十二話


 長義が好きかもしれない、という予感はあった。長義が来なくなって五日目には来ないかもしれないと思いながらも今か今かと待ち続け気もそぞろという状態であり、それを私のことは異様に察しがいい国広にばれぬようにと必死だったように思う。まぁ無駄な努力だっただろうなとは思うが。

 私はこの世界に降りる際の条件で基本的な能力は封じられている。例えば何、と問われれば難しいが、全体的な弱体化と言えばいいだろうか。それくらいしなければ人間の身の内に霊力に変換した神力が収まらなかったのだから仕方ない。
 人間と見せる為なによりも注力したのがこの霊力変換である。魔力を使う世界であれば魔力に、霊力であれば霊力に。神の気を帯びた神力のまま他世界に侵入すれば、それは世界の負担となる。バランスを崩す。だからこそ潜入する私たちは力をある程度抑え、その世界で有効な力に自らの力を変質させるのだが、なんの代償もなく可能なことではなかった。力を抑えてそれを変質させるということは歪みでもあり、肉体に苦痛を与えるものとなる。
 一人で行うから、そんなことになるのだ。元来神は寂しがりである。いや、そもそも私の性質がそうなのだ。高い能力を得て生まれた代わりに犠牲になったのが個で己を確立する力であった。要は一人で生きにくい厄介な性質を持ったものが潜入者である蟲捕り神の特徴で、一夫多妻や一妻多夫が当然である所以だ。むしろ私が本意ではなくともそうであったように、『柱』として他者を利用するだけの存在として扱っても力の安定は可能である為、一応伴侶という形で番全員を平等に愛している蟲捕りの神はまだマシなのかもしれない。……私が桔梗を『柱』としたのは彼の前でぶっ倒れて気を失っている間に霊力を送り込まれるという人工呼吸とほぼ同じ理由での接触故だったが、いや、言い訳すまい。最低な自覚はある。
 仲間、特に近しいものと循環させる形で繋がっておけば、私たち蟲捕りは潜入先でも存在を安定させやすい。本来依存しやすい性質なのだろう。複数囲ってもその愛が平等と言われるのもそのせいかもしれないが、だからこそ私たちは怯えるのだ。私たちにとってそれが普通でも相手は違うと。価値観の違う愛しい相手を複数囲うことで、依存する愛しい相手に去られることに恐ろしい程恐怖する。ならば私は一人でいい。蟲捕りの正常など知ったことかと薬でなんとかしてきた弊害である激痛は慣れることはなく思い出したくもないが、長義が好きだと気づいてしまった以降はその想いが育たぬよう必死になりすぎて、長義が私を避けているその理由に思い至らずこれ幸いと放置した自覚がある。……いや嘘だ。放置できずに気にしまくって、だというのに自分から話しかけに行けず馬鹿みたいに悩み続けてたように思う。
 そのせいで、長義が重傷を負った際私はひどく取り乱した。
 まさか恋に落ちたせいだとは思っていなかったようだが、長義が来ないことを気にかけていることは薬研にも伝わっていたようだ。長義と何かを話したという薬研が「長義の旦那が調子悪いなら俺っちのせいかもしれない」と言ったことを、「だから長義が執務室に顔を見せないのは私のせいではない」と解釈するほど私は単純ではなかった。確実に私が何かやらかしている筈だ。長義は他の男士と気まずくなったからといって主に何も言わず急に執務室から遠ざかる刀ではないだろう。
 槍に貫かれた長義を見て、全身が冷え切るような恐怖と後悔を味わった。かろうじて審神者としての理性が働いたのか高い霊力を暴走させることはなかったが、危うかったのではないかと思う。お守りはある、だが戦場ではどんなことがイレギュラーな事態に繋がるかわからない。祈るような気持ちで水鏡を覗き込み、なんとか勝利したところで私は普段やらない帰還ゲートの起動を強制的に行い、走った。隣にいた国広に説明もせず走り出したが、心得ていると言わんばかりの国広は斜め後ろに追従し、結局文句も言わず私の意図を察して動いてくれたのだから感謝しかない。
 薬研を残し、結界を張り、血に染まる長義に治癒を行使した私は、動揺していたのか多少霊力を使い過ぎたことに少しばかり焦った。長義はその時気づかなかったようだが、焦っていた私はあまりに大量に注ぎ込んだせいで神力の霊力変換が僅かに追いつかなかった可能性があったのだ。未熟な、と舌打ちしたいのを押し隠して長義が気づいていないことに安堵したが、後に長義はしっかりそれを感じ取った上に、なぜ霊力を使い過ぎたのか原因が判明することになる。早く気づきたかったが、後の祭りとはこのことだった。


「……桔梗殿がいつのまにかいないようなのだけど」
「…………空気読んで通信を切ったんだと思うけどね。まぁ、ある程度は見られたかな、忘れてた」
 長義に好きだと伝えてしまった。
 あれでいて空気の読める男である桔梗は、いい雰囲気を察して通信を切ってくれたのだと思う。ただし職務に忠実なあの男は間違いなく私の告白を聞いてから切ったのだろうし、恥ずかしいことは変わりない。やってしまった、と頭を抱えると、私の腕の間を掻い潜って伸ばされた長義の手に、そろりと頬を撫でられる。それが素肌の触れ合う独特の熱を肌に残し、そこで長義が手袋をとっているのだと気づいて思わず顔を上げる。指がするりと顎に移動し、かなり近い距離に、深く鮮やかなラピスラズリに似た色の瞳があった。長い銀の睫毛が被さり、それはまるで雪が降る夜のようだ。それでいて、熱がある。見つめられてしまえばぶわりとこちらの体温を上げるような眼差しは長義の持つ色とは相反していて、そのくせ共存していて、軽いパニックに陥った。待って、距離が近い。固まる私にお構いなく、長義の何にも隠されていない親指のはらが私の下唇をそろりと撫でていく。

「ちょ、うぎ」
「……主に謝罪しなければならないことがあるな」
「へ?」
「以前一度、ここに触れたことがある」
「……えっ?」
「主が転寝しているとき。やっぱり気づいていなかったかな。まぁ、触れたと言っても吐息が掠める程度だったかもしれないけれど」
「……吐息、って、え、転寝……えっ、あの時、えっ、口!?」
 まさかの爆弾発言に目を見開く。今唇に触れたのは長義の指だが、吐息が掠める程度、ということはそれは触れたのは唇だったということではないのか。ちょっと待て、全然気づいていなかった。
「主。本丸内で無防備でいたことについては後で話すとして」
「ひぇ」
 それを長義が注意するのかと言いたいことはあるが、あの時は寝込みを襲うなんてすまなかったね、とすんなり謝罪されてしまうとこの後甘んじてお叱りは受けようという気になってしまうのだから私もどうかしている。だが長義が気にしているのは、どうやらそれだけではなかったようだ。憂いを帯びた瞳が細められ、親指がなぞる唇へと視線が動く。
「それで、触れたか触れていないかといったところで引いたのだけど、あれでは『柱』として不成立だったということかな」
「……柱は直接的な霊力の交換です。その、巡らせるイメージで……確かに体液の交換や粘膜の接触は有効だけど、別に意図的に巡らせるだけなら時間はかかるけど手を繋いでるだけでも」
「なのに桔梗殿とはキスをしたのかな?」
「うっ」
 口付けや口吸い、接吻等ではなく、キス、という言葉を選ぶ辺り現代慣れしている。さすが政府の刀、と意識が別なところに吹っ飛びそうになるが、とりあえずぶんぶんと首を振って僅かにその瞳から距離をとる。
「あの時は、私が倒れて応急処置みたいなものでっ」
「……倒れた?」
「薬を忘れて、神気が溢れないよう無理に押さえつけたらちょっと肉体のほうが限界で……あ、でも、その、唇の先を合わせただけというかっ」
「……そう、よくはないけれど。その役目、まだ継続しているのかな?」
「うう、私が悪いです……キスしたのは一度だけだけれど、確かに柱としての縁は結ばれてる、かな……? 今は桔梗が霊力を込めた札をたまに貰う程度だけど」
「へぇ。その役目、俺でもいいのかな? 先ほどのあの男の様子だと、別に主が顕現した刀剣男士でも構わないように聞こえたけど」
「それは、うん」
 確かに彼らは私が顕現して私の霊力を受けた刀剣男士だが、長義と国広の霊力がまた違うように、彼らだって彼らの霊力と神気が体内を流れている。
 けど、私を支える為にとキスを無理にする必要はない。そう考えて口を開こうとしたとき、そう、と答えた長義は、一度逃げた私を逃さないと言わんばかりにさらに距離を詰める。
「ならそのやり方は後で聞こうかな。今はただ、もう一度、今度はきちんと、キスしたい」
「え、」
「ねぇ、いいかな? 恋人として、君に触れても」
 その言葉が吐息となって唇に触れる。この状況で、断れるわけがない。きっと長義もわかって言っている。……いや、そうじゃない。私が、触れて欲しいのだ。

「……はい。……んっ」

 すぐに唇が重ねられ、それは柔らかく互いの熱を分け合う。緊張に体が強張るが、背をゆるりと撫でられてそろそろと肩の力を抜くと、少しだけ二人の間に距離が開く。だがそれはすぐまた重なり合って、長義が角度を変えたことでさらに触れ合う範囲を増やすこととなった。啄まれるようなそれが数度続いたとき、違和感に気づく。沸騰するかのように体に熱が集まり、キスに気を取られた一瞬の油断で霊力が激しく巡りだす。

「あっ、待っ、長義、」
「……っん、あ、しまっ……」
 長義も気づいたのか今度こそ唇は離れ互いに目を合わせて、ぎょっとする。長義の霊力を、思いっきり取り込んでしまった。神気交じりのそれを、擬態したものとはいえ人の身で。深く絡めたものでもないのに、触れ合うキスだけで今とんでもない量を受け取ってしまった気がする。

「長義」
「……すまない」
「いや、長義が悪いんじゃないよ。どうなった? ばればれなことになってる? 演練で見かけたご夫婦は目や髪が染まっていたんだけど」
「……そうだね。向かって右側のこめかみ付近の髪がじわじわ銀になってる、かな」
「……霊力の相性良すぎたのか……っ!」
「それだけでこんなに交わるものかな!?」
 刀剣男士の神嫁になると神気の影響を受けて相手の色を受けたり紋が浮かんだりする変化が現れるのは知っていたが、まさか口付けだけでこんなことになるとは。ばればれな上に勘違いされるやつ。一瞬でそれを悟って、青ざめる。連隊戦前だというのに……!
「たぶんさっき治癒でも結構注いじゃったから、私が消耗していたのと送り込んだ霊力が残ってたのもあって無意識に絡んだんだと……これまで薬で抑え込んでいたのに急に負担が軽くなって、相性が良すぎて加減ができなかったんだと思う、治癒の時も結構入っちゃったんだった」
「ああ、もう見事に一房変わってしまったね。これ以上は変わらないようだけど」
 長義がその一部に触れて引いたことで、私の視界にもきらきらと輝く銀の色が零れ落ちていくのが視界に入る。わぁ、ほんとにおそろいだぁ……。
「霊力と一緒に結構神気取り込んじゃったんだろうね……危ない、今回は思いっきり私が吸い取っただけだけど逆だったら長義の神格に影響出るところだった」
「それは……下がる、という意味ではなさそうだね」
「うん、まぁ、そうなると思う。それはさすがにまずいかな、ごめん、ちゃんと制御覚えるから」

 つまり、漸く得た『つがい』の存在に飢えていた魂が歓喜したのだ。これは慣れるまで接触に慎重にならなければ、下手をすると長義の神格を本来の私の魂に合わせて変化させてしまう。それは、現段階ではまずすぎる。政府に気づかれでもしたら厄介なのだ。
 だが私の言葉に、長義が珍しく私の前ではっきりと表情を歪める。

「……おいそれとここに触れられなくなったような気がするのだけど気のせいかな?」
「あってる……」

 つまりは、簡単にキスできなくなったというわけで。互いの霊力が慣れ馴染むまでは手を触れ合わせる程度からやらねばならないだろうと口にしたところで、盛大なため息が降ってくる。恐る恐る見上げると、少し拗ねたような表情の長義が、手袋をはめる。……かと思えば、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。

「ふふ、いいよ。手を繋ぐところから始めよう」
「う、うん」
「まぁ周りはそう見えないだろうけれどね?」
「あ゛」

 やばい、どうしよう。いや覚悟を決めろ、隠すなんてことしたくない。
 ただでさえ難しい私を選んでくれた長義に、最大限の愛を。
 ふふ、とどこか嬉しそうに私の髪を撫でる長義の手に、私はそっと手を重ねたのだった。

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