十話(長義side)


「山姥切長義。ちと顔貸してくれや」
 秘宝の里も終わり、通常の戦場にて戦を終えて戻ったばかり。風呂に浸かったもののまだ高揚した気分が抜けない中で、自室で休んでいた長義を訪ねて来たのは薬研藤四郎だった。想いを殺さねばと覚悟して既に数日、あの買い物の日から十日程か。その間の自分の行動を考え、現れた刀を見て何を言われるか凡その察しがついてしまった長義は、ただ黙って立ち上がると静かに足音のない短刀の後ろに続く。
 連れていかれたのは、離れの傍、普段三振り以外は刀剣男士たちがあまり近づかぬ主の住まいに近い、物見櫓だった。ただ黙って木組みの奥の階段を登り始めた薬研に続き長義が初めてその上に上ると、存外立派な作りであったそれは上に二人以上が座っても大丈夫だろうスペースがあることがわかる。ぐるりと見回せば本丸が一望でき、霊力の高い主の張り巡らせた空を通る結界が近いと肌で感じることができた。……ここなら、確かに誰も聞き耳を立てることはできないか。まぁ極めた短刀、しかも本丸最高練度の薬研藤四郎がここにいる以上無用な心配かもしれないが。

「……それで、主の懐刀がなんのようかな」
「はは。そういや執務室で少し前までよく見ていた気がするが、こうして話すのは初めてだな?」

 執務室で前までよく見ていた、この台詞だけで、この刀が何をいいたいのか、半分は予想通りであったと察して薄暗い櫓の中で長義はすっと目を細める。ここ一週間ほど、長義は何度も顔を出していた執務室を避けていたのだから。
「ま、他人が口を出すことじゃねぇ。ほっといてもよかったんだが、三日後から連隊戦もあるんでな」
 と、目の前でごそごそと懐を漁った薬研は、ひょいと取り出したそれを長義に投げる。咄嗟に受け取った長義は、それがやや大きな握り飯であったことに思わず「は?」と抜けた声を上げた。

「食ってねぇだろ旦那。燭台切の旦那が心配して届けようとしてたからな、そいつを一個包んでもらった。それ食って腹が刺激されて動くようなら、残りを後で食いにいってくれ」
「……いただくよ」

 視線を感じて、ラップに包まれたそれを剥がしもそもそと口に運ぶ。ここ数日食事の量が減っているのは自覚していたが、今日は確かに戦帰りに飯も食わず自室に引きこもったのだ。腹が空かなかった。もやもやと考え込んでいることが原因なのだろうが、刀がまさか恋煩いで飯も喉を通らぬなどと笑い話にもならないことを経験するとは思わなかった。いや、恋煩い、なのだろうか。わからない。
 祖が作ったというそれは恐らく美味いのだろうし、中にほぐした色のいい鮭が入っているのもわかってはいるのだが、この本丸で初めて食べたあの小ぶりのおにぎりとは何かが違う。どうにも味がよくわからないそれをなんとか飲み込んでいる間、薬研はただ外をぼんやりと眺めて何も言わない。居心地の悪さを感じながら長義が最後の一口を飲み込むと、どかりと長義と正面を向くよう腰を下ろした薬研がその藤の色の瞳を長義に向ける。

「俺っちはこれでも本丸で医者の真似事をしていてな」
「ああ、そうだったね。知っているよ」
「けどなぁ、恋煩いに効く薬は知らねぇんだ」

 ひくり、と長義の喉が鳴る。やはりもう半分も予想通りだった。

「……なんのことかな」
「わかっていても人前で認めるわけにはいかない、ってとこか? それともまだ納得いってねぇか。真面目だな旦那は」
「真面目、ね。俺にはそちらも変わらないように見えたのだけど、薬研藤四郎」
「おっと。そいつぁいけねぇな、俺っちもまだまだってことか」
 やはり、と目を細めた長義は、同時に感心する。同じであるなら、よく平然と務まるものだ。この刀が本丸に顕現して二年半ほどの差が長義にはある。その差が、彼を変えたのだろうか。思案するように視線を外す長義を見て、薬研は口角を上げて笑う。
「俺っちは戦場育ちでな、雅なことはわからん。が、ま、旦那とは別な意味でも仲間ってとこか」
「……なんのことだか」
「へぇ。まぁいいが、……山姥切長義。大将には口吸いを許すお人がいる」

