十一話(長義side)


 びたり、といっそ面白いくらいに主の動きが止まり、否定がすぐに出なかったことに長義はそれが真実であると読み取って苦く笑みをこぼし、さらりと座りかけていた体勢の主の肩に触れて座布団の上に座らせる。自身もその真向かいに膝を曲げて座れば、はくはくと唇を震わせた主は、何を、そこまで呟いて、頭を抱えた。
「そうか。あの三振りの誰か……ううん、薬研だね。なんでそんな話に……」
「それは、彼を責めないでくれないかな。俺が主に懸想していると気づいて教えてくれただけだから」
「そう、……え、はい?」
 きょとん、と目を見開いて固まる主に、もう答えはわかっているけれど伝えなければと覚悟を決めていた長義は、笑みすら浮かべて言葉を続ける。
「俺が主を好いているという話だよ。もちろん恋愛的な意味で」
「え」
「止めよう、諦めようと何度も思ったし、避けるような真似をしてしまった。ああ、それよりもまず、今日の失態を詫びねばならないか。だが、もうあのような無様な失態はしないと誓おう。俺は君の山姥切長義で、君から信を得ていることはわかっているのだからね。その期待に応えられないような鈍らにはならない、俺こそが長義が打った本歌、山姥切なのだから」
「ちょ、ちょっと、待って。え、長義」
「もう一度伝えればいいのかな? 愛しい俺の主」
「待っっっって」

 これから失恋するというのに飛ばし過ぎたか。顔を隠して大混乱しているらしい主を前にして逆に落ち着いてきた長義は、どうせ振られるのならばと最後想いの丈をぶつける為に饒舌になりすぎたらしい。まぁいいじゃないか、これからなんとか昇華させなければならないのだからと、長義は追撃をやめはしない。

「想う人がいるのはわかった、それがもしかしたら恋仲の相手なのかもしれないし、政府の資料ではなかったけれど婚姻関係か、それを約束した男なのかもしれないというのはわかってるよ」
「だから、ちょ」
「今日を最後にする。想いを伝えさせてくれないかな、主。最後に思い切り振ってくれていいんだ。どうにも想いが溢れすぎて、俺には抑えきれそうになくてね。元政府の刀として不可解なことも多いし、きみには随分と秘密も多いようだけど、それでも俺は主が好きだ。好きなんだ。とても一晩では伝えきれないほどに。だから今だけは赦してくれないかな」

 俯いたまま動かない主を前に必死に言葉を紡ぐと、少しの間ふるふると震えていた主が、そろり、と顔を上げる。その表情が沈痛なものであることに長義は自嘲するような笑みをこぼし、振られるその瞬間に身構えるようにそっと目を閉じて握った拳を膝の上で僅かに震わせた。

「……長義」

 ふるり、と全身が震えてしまった。それでも覚悟してひっそりと歯を噛みしめると、突如主ががたりと立ち上がる。

「駄目! 同意もなしに縛ることは許さない!」

 目を開けると、主が胸を押さえて立ち上がり、何かに手を伸ばしているのが見える。自分の周囲に卵のような結界が張られていることに気づいたときには、それが見えた。淡い光、何かの紋様のようなものが漂っている。それがなんらかのまじないであると焦りが浮かんだ時、払うような動作を主がした途端にそれは空気中に溶けるように消え去り、同時に結界も消えたかと思うと主が大きく息を吐きだしながら地面に蹲った。

「主!?」
「ごめ、大丈夫、ちょっと焦っただけで……桔梗だな……」
「きょう?」
 男の名前か? と小さく聞こえたその言葉に何かが引っ掛かったが、それを辿る前に、ああ、と何かを嘆く主の声が続く。

「……私、あなたに言わないといけないことがある」
「覚悟はできている、と言いたいところだけど……何かな」
「強い想いをくれたあなたに真実を。ごめんね、選択肢をあげようと思ったのだけど……私が情けないからこんなことに。……場所を移動したい。離れに来てほしい」

 ぱちり、と目を見開き、長義は視界に主を収めその瞳を凝視する。てっきりこの場で振られて離れの話なんて最初からされないものだと思っていたのに、まさか写しの言う通り離れに足を踏み入れることになるというのか。

「離れ……主と、偽物くんたちがいるあそこに」
「国広は今いるかな、わかんないけど、そうだね。あそこにはちょっといろいろ今は隠さないといけないものもあるから」
 それは自分の告白と関係あるのか。生殺しのような状況に思わず長義はほっとすればいいのか絶望のその瞬間を無駄に引き延ばされてしまったのかわからないまま主につられて立ち上がり、そして次の主の行動に絶句する。
 主は執務室の隣に続く例の漫画の収められた休憩部屋に移動したかと思うと、畳の一部に何事か印を描き結ぶ。そのままぐっと一度畳の端を押すと、それがまるで蓋のようにかぱりと開くではないか。主はさらにその下にあるやや分厚い木の板をスライドさせると、こっち、と長義を招く。……地下への階段だ。
「え、これってまさか、審神者の緊急脱出用の」
「そうだよ」
「何をしてるのかな! これは刀剣男士に教えていい類の設備ではないよ、その理由は十分わかっていると思うのだけど違ったかな!? まして俺は今主に愛をぶつけたばかりの男だ、不用心にも程が……!」
「神隠しの心配しているなら、大丈夫」
「それは信頼かな」
「違う、確信。あなたに私は隠せないよ、山姥切長義。ほら、おいで」
 おいでって、あああ、もう。どこから注意すればいいのやらと歯を噛みしめた長義がさっさと降りてしまった主に続くと、広くはないが霊力で明かりが灯るらしい通路が奥に続く。そこから壁の装置を主が操作すれば畳の蓋は元通り閉じられ、天井となった木の板をスライドさせて戻した主は、そのまますたすたと歩き出す。恐らく方向は離れだ。基本的に離れは審神者が許可した時でなければ誰も入れないような作りになっていることが多いのだと本丸の構造を思い出していた長義は、半ば放心気味に途中で現れた地上へと続く蓋を先ほどの開閉作業の動作とは逆の手順で行った審神者に続いて階段を上り、よくわからないままに離れらしき部屋の中に足を踏み入れる。ぐるりと見回して、叫びたくなった。

「……やっぱり来たか、本歌」
「よぉ、旦那」
「……あんたか」
 そこにいる不動の三大近侍を前にして、やはり離れなのだと確信する。彼らの前にあるのは編成表か、第四部隊は遠征、第三部隊に短刀が多く名を連ね、第一部隊の先頭に自分の名前が見える。どうやら第二部隊隊長は己の写しで、留守居役が今回は大倶利伽羅であるらしい、とそこまでほぼ現実逃避気味に読み取っていると、ここで話すのか、という薬研の声で長義は我に返った。普段ならこんな呆けたりはしないのだが、先ほどから情報料が多すぎる。自分の告白も現在宙ぶらりんだと嘆きたい気持ちを押し込んで気を引き締めると、私の仕事部屋で話す、と主が答え、三振りが目を見開くのが見えた。

「主。本歌は」
「大丈夫、ちゃんと説明するから。遅くなる前に終わると思うけどもし何かイレギュラーなことがあるようだったら第一部隊隊長は長義が戻るまで伽羅ね」
「……拝命した」

 ふ、と顔を背ける大倶利伽羅の表情は読み取れないが、自分はもしかして少しの間外されるようなことを話される予定なのかと驚く長義は、主に背を押される形で驚く三振りがいる部屋から出され、そのまま洋風ともいえる作りの家の階段を上り、奥の扉を開けられ中に促された。

「……主、もう少し説明が欲しいかな」
「今からちゃんとします……」

 案内された部屋は、大きな仕事用とみられる机が一つ、天井まで続く本棚と、よくわからない機械類がある。ふと足を止めた主は扉の鍵を閉め、手を翳すだけで部屋の明かりを煌々と灯す。……自ら男と二人で密室に籠らないでくれないかな、という言葉をなんとか飲み込んで、促されるがまま応接用と思われる張りのある革のソファに腰かけた。部屋には全自動のコーヒーメーカーが置かれており、しばしの間コーヒーが淹れられる音と香ばしい匂いに時間が静かに過ぎていく。

「どこから説明すればいいかなぁ……」
 コーヒーをテーブルに乗せると向かい側に座り込み、悩むように口元に手を当てる主を見て、それなら、と長義は己の為にも提案する。
「俺が質問するから、それに答える形でどうかな。正直俺も何がなんだかよくわかってないけれど」
「……ううん。答えられる範囲で答えるけれど、先にちゃんと、ある程度は説明するから。わからないところ、なんでも聞いて。まず……長義は、歴史修正主義者の見た目をどう思う?」
「……見た目? ……堕ちたもの、と感じるけれど。歴史修正主義者は総じて、人間も、歴史修正主義者が鍛刀したのかどこぞの刀であっても、穢れを纏うし魂が堕ちている」
「なんでだと思う?」
「それは……」
 想いの告白をした筈なのだが、流しにくい真面目な話を受けて戸惑いながら長義は考える。歴史修正主義者のことは今わかっていることであれば十分政府でも見聞きしたし、本霊が人に協力すると決めた際の話も覚えている。
「過去を変えることは彼らにとって正義でも禁忌だ。堕ちて当然、それがこの世の理だと――」
「その理を決めたのは誰かな」
「それは」
 付喪神では足元にも及ばぬ神の決めたことではないのか。付喪神はどちらかといえば精霊とも解釈されることがあり、神格はあれど決して高くはない。神はこの国だけでも八百万と言われている程であるし、と考えて違和感を感じた。なんだ、何が引っ掛かった? ……とにかく、理を決めたのはもっと神格が上の神。人の身勝手で神の定めた理を犯し過去を改変するなど、とそこまで思考を回した長義は、はたと気づく。
 この戦いに協力している神は刀の付喪神だけではない。万屋の店員もそうだし、本丸の空間もそうだ、どこかの土地神の力を借り協力してもらっていると聞く。鍛刀の為に動いてくれる妖精や他数多の力が動いているのだ。かの方たちは直接戦いには参加しないが、確かにおられるのだ。そう考える長義の胸の、いや右肩の奥から、何かを感じる気がする。怪我をした、その場所だ。そこには、己の主が治癒と称して大量に霊力を流し込んでくれた。……霊力だけ? 本当に? この奥に感じるものは、

 神気ではないのか。

 ひゅ、と勝手に息が吸い込まれ、その後呼吸もできず長義はがばりとソファから転がるように降りて地に膝をつけ頭を垂れる。
 ありえないありえないありえないありえるこれはしんじつだ。

「あ、る、じは、そんな」
「長義、あなたは察しが良すぎるね。一気にそこまで話すつもりはなかったんだけど、さっきの治癒でやりすぎたかな。頭を上げて、きちんと話をしよう」
「……俺、は」
「いいから。あなたは私の刀でしょう、堂々としていて、山姥切長義」
 名を呼ばれた長義はそのまま戸惑いながらもよろりと立ち上がり、逡巡して先ほどと同じように、しかし全身を強張らせて座り込む。目を合わせてはならない、無礼だ。しかし長義と主の、刀剣男士と審神者としての関係だけを抜き取って考えるのであれば目を合わせないのが失礼だ。そろりと視線を僅かに上げ、長義は驚愕に再び呼吸を忘れる。そこにいるのは、悲し気な表情で長義を伺う己の主なのだから。

「主……」
「本来私たちは干渉しないつもりだったの。長義が気づいたように、歴史修正主義者に理を捻じ曲げた罪による呪いは既にかかってる。魂は見目が変わるほどに堕ちた。穢れは確実に魂を蝕んでいる。どんな世界であっても過去を捻じ曲げるのはその世界の創造主が許可していない罪であることが多いし、この世界にもそれは該当した。付喪神たちが人と協力して頑張っていることだし、そのことに関して『外』は今現在目を瞑っている状態なの。……それ以上異常がなければ」
「異常で、ございますか」
「普通にして、私は距離をとられることは望んでいないよ長義」
「……はい」
「話を戻すけど、私はあなたが想像しているより高位じゃない。そもそもこの世界の神格は私には当てはまらないからね。『外』の者だから。……私の専門は戦闘なの、その点はあなた達刀の付喪神と同じかな。私が敵対しているのは、疲弊する世界を襲う魂蝕蟲という化け物だよ。敵はこの世界のみじゃなくて、目を付けられそうな世界に潜入して守ったり外で戦ったりしてる」
 始まった主の事情説明に、長義は必死に食らいついた。魂蝕蟲など聞いたことがない。主は、誰も認識していない何かと戦うためにいるということか。
「この世界が中の者同士で争って疲弊すれば、これ幸いと現れる『世界の外』の敵もいる。神だろうが人だろうがどれも世界に魂を持つ者は奴らの好物、だからこそ私は目を付けられそうな程疲弊を始めたこの世界の守りに入る為に、大部分の力を抑え込んで人に擬態することでここに潜入した。本来はこの世界のことはこの世界の者が始末をつけなければならないから、この世界を守る神と約束した条件の一つとして、刀剣男士を介してでなければ歴史修正主義者の討伐も許されていない。己の刀剣男士以外に私の立場を明言することも許されていない。だからこそ私はあなた達の行く戦場についていけないし、普通の人間ではありえない力や特殊な事情も基本的に隠すことにしてる」
 自分が気になっていたことが徐々に解き明かされていく。肝心なところには何も触れていないのだが、答えは明白だった。己は恋をしてはならぬ神に恋をした。まずこの話をされたのは、諦めろということだろう。人と付喪神よりよほど希望などありはしない。この世界どころか、外から世界を守る為に来た神だという。高位でないなど嘘だ、それは彼女の基準であり実際長義にとっては高位も高位、手の届かぬ神である。
 けど。
「私はこの戦争を良しとしない。この状況が続けば、今はまだ大丈夫でもそう遠くない未来にこの世界は蟲に巣食われる。中でそれを待ち構える私たち蟲捕りの者がこの世界にいる時点でもうそれが確定である程追い込まれていると言っていい」
 だけど、俺は。
「騙す形になってごめんね、長義。あなたの想像していたものとは何もかも違った筈。隠せないし、生きる世界が違う私が相手でごめん」
 諦めろということか。存在が違うのだから、この想いを。……でも、この感情は既に……っ!

『おや、そんなことになるだろうとは思いましたが、説明を怠ることは関心しませんよ、我が主人』

 突如聞こえた声にびくりと肩を震わせた長義は、その意味を理解する前に抜刀し主を守る位置へと身を滑らせた。声が聞こえるのは扉のある方角とは反対、つまり部屋の奥。しかしそこにあったのはモニターで、そこに一人の男が映っている。しまった、偽物くんに見るなと言われていたのだったか。だが、長義はその画面に映る人物に見覚えがあった。セルフレームのやや派手な眼鏡、黒い短髪に、何を考えているのかよくわからない笑みの男。見間違える筈もない。彼は己の政府所属自体の上司である。

「桔梗殿!?」
「桔梗! 何で勝手に……え」
 ほぼ同時に男を見て叫んだことで、主従二人は唖然として視線を合わせた。
 突如なぜ通信が繋がったのかは長義にはわからないが、そもそもなぜこの男と主が、と。
「……主、桔梗殿を知っているのかな?」
『おやおや、山姥切長義ですか。予想外の人物が相手だったようですね。しかもどこの山姥切長義かは知りませんが私を知っている』
「確かにそちらから区別はつかないかもしれないが、ふざけないでくれないかな。俺の知る限り聚楽第前にあなたの部下についていた山姥切長義は俺だけだったと思うけど?」
「えええっ、桔梗、仕組んだの!?」
『心外ですねぇ、ですが、そうですか。あの山姥切ですか。ふふ、私の部下の山姥切が監査官に選ばれた時点で、縁があればあなたのもとに行くかもしれないと彼を備前の担当にはしたのですが……それ以上はノータッチです。まさか本当にあなたのところにいくとは』
「偶然だって言いたいわけ? 桔梗」
『それも縁でしょう、この国の神の好きな』
 ぽんぽんと交わされる主と元上官の言葉に、長義は混乱する。だがなんとなくわかったのは、元上官はおそらく主の本当の目的を知っている側だということか。
「……ちょっと待ってくれ。まさか主、彼もあなた側の存在だったりするのかな」
『であれば敬っていただけますか? 元から私はあなたの上官だった筈ですし』
「元だ。……それにしても、嘘だろう……」
「ああうん、事情が読めた。確かに桔梗はこちら側だけど、この世界で動くために仲間に引き入れた元人間の部下だからね。眷属ではあるけど敬うとかはそんな気にしなくていいんじゃないかな」
 その言葉に長義は苦しかった息を吐きだしていく。眷属なのかよ、くそ。よくわからないことは増えたが、呆けている場合ではない。

『ところで我が主人、この通信の発動条件は、我が主人が夫候補になり得る存在と思いの通じた時に発動する縛りのまじないが行使されず、かつあなたが説明を怠った場合発動するようにいたしました。この意味がおわかりで?』
「やっぱり桔梗か。安易に縛りのまじないを使おうとするんじゃない、後でお仕置き。あと別に説明を怠ったわけじゃ」
『ええ、ええ、わかっています。どうせあなたが高位の神であることや蟲捕りの者についての説明はしても、外世界の神域の王であるとは説明していないのでしょう』
「桔梗!」
 手を翳し笑う男が浮かぶ映像を消し去ろうとしたらしい主が叫ぶが、ジジ、と一瞬乱れた映像は再び鮮明にその向こうの男を映し出す。ちっ、と隠しもしない舌打ちをした主と、微笑む元上官。その元上官は、無駄ですよと笑う。
『このまじないはそもそもあなたがなかなか夫を抱えようとしないことに焦れたあなたの上からの配慮の品ですから。山姥切長義、心して聞くように。この方はとある神域にて神であり王。あなたも一国一城の主の伴侶がどのような形で存在していたかはわかりますね?』
「伴侶が……?」
『わかりやすいのは徳川の世、江戸の大奥の存在でしょうか』
「……まさか」
『今考えたもので正解でしょうか。彼女は女性体ですが、その力を支える為にも複数名夫を得なければならない存在です。まぁ、大多数の世界や国で上に立つ男が女性を複数囲うことはあってもその逆は珍しく、彼女は相手に悪いと神でありながらその使命を半ば放棄。そのせいで不安定な潜入において支える者がおらず体が無駄に薬漬けですが』
「薬!?」
「どうしてそんなこと全部言っちゃうの……」
 長義が上手く理解するよりも前に、今の話が主にとって真実であると明言されてしまった。
 情報料が多すぎる。戸惑うまま視線を上げれば、ぐっと唇を引き結んだ主と目が合って、逸らされる。そのことに心臓が嫌な音を立てた。胸の奥が苦しくなってしまうこの感覚は、最近もずっと続いていることだ。

「……つまり主が俺を断ろうとしたのは、その、夫を何人も抱えなければいけない事情のせいかな」
「長義。私はもともとそういう環境にあったけれど、あなたはそうじゃないでしょう。だから私を選んじゃいけない、まだあなたは縛られてないから。私は普通にこの潜入任務を成功させるつもりで、上の思惑とか関係ない」
「……俺も主が俺じゃない誰かを、だなんて折れるより苦しいんじゃないかと思うけどね」
「さっき私が結界で囲ったのは、私の伴侶候補になるという縛りのまじないが勝手に行使されたから。……桔梗、あなたでしょう、あのまじないが発動するようにしたの」
『いいじゃないですか、ただの候補としての目印です。恋仲の印程度の認識でしょう? あなたが正しく説明し相手が命運共にする夫となることを望まなければ解放されるような弱いものでしたよ』
 その桔梗の言葉に黙り込んでしまう主を前に、長義はその視線を主の表情を見逃すまいと固定させる。
「つまり主にはもう他に候補がいてもおかしくない、という解釈でいいのかな。まさか桔梗殿が?」
『ご冗談を。私たちにはそういった感情は双方ありませんよ。私は彼女が夫の一人も迎えないのでこの世界で力を安定させる為の柱役でしかありません』
「柱?」
『伴侶がいない王は半人前です。薬だけでは安定できませんから、彼女がこの世界で活動する為に僭越ながら私が彼女の存在を安定させるために柱になっているのですよ。目の前で倒れられたことがあって急ごしらえの柱ですが。口吸いという形で霊力を、』
「桔梗っ」
 泣きそうな表情でモニターを見上げ、ごめんなさい、と謝罪を繰り出す主を見て、口吸い、と思わず呟いた長義は、本体を握る手に力が入る。口吸いしているのか。そうか、薬研が言っていたのはやはりこの男だ。

