九話



「うーん」
 来ないか。誰にも聞こえないようなぽつりとした呟きは今日の近侍である国広には届かなかったようで、どうした、と顔を上げた彼に予算書を見せながら「ちょっと考え中」と言えば、それ以上は何も問われず国広は国広の仕事に戻る。
 長義がこの三日程、姿を見せていない。以前は毎日顔を見せていたのにだ。
 とはいえ、自分の采配であるが長義は毎日出陣と遠征に出ているのだ。午前出陣、午後は遠征。どちらも長い時間を要するものではないが、私ではなく刀剣たちで決めて回しているという掃除や厨、洗濯などの当番も考えると、彼にだって暇がないのだということはわかっている。うちの本丸は毎週月曜日が全体の休日であり、それ以外は非番という形で各刀剣に休みを回しているが、長義の休みは確か明日の筈。……なんか来ない感じがするな。
 やっぱり原因はあの四日前の買い物での出来事だろうか、とため息を吐きたくなるのを我慢して書類に向き直る。あの馬鹿が来る可能性はわかっていたし、なんならたぶん私の仲間が私をだしにしてあいつを捕まえに動いたんだろうなということも察しはついているのだが、アレが長義を悩ませるきっかけとなったのは間違いない。あの後彼には珍しくどこかぼんやりと考え込んでいたのはわかっているのだが、如何せんあの馬鹿がうるさすぎるのでどれが彼を悩ませているのかがわからない。国広に対する仕置きとして、というのが引っ掛かっているのだとしたら最悪だが、そう誤解する可能性は低いのだ。そもそも私と国広の間にはなんの諍いもなく、長義が仕事を手伝ってくれたのは彼が持てる力を与えようとしてくれた結果であって、私がわざと指名したものではない。
 第一彼の偽物くんというその主張は号に対しての今の状況にであって、写しや国広自体を認めていない意味の言葉ではない。国広自身も極める前は化け物切りじゃないと言い続けていたというのに、すれ違ってしまっている。あの馬鹿男は地雷を踏み抜いただろうが、長義が何か気にしているとすれば別な理由だろう。
 感情を乱していたあの瞬間は止めることができたが、あの後気づかれぬよう乱れた霊力を整えさせようと触れた手は、震えてこそいないがひどく冷え切っていた。
 あの時は私もかなり苛立ってしまっていたので、長義の様子を良く見て置くことができなかった。ああ、主だというのに情けない。

「主」
「ん?」
「本歌なら今日は厨当番だ。昨日は風呂掃除」
「うん??」
「なんだ、本歌を気にかけていたんじゃないのか?」
「いやそうだけども」
「そうだろう」
「あ、うん」
 なんだこの会話。思わず認めてしまったが、こうも得意げに頷かれるとなんだか……いやちょっと待て。これ、特別他意はなくとも勘違いされそうな会話だな。まぁ、国広のことだからそういった意味ではないだろうけど。……なんだかもやもやする。
「何かあったのか」
「うーん。実はあの日、海棠が来てね。五虎退や秋田にも嫌な思いをさせたけど、ちょっと長義も会話に巻き込まれたというか」
「……海棠、だと? あの役人来たのか。聞いてないぞ」
「捕まったし」
「は?」
「たぶん私の本丸から私が出たの確認されてたんだよね。で、同行者も確認して私に似た審神者を探し回って、接触中に御用ってとこかな。他にもいろいろやらかしてたみたいだしね」
「おい。何さらっといってるんだ、ゲートの使用状況を見られてたなんて大問題だろう!」
 がたり、と国広が腰を上げるが、大丈夫大丈夫と手を振る。見られたのは戦場に繋がらないゲートのみ。たぶん政府にいる私の協力者がわざと泳がせたのだ。そう言えば、やり方を考え直させたらどうだと隣の部屋にいて我関せずを貫いていた大倶利伽羅からぼそりと指摘が入る。
「まぁ担当さんからももう大丈夫だって言ってましたし。馬鹿だよね、そんな機密情報盗み見てたらスパイ疑惑かけられてもおかしくないっていうのに。まぁ実際はただのストーカーだと思うけど」
「その対象になってたんだからちょっとは警戒してくれ!」
「してたよ、だから五虎退も秋田も長義も連れて一緒に行ったんです。まぁ、捕まったんだからそろそろ演練も出てはどうかって言われてるんだけどね」
 それはそれで面倒だなぁと思いながらもあれもまた仕事だと自身を納得させ、明日の予定を端末に表示させる。演練かぁ、行くのは三ヵ月ぶりかな? となると今行ったことがないのは長義と、無事迎えたばかりの豊前江か。うちは演練が練度上げに向いているとわかってはいるものの戦場で育ててから演練に行くことが多いので、今のところ豊前江は見送り、長義にそろそろ経験させたいが、どうだろうか。ならば編成は……と考え込んでいると、目の前にことりと湯飲みが置かれた。

「少しは休め」
「伽羅、ありがと」
「……厨に行ってくる」
「伽羅、薬研もそろそろ来るからな、全員分頼む」
 私と同じように大倶利伽羅を呼ぶ国広に、ふんと答えながらも嫌がる様子もなく部屋を出て行った伽羅は恐らく茶菓子を持ってきてくれるだろう。それまでに一つ仕事を終わらせるか、と先に手を付けていた予算書に戻る。今は長谷部も博多も集中的に練度上げしており秘宝の里に出陣しているが、予算書はあの二振りとも相談しなければならないからこちらは急ぎなのだ。……間もなく秘宝の里も閉じる。演練は連隊戦前から開始するとしよう。
 ふと、視界に皆の湯飲みがしまわれた棚が目に入る。比較的手前にある新しい湯飲みは、まだ一度も使われていなかった。それがなんだか妙に気にかかる感覚があるが、ふるりと頭を振って仕事へと向き直った。

 その後買い物から十日程経過しても、長義は執務室に姿を見せなかった。
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