 ひゅ、と今度こそ長義の喉は隠し切れない音を鳴らす。目を見開いて薬研と視線を合わせた長義の目は薬研の一言も逃すまいと言わんばかりにその唇と目を見つめ、熱烈だなぁと薬研が揶揄う。

「……初耳だね、恋仲の相手がいるのかな?」
「どうだろうな、俺っちの予想じゃ、恐らく夫君だと思うんだが」
「…………冗談だろう、この本丸の審神者は婚姻はしていない筈だ。もともと血縁は少なく、事故でご両親を亡くした天涯孤独の身だと」
「政府の資料見れんならまぁ配属先の事情もそんくらいは知ってたか」
 含みのある言い方に感じて長義が目を細めると、薬研はその視線をそらさず受け止め、しかし困ったように笑う。
「さっきあんたも言っていたが、大将は天涯孤独、親兄弟はいない筈だ。それも十七を越えてからの話で、大将はすぐ一人で暮らし始めたと聞いている」
「そう」
「だがな、大将には『家族』と呼ぶ相手が外にいる。その男かどうかはわからんが、とある場所で口吸いされるのを受け入れていた。それは確かだ」
 長義がその意味に気づいて黙り込むと、薬研はそれを視界に収めながらも言葉を続ける。
「聞いてどうするかは旦那が決めりゃいい。だが、大将にそういった相手がいるのはまず間違いないと俺っちは見ている。確認はしてないがな」
「……それで、きみはどうしたのかな」
「どうもしないさ。大将の意に沿わないことをするつもりはないが、俺っちも自分が罹患したこの病は治せないんでね。生憎と薬が効かない病は専門外だ」
「それは、大倶利伽羅も?」
「思った以上に察しがいいな、さすが監査官殿」
 揶揄うような口調だが否定されないその言葉に息を吐きだす。他にも誰か察したかいと軽い口調で問われて逡巡したが、さぁ、と曖昧に繋ぎながらも長義は投げやりに言葉を続ける。
「きみのとこの長兄とかかな」
「はは! いち兄はうぶな乙女みたいに遠くから眺めてるだけだがな。うちのいち兄は顕現が遅かったせいか、俺っちたちの前ではいい兄なんだがどうにも太刀連中に可愛がられ過ぎてあれで末っ子気質なんだ」
「たまに聞くというけれど。個体差というやつかな」
「違いねぇ。他は?」
「まるで俺を通して他を探しているようだね。悪いけど他には思い当たらないよ」
「悪いな。ま、同意見だ。平安刀のじいさんたちはどうか知らねぇが、孫みたいに可愛がってる節があるからな」
 つまりやはりあの初期刀は違うのだと察して、長義は黙り込む。一瞬感じた感情を打ち消し、だからなんだというのだと視線を落とした。失恋したのだろう。だが、それを口に出すわけにはいかない。

「本丸内で大将の男について察しているのは『俺たち三振り』だけだ。大将が言わない限り言うつもりはなかったんだが、旦那は十日も大将を避けてる上に飯も喉を通らねえ重症ときたもんだ。大将も心配してる。もうすぐ連隊戦だ、大将に顔を合わせにくい程悩んでるなら決着つけたほうがいい。まぁ、薬はないっつったが……毒と薬は似たようなもんか。一応知らせたが、他言無用ってやつだぜ?」
「いうわけないだろう。劇薬のようだしね。そもそもそれも確定しているわけじゃ」
「希望を捨てたくない、か?」
「……そういうわけじゃない、ご忠告感謝する。傍にいる君の目を疑っているわけでもないしね。ただでさえプライベートな内容だし、曖昧な情報を必要以上に広める必要がないと判断しただけかな」

 そうか、と笑って立ち上がった薬研は、そのまま櫓を降りる。少し悩んでそれに従おうと立ち上がった長義は、ふわふわと覚束ない感覚を味わってそろりと下へと降りた。そこに薬研が黙って待っていたが、口を開くことができず同じく黙り込む。
 毒と薬は似たようなもの、か。薬研の情報は確かに劇薬だ。恋心にとどめをさすような毒である。ああ、そうか、恋心。やはり自分は、と『薬』が効いてしまったことにいっそ笑いそうだ。

「……旦那は連隊戦で第一部隊の隊長だ。三日くらいしかないが……せめて飯が食える程度には折り合いをつけてくれ」
 ああだから、今だったのか。十日も待ってもらったのは温情だ。どさりと草の上に腰を落とした長義がそのまま俯いて動かなくなると、薬研はそれを背にゆっくりと歩き出した。


 長義の考えとは裏腹に、勝手に恋心というものは育つらしい。薬研と櫓に上ってから二日、この恋が実る筈はないと理解している。それなのに、うんざりするほど感情を振り払おうと繰り返しているというのに、何度繰り返しても、いや繰り返す程、勝手に熱は膨れ上がっている気がすると長義は項垂れる。くそ、と思わず零した長義はやはりまだ執務室から足が遠のいており、それでも主を探す自分の目玉すら恨めしい。出陣していても本丸の様子が気になり、このままではまずいと長義は本格的に焦り始めていた。
 主は確かに愛らしい容姿をしていると思うが、特段目立って惹かれる状況などなかった筈であった。仕事熱心なのは好ましく、采配も確かに文句なしの優だ。普段の様子も、この前の政府の輩との嫌味の応酬でさえも、これまで政府に所属していた経験を通して見ても優秀だとは言え目立つ程ではない。だというのに全てが『特別』に見える。
 食事の時間に主が見えれば視線が吸い寄せられるかのように言うことを聞かない。
 珍しく主が厨に立ったのだと聞けば、手伝っただけとわかっていてもことさらその食事を味わってしまう。
 ふとした瞬間に執務室のほうへと意識が向く。ふとした瞬間に主の姿を探してしまう。出陣中まで、ふとした瞬間に主は今自分を見ているのだろうかと気が逸れる。駄目だった。まったく駄目だった。特に出陣中に気が逸れるなど許しがたい。制御できないことに矜持が傷つけられる。自分はこの程度だったのかと許しがたい想いが膨れ上がる。大倶利伽羅は主の恋刀ではなかった。だが、主は想う相手がいる。持て余しているくせにこの感情にどう死を与えればいいのかわからない。

 だから、これは必然だったのだろう。
 戦場に突如割り込んできた検非違使。それ自体は想定の範囲内であった。ともに出陣しているのは練度の近い千代金丸と南泉一文字、そして極の新選組の刀、和泉守兼定と堀川国広、そして本丸最高練度の極薬研藤四郎で、主は検非違使が出ることを想定して政府の出した数値化した練度上では十分危険のない編成で長義たちを送り出したのだ。隊長は和泉守兼定であり、順調に進んでいると思われた最中、敵本陣一歩手前といったところでの邂逅。長義も気を緩めてなどいない、筈だったのに。

「おい!」

 叫んだのは恐らく南泉だ。だが同時に右肩を深く敵の槍に貫かれた長義は、本体を取り落としかけ、咄嗟に左手で拾って後ろに下がる。この戦場に出るのが初めてだった長義は地形に一瞬気を取られ、その敵の槍の速さに僅かに遅れをとったのだ。

「く、そ……っ」
「なにやってんだ、にゃ!」
 いつもであれば傷を負ったところで闘志を燃やす筈の長義の様子がおかしいと古馴染みは気づいたのだろう、飛び出してきた南泉がそのまま素早い動きで長義を狙う短刀を斬り伏せ、庇われたことでさらに長義の心に焦りが混じる。

「どうして俺が、こんな……っ」
「何してんだ長義の旦那! ここは戦場だぞ! 主命だ、折れることは赦されてねぇぜ!」

 敵に柄まで刃を通しながら叫んでいる薬研の声に悔しさを表情に出した長義は、左手で刀を振るいなんとか腹を掠めた脇差を斬り飛ばす。ひどい主命だと一瞬考えてしまって苦笑する。ああ、ひどい。折れることすら赦されないのならば、自分はこの想いと共に生きるしかなさそうではないか。ああ、認めよう。認めてしまおう。俺にはこの想いを殺すことはできないのだ。奪おうだなんて思わない。だが、何も本人に確かめないまま後ろ向きに考えることなどもうやめだ。己が殺すべきは想いではなく、違和感に気づきながら見ないふりをしている弱気な心だ。この、山姥切長義が! 弱腰でいるなど!

「ここからは本気だ! 後悔しろ!」

 その言葉は誰に向けられたものだったのか。長義は自分でも恐らく獰猛な笑みを浮かべているだろうことを感じながら隠しもせず叫ぶ。

「ぶった斬ってやる!」
 
 目の前に迫る検非違使の槍を一刀のもとに斬り伏せた長義が持ち直したとわかって新選組二振りも相対する敵を屠り、最後の一振りを相手にする千代金丸の援護に入った。検非違使は劣勢、そして間もなく鎮圧に成功する。
 荒く息を吐きだしながら勝利したことを確認した長義は、隊長和泉守が撤退を指示したことで大人しく帰還しようとして……主の方から強制的に帰還の指示が入ったことに気づく。自分の状態を考えると、最初の肩への攻撃と途中腹にも脇差の刃が掠り、重傷といったところか。秘宝の里でもなくあの本丸に重傷者が帰還するのは長義の知る限りでは初だ。ふわりと自分を包む霊力を感じながら、しまったな、と唇を噛んだ。主は基本的に戦場の様子を見ているのだ。早くも怖気づきそうになる気持ちにそれでも本歌山姥切かと喝を入れ、自分はこの想いにけじめと決着をつけるのだと覚悟して本丸に戻った、その瞬間だ。

「長義!」
 焦った表情で転移装置の傍まで駆け寄ってきた己の主が、汚れることも厭わず血だらけの長義の怪我をしていない左腕に触れる。その時主の後ろをついてきたらしい己の写しの姿も目に入って長義の唇がきつく引き結ばれたが、主の視線は右肩に集中しており、やはり見られていたのだと察した長義が口を開く前に、主が叫ぶ。

「国広、堀川が足を怪我してる。手入れ部屋へ連れて行って! 他の皆も傷があるね、そのまま手入れ部屋。薬研! あなたは怪我してないね、ここに待機」
「了解」
「わかった。兄弟、肩を貸す」

 ここから山姥切国広を遠ざけたのは主の配慮なのか。薬研を残して全員が去ったところで、自分の手入れは後回しだと察した長義が甘んじて叱責を受けようと居住まいを正そうとすると、動くな、と荒い口調で叱られる。

「薬研、近くに他に誰もいないね」
「ああ」
「結界を張る」
 主がそう宣言した瞬間、己と主の周辺に薄い膜のようなものが張られたことに気づいた長義が目を見開く。なんの結界だ、と凝視するが長義がそれを正確に読み取れずにいると、主はそろりと口を開く。

「長義、薬研に何を聞いたの」
「……は」
「長義が最近不調なのは自分のせいかもしれないって言ってたからね。ねぇ薬研」
「あー、それを長義の旦那に聞くのか、大将。別にそれは」
「私に関係ないとは言わせないよ。あなたが言わないからでしょ、なら長義に聞くしかないじゃない。生憎と私は心当たりがありすぎてね。まぁいいか、治癒するよ」
「は?」

 何がなんだかわからない長義は、手入れではなく治癒と言われて審神者の手が傷口に伸ばされてつい間抜けな声をあげた。かと思えば突如眩暈がするほど濃密な霊力を流し込まれ長義は目を見開いて口を戦慄かせる。不快ではない。むしろ身体は歓喜の悲鳴をあげそうな程喜びに満ち、わけもわからず視線を動かした長義は己の身体に刻まれた細かい傷がみるみるふさがっていくのを目にしてがちりと音を立てて歯を噛んだ。何が起きている?

「……ここまでか。これ以上は手入れ部屋かな」
「主、今、何を」
「血は止まった。これなら歩ける? 長義」
 長義の質問に答えず立ち上がった主に左腕を引かれ、長義はよろりとよろめきながらもその場に立ち上がる。周囲に張られていた結界は消え失せ、細かい傷も癒えている。深手を負った右肩はまだ穴が開いたまま、といった状態だがほぼ痛みはなく、確かに血も止まっているようだった。何が起きてるのかさっぱりわからない、と長義が唯一この場で本人以外で事情を知っていそうな薬研に目を向けるが、薬研は肩を竦めて首を振る。
「……主の霊力は癒しではなく浄化と探知特化だと思っていたのだけど」
「そうだねぇ、そう見せてるから」
「…………それは」
 つまり隠していると? と言えずに飲み込んだ言葉で己の表情がひきつったのがわかる長義は、一体己の主は何を抱えているのかと叫びたくなった。なんだって? 私は心当たりがありすぎる? つまり、主は何かものすごく政府に対しても周りに対しても隠していることがあるってことか? ……だから婚姻関係に近い相手がいるのに政府が把握していないのか? 疑心暗鬼になりかけたが、これを己の口で問い本人に確認するのだと長義は覚悟を決める。

 辿り着いた手入れ部屋では、一番時間のかかる千代金丸のいる部屋に手伝い札を下げさっと一部屋解放した主が、千代金丸に労いの言葉をかけてからそこに長義を押し込んだ。かと思えば他の部屋にも扉の外からそれぞれ声をかけた主は、再び長義の部屋に押し入ると私が戻ってくるまでここで待っているようにと言いつけて部屋を出て行ってしまう。……これは説教かな、こっちも聞きたいことはあるのだけど。そう考えて大人しく手入れ妖精たちの敷いた布団に身を預ける。

 間もなく日も落ちる。主はいつ戻ってくるのだろうと思うと落ち着かないが、問う覚悟は決めた……筈だ。なんだか思った以上に大事になりそうな気がするが、恐らく主は説明してくれるつもりであんな思わせぶりなことを口にしたのだろうし、知らなかった力について以外にも悩みの元凶を問えばいいだけだ。そんなことを考えながら時間が過ぎるのを待っていると、扉がまたノックされる。主か、と思ったが、それは違った。
「山姥切」
「……何かな、偽物くん」
「写しは偽物とは違う。……少し入っていいか」
 一瞬断ってやろうかと思ったが、長義はそれをなんとか抑え込んだ。写し……いや、総隊長として、無様を曝した己の本歌に一言申さねばならないのかもしれない。なんとか表情を押し殺して入室を促せば、そろりと顔を見せた写しはまだ極めた戦装束姿で、するりと手入れ部屋に入り込むと扉を閉める。その手には盆があり、今日の夕食らしいものが一膳用意されているのがわかる。目の前に差し出されたのは、炊き立てらしい艶のある白米と豆腐とわかめの味噌汁、味が染みていそうなゆで卵入りの大根と鶏肉の煮物、ほうれん草の和え物に、茄子ときゅうりの漬物か。ふわりと湯気が漂い香りを運び、恐らくできてすぐに持ってきてくれたのだろうことがわかる。
「……お前は食べたのか」
「まだだ。ちょうど用事があったからな、先に持っていくと歌仙に貰って来た」
「そう……無様を曝した本歌を笑いにでも来たのかな」
「そんなわけないだろう」
 間髪入れず返され、長義は次の言葉を迷う。笑いに来たのではないと最初からわかっていた。この写しはそういう性質ではないし、可能性が高いのはどう考えても注意、叱責、そういった、総隊長としての立場からの発言だろう。何せここ十日以上長義は食事も疎かにして薬研に注意されたばかりなのだ。
 そこまで考えて、小さく唇を噛んだ。総隊長として主の絶大の信頼を得ている初期刀。己では絶対並び立てぬだろう、『不動の三大近侍』の一振り。長義はこの本丸で彼らがそう呼ばれるほどの期間、この本丸の歴史には存在していなかった。いくらこの本丸では写しを山姥切ではなく国広と呼んでいようとも、多くの本丸で山姥切といえば彼を指し、そして大多数の審神者の初期刀となる五振りに名を連ねている己の写し。頭では戦時中の隊の一振りとして話を聞かねばとわかっているが、己が己の怠慢をわかっている分沸き上がる悔しさに強く拳を握り締めると、膝を曲げて座った初期刀は、予想外のことを口にした。

「主の治癒を受けたと聞いた」
「は? ……それがどうかしたのかな。ああ、心配しなくとも他の刀に言ったりは……」
「それはそうだが、そこは心配していない。そうじゃないんだ。たぶんあんたも、離れに呼ばれるんだと思うから、先に伝えることがあってきた」
「……はぁ?」

 何を言っているんだと言わんばかりに長義は思い切り不信な声をあげ、それを受けた国広は目をそらさず僅かに眉を寄せる。間違いないと思う、と言いながら国広は盆を押しやり、冷める前に食えそうなら食ってくれと促した。いまだ理解が及ばぬ長義は促されるままに箸をとったが、どう考えても食べている場合ではない。作った者には申し訳ないが、どうしても確認しなければならないことがある。

「離れに、呼ばれる? 俺が? なぜ」
「治癒を受けたということは、主はあんたに力を隠すことはしなかったんだろう。だからだ」
「待て。待ってくれ。お前は言葉が足りないぞ、なんでそれで離れに呼ばれることが確実になるんだ」
「呼ばれるだけのことが信じられないのは、俺たちが不動の三大近侍だなんて呼ばれているせいか?」
 問いにしぶしぶと頷けば、まぁそうだろうなと肯定した国広は、これからは四振りかもしれないが、と付け加える。
「……なぜ」
「刀も増えて、政府が余計な仕事を回すせいで主は多忙だ。本当は主も一年くらい前からもう一人近侍を増やしたいと悩んでいた。が、なかなかきょ……いや、機会がなくてな。それがたぶん、本歌、あんたになる」
「……一年も前? それがなんで……」
「あんたは素晴らしい刀だからな。何かおかしいか?」
 違うそうじゃない。
 別に己が優れている劣っているの話ではなく、初めの三振りを近侍としたなら後から来た長義より先に選ばれる刀がいる筈だろう。それを突っ込む前に、国広はそれにと言葉を続ける。
「等しく皆主の刀だが、魂や霊力、存在そのものの相性がある。それと確か性質だとか……」
「待て待て、偽物くん。それはなんの話だ」
「写しは偽物とは」
「知ってるよ!」

 思わず長義が身を乗り出すと僅かに盆に当たり、器から味噌汁が溢れそうになって国広が慌ててそれを押さえる。二人妙な格好になったところで一瞬の間が空き、仕切りなおすように二人が居住まいを正すと、山姥切国広はもう一度ゆっくり口を開いた。

「とにかく、本歌は恐らく離れに呼ばれる。俺はあまり詳しくは言えないから、主に聞くといい」
「じゃあお前は何を話しに来たのかな」
「忠告を。本歌、もし主が離れで通信機を起動したら、そこに映るものとは目を合わせるな」
「は?」
「俺は一度、見て折れるのを覚悟したからな。あの時はタイミングが悪かったらしいが」
「ますますわからないんだけど、偽物くんは本気で俺に何か伝えるつもりできたのか」
「そのつもりだ。あれを見たのは俺だけで、薬研と伽羅は何も知らない。ただ見ることになったら、まずい。とにかく、離れで通信機を起動したら、画面より下を見てくれ。通信機ごしならそれでなんとかなると思う」

 何が何だかわからない。要領を得ない会話に突っ込みたい気がするが、三大近侍の残り二振りが知らないことを、しかもあまり詳しく言えないと言っている内容を聞きだす気力が今の長義にはなかった。頭を抱えながらも頷けば、ほっとしたような息を吐きだしながら、国広が立ち上がる。

「それじゃあ、主がこの後来るんだろう。俺は行く」
「……わかったよ」
「ああ、そうだ。あの検非違使戦だが、主がモニターを見て血相を変えていた。あとで怒られるかもしれない」
「……そっちがついでのように言わないでくれないかな」

 国広の姿が見えなくなってもしばらく頭を抱えていた長義は、少ししてもそもそと食事に手を付ける。……味はする。ただ食欲ははっきり言ってなかった。だが、食べる。食べ物を粗末にしたいわけではないのだ。
 食事が終わり、傷も癒え、右手の動きを確かめていると、誰かが外に立つ気配がする。主だろうか、そう思うと僅かに体が強張るが、ここで怖気づくとは情けないぞと自分を鼓舞し、姿勢を正す。扉が叩かれ、ぐっと手を握りながらはいと声をかける。
「長義、体はどうですか?」
「……問題ないよ、主」
 覚悟は決めた。だがどう切り出すのかと内心戸惑いながら、長義は挑むように主に目を合わせる。それを受けた審神者はそっと目を細め、ついてきてください、と歩き出す。膳を持って歩き出せば、すぐどこからともなく現れた薬研が俺っちが預かるぜとそれを回収してしまった。無言のまま歩く。どうやら主が向かっているのは執務室らしいと気が付いて、長義はなんともいえない気分で肩の力を抜いた。別に期待していたわけではない。が、残念なような、ほっとしたような、そんな思いを抱えて促されるがままに執務室に入ると、くるりと振り返った主の腕が動いた瞬間、周囲に結界が張り巡らされる。
 政府にいた頃に覚えた審神者の霊力の傾向はいくつかある。この本丸の主が得意と聞いていた穢れを払う浄化、そして穢れを察知しやすい探知能力特化の他にも、手入れ道具や部屋等なしに刀剣男士の傷を治す癒しの霊力持ちに、異常に鍛刀が上手く珍しい刀ばかり鍛刀する審神者もいる。そして、結界特化に、戦闘系審神者……それらの逆でいずれかを不得手とする霊力持ちもいるが、果たして己の主はこれほどぽんぽんと使える能力をいくつ隠しているのだろうか。結界得意なんて聞いてなかったぞ、と二度目のそれを見て漸く思考が追いついた気がするが、今は呆けてる場合ではない。

「……主。これは防音結界?」
「そうだね」
「さっきのは」
「霊力隠し。あんな霊力放出したらさすがに気づかれちゃうでしょ?」
「……結界も、得意だったんだね」
「そうだね。ついでに言うとたぶん戦闘もそこそこできるかもしれない。歴史修正主義者に対してはあなたたち以外に攻撃手段を持たないけど」
「……そう。何から突っ込めばいいかわからなくなってきた」
「どれからでも、と言いたいところだけどあまり時間がないんだ。ちゃんと休めてないと思うんだけど、休むのも含めて今夜一晩で足りるかな」
「は? 一晩……?」
「そう、明後日から連隊戦が始まるでしょう。明日一日休んでいいから、連隊戦ではあなたに第一部隊隊長を務めてもらいたい」
「……俺が」
 薬研から聞いてはいたが、ここしばらく執務室から遠のき、今日失態を犯してしまった自分を第一部隊の隊長に据えるのかと僅かな驚きが、そして堪えきれない歓喜が全身を巡る。必死で冷静を装い、質問は手早く済ませろということかな、と問えば、そうだねぇ、といいながらも主が座布団を持ち出した。主にやらせたままではいけないと手を伸ばし二人分を運んだ長義はあえてさらりと、きっと自分が一番聞きたくて仕方なかったことを口にする。

「主には現世にいい人がいるというのは本当かな」
「は?」
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