「……大奥では将軍家御台所と呼ばれていたのだったか。つまり、正室や側室が必要という感覚でいいのかな?」
「長義……?」
「さっきも言ったけれど、俺は主が俺じゃない誰かを愛するのを見るなんて無理だ。それと、紛れもなくこの本丸の主であるあなたが例え女の身だとしても、彼の言う大奥の存在が必要だというのならそれを否定はしない。大体が男だったというだけで人の子はそうして次代を築いてきたのだし、現代に近づく程それが時代錯誤だと言われても、はるか昔に生まれた俺にそれを否定する価値観はない。なんとも思わないわけではないけれど。……俺たち刀もそれを見てきてるし、何より神の中にはそういった存在もいると知っているからね」
「長義、待って。何を言ってるの」
「さっきの言葉のことを詳しく知りたい、桔梗殿。通信の発動条件は、主が夫候補になり得る存在と思いの通じた時に発動する縛りのまじないが行使されず、かつあなたが説明を怠った場合だと言っていたね。思いの通じた、というのがこの場合一方通行のものではないように聞こえるのだけど、合っているかな」

 口にした瞬間、主の顔が真っ赤に染まっていくのを見た長義は緩やかに目を細め口角を上げる。つまり、神としての格の違いや存在そのものの違いが障害になっているわけではなかった。諦めろと言われているのではなく、主は主の伴侶の背負う運命から長義を遠ざけたのだ。
――確信。あなたに私は隠せないよ、山姥切長義。
 そう言っていた主の言葉を思い出す。当然だ。逆だった。この世界において弱い人の子に擬態しているといえど、それが数多の付喪神に隠しきる程の制限だったと言えど、魂を隠すなど出来るはずもない。……逆だ。主についていけば、この自分を形成している分霊は魂として確立し隠される。
 その未来をもし迎えるとしても、俺は……

「俺は主を諦められそうにない。その場合この想いを受け取ってもらえるのかな」
「長義」
「神の愛だ。恐らく人のように正室と側室に与えられる愛に差はないのではないかな? なら俺はその中でより主の心に残るまで。もてるものこそ与えなくてはいけないよ、主。俺にその押し込んでしまった心をくれないかな」
「あ、でも」

 戸惑う主のその心はまるで人の子のようだ。本来であれば強引にでも娶ることができそうな立場にありながら、何に苦しんでいるのだろう。確かに主に配偶者が複数人となる未来を考えれば苦しいものがあるが、己がその中に入っていないことに比べればなんてことはない。何せ今この時、主の心に山姥切長義を確かに刻み付けたことだろうから。

「主のことでわからないことはまだ多いと思う。支えられるよう精進するから、俺に惜しみない愛を与えてはくれないかな?」

 その手を取り、頭を垂れる。懇願するようにそのてのひらに唇を寄せれば、それが触れるか触れないかの距離で主の指先がぴくりと動いた。

「……私を選ぶということは、いずれ遡行軍との戦いが終わってもあなたは本霊に戻れない」
「そうだろうなということはわかっているよ」
「……詳しく事情を話します。でもまず、私は最初の一人目を第一夫……正室とするつもりでいた。後が増えるのを見続ける一番難しい立ち位置です」
「へえ。俺が一人目になるのかな? 願ってもないことだよ」
「……人の世のように正室と側室で争うことは認められない。私は一人目とうまくやれる相手でなければこれ以降迎え入れるつもりはないから、あなたにはそれで与える負担も……」
「主」

 俺は覚悟を決めたと言わんばかりの強い口調になったが、それで主の覚悟が決まったようだから、反省は後にしよう。

 くしゃりと主の表情が泣き出しそうに歪む。

「誤魔化そうとしてたの」
「うん?」
「好きになったんじゃないって。一人で任務はこなせるんだって」
「ああ、薬についてはあとで詳しく聞こうかな」
「すき」
「……」
「ごめんね長義、好きになっちゃったの、ごめん」
「謝られると悲しい、かな」
「……好き」



「好きだよ、私の、山姥切長義」
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