と長義が恋仲であることが丸わかりの状況になってしまった為、私も長義もそれが理由で仕事に影響が出たと感じさせない為に必死だったのだ。
 長義が私の手のひらを掴み上げ、唇を寄せる。何度か触れ合って、手首へと唇が移動した。あまりに目に毒だとも言える色気の暴力を浴びている気がして声の続かない私に視線を合わせた長義が、言ってくれと言っている気がしてなんとか口を開く。
「は、い」
 掠れた情けない返事だ。だがそれを聞いた長義はふわりと笑い、ちゅ、と一瞬手首に吸い付いたかと思えばそっと離れていく。……今この場で余裕がないのは明らかに私だった。



「そういえば、主は俺たち……俺と偽物くんのことをどう考えているのかな」
 お片付けに戻ろうと主張し笑う長義ともくもくとファイルを片付ける作業に戻ってしばらくして、長義から振られた話題にぎょっとする。だが聞かれた限り思うところがあるのだろうと顔を上げれば、特に何かを思いつめた様子もなく平然とした様子の長義と視線が合う。

「どう、って、例えば仲良くなって欲しいかとかそういうことを考えてるかってこと?」
「ああ、そうなるのかな。他の本丸では少々問題となっているとも聞いたから」
「問題かぁ。長義はその質問を、『主』にしてる? それとも『私』にしてる?」
 伝わるだろうかと目を見て告げれば、悩むように視線を一度落とした長義は「両方、と答えたら答えてくれないかな」と伺うようにこちらを見た。まさか。隠す理由はないのだから。
「そう……んー、じゃあまず主としてだけど、今のところ特別問題視はしていないの」
「今のところ?」
「うん。だってあなたたち、声に出してるでしょう。『山姥切と呼ばれるべきは俺だ』も『偽物くん』もそうだし、『写しは偽物とは違う』とか」
「……うん? それが一部では問題の引き金になっているのじゃないのかな?」
「声に出してくれない方がわかんなくて困るかなぁ……私は人の子でもこの世界の、この国の神でもないから、きっとずれているんじゃないかって思うの。そこは本当にごめんなさい。でも、私この世界で審神者することになって調べた時、『審神者とは眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる者』だって覚えてきたんだ。想いと心を目覚めさせて、戦う力を与えたのが審神者なら、互いの来歴や元主の関係で口を出してどちらか一方の想いや心の否定をするのは違うかなって……長義と国広だけじゃなく、この本丸にいる刀剣男士全員が初めから何のわだかまりもないわけじゃないでしょう。人によって何が一番辛いか違うのと同じ、心を得た上でこれだけ人数いるんだから、ぶつかり合うことがあるのも当然だと思ってるんだ。でも、それぞれで道を模索してるよね。悪化して会話もなくぎすぎすし続けてるとか、陰湿ないじめみたいになって口論どころじゃないなんて状況が続くようならさすがに主として私も意見を言わないといけないとは思うけれど、そうじゃない。国広は国広でいろいろ考えているみたいだし、長義だってそう、写しの存在自体を否定はしていない。それには二人だけじゃなく周りの人の子の認識も絡んでる。でも今こうして『審神者』に聞くくらいなのだから、落ち着いて対応しようとしてる。……だから、気にかけてはいるけれど問題視はしていない」

 つらつらと長く語る間一言も長義は口を挟まなかったが、どこか真剣な表情で聞いていた長義は手を止め体をこちらに向けており、そう、と一つ頷いた。
「それで、あなたとしてはどうなのかな」
 その質問をした長義の顔が僅かに強張ったのがわかる。ああ、本当に聞きたいのはこちらかと、緊張で口内が渇く気がして一度口を閉じる。
「うーん……私が口出すことではない、とは思ってるんだけど……興味がないとかじゃなくてね。ええっと、あの三振りは顕現してすぐ私の正体を教えて協力してもらってて、国広は私の大切な初期刀なの」
「……それは、見ていてわかる、かな」
「でもね、長義はその、私の大切な恋人なの」
「へぇ?」
「だから心配がないわけじゃないんだけど。……普段の様子見てると言い合いながらもなんとなくお互いを認めてる部分もあるみたいだから、見守ろうかなって」
「……はぁ!? 俺は別に偽物くんを認めてなんか」
 強張った表情は途中解けて赤く染まり、そして今はさらにその耳まで血色を良くして吼える長義に、思わず笑ってしまう。

「そうか。俺はさすが本歌は素晴らしい刀だなと思っているが」

 そこにがらりと扉を開けて割り込んできた声に、長義はびしりと固まった。油の指していない機械のようにギギギと首を回した長義が入口に立つ人物を認めた時、「主、一時間半経ったぞ」と表情を変えない国広が一歩足を踏み出す。気づいていたわけではないが、そろそろ来る時間かなとは思っていた。うん、と私が頷いたところで、長義もまた一歩踏み出して国広と向き合う。

「お前! ふざけるなよ、なんで急に来るんだ! 極めたお前の隠蔽値で気配を消してくるな!」
「だが、いいところだと邪魔をしては困るだろう」
「いいところってなんだ! ここは資料室だぞ、そんなわけ」
「なんだ、本当にいい雰囲気にはならなかったのか?」

 ぐ、と詰まる長義が今度こそ耳まで赤くなったことに、何を思ったのか「そうか」と満足そうに頷いた国広が、主、と視線をこちらに向ける。

「そろそろ時間だ、ここは終わったか?」
「ふふ、うん、大丈夫」
「ならもう厨に行った方がいい。用意はできたと聞いている」
「……厨? 主、何か手伝うのかな」
「うん。一人一個になりそうだけど、宴までにおにぎりをね」
「希望者が多かったからな」

 私と国広の説明に一瞬きょとんとした長義は、それは皆喜ぶだろうね、と柔らかな笑みを浮かべる。
「あとどこか掃除を手伝う場所はあるかな」
「あらかた終わっていた。今は皆宴の準備をしている」
「そう、なら俺もそちらに回ろう」
「厨の人数が足りていないらしい。本歌は料理も上手いからな、そちらを手伝ったらどうだ」
「ふん、言われなくとも。主、一緒に行こう」

 振り返る二人に頷く。やっぱり大丈夫そうかななんて思いながら顔を上げれば、二人はそろって、ふわりと笑みを浮かべた。

prev | top | next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -