DOGs 14


何だかぼうっとする。
マシューの家の定位置のソファーに身体を横たえ、深く息を吐く。もうしばらく会っていない。

(アーサー)

その名の甘さに思わず乾いた唇を舐める。あまりに強烈な彼との情事が思考力を奪ってゆく。

初めて、意識のある彼とキスした。ネクタイで視界を塞いで腕の自由を奪ったあの征服感は味わったことのないもので、ぞくぞくして仕方なくて余裕なんか欠片もなかった。
鼻にかかった甘い声が、涎をたらして必死に首を振る様が、吸い付けば赤く色づく陽を知らない身体が、彼が、アルフレッドを縛る。あの痴態はイザベルも知らないはずだ。

(でもイザベルは、俺が知らないアーサーも知ってるんだろう)

きつく唇を噛む。この連鎖ももう何度も繰り返した。
アルフレッドがアーサーに近づいたと思う度、イザベルはもっとアーサーに近いのだろうと嫉妬にまみれる。アーサーと仲良くなっても、触れても、例えセックスしたってどうしようもない劣等感が拭えない。それがこの前のふたりのキスシーンで爆発した。

腰を引き寄せる、近所の兄貴分じゃない知らない男の顔をしたアーサーが悔しくて、血管がぶち切れそうになった。イザベルが好きなんて認められない、認めたくない、認めてなんかやるものか。
だからあんな蛮行を、彼の意思をまるで無視して乱暴なことを、衝動に任せて。

後悔はしていない。それでも胸にわだかまりは残る。
多分それがこの前途中で萎えた原因であり、涙の理由なんだと思う。彼が果てた瞬間胸に沸いたのは喜びと痛みで思わず、すがりたくなった。抱きついて全身をくっつけて「お前が一番だ」って言ってよって言いたくて、でも寸でのところで耐える。
そんなことを頼める間じゃなくなってしまったことくらい自分にだって分かった。だから今、ここにいる。

「ねぇ、アルフレッドってば。そろそろアーサーさんのところ帰ったらどうだい?」

マシューの声がして、部屋に入ってきたのは分かったが煩わしくて目を瞑った。
昔からの付き合いだ、3日4日世話になってもいいじゃないか。まだひとりになりたくない。アーサーに慣れてしまった身体では、まだ誰もいない自分の家に帰る気にならなかった。

「もうちょっとくらい良いだろ?ケチだなぁ」
「ケチって…。君、あんなにアーサーさんが来るの楽しみにしてたのに急に帰りたくないなんて、しかも理由教えてくれないし」
「帰りたくないじゃなくて帰れないんだって言ってるじゃないか」
「そんなの一緒だろ。…ここに迎えに来てってアーサーさんに言うのも、毎日ちゃんと構ってほしかったからなんでしょ。大好きなんだから、早く謝りなよ」
「うぅー…、もーうるっさいなぁ。ちょっと一人にしといてよ」
「ったくもーしょうがないなぁ。とにかく、理由言わないと明日は追い出すから!」

バタン、とすごい音がして扉が閉められる。でもあの怒り方ならまだ大丈夫だ。本当に怒ったら黙って無理やり追い出すはずだから、それまでは大丈夫。だからもう少し。

いずれアーサーには会いに行かなければならない。それまでに謝る勇気を、目を見る勇気を蓄えなければ。
これからアーサーが自分の手に入ることは、ないのだから。




ギィと音がして閉じられていた扉が開く。ソファからは身体を起こさない。

「何だいマシュー、まだ何か用?」

面倒くさい。今出ていったばかりなのに鈍くさいなあと投げやりに呼び掛けるが、答えは返ってこなかった。不思議に思うが特に気にせずソファに身を沈める。
コツコツと大理石を革靴がこする音が近づく。マシューが革靴なんて珍しい、と思う暇もなかった。


ドゴォン!!!


慌てて飛び起きると、信じられないものを見た。


「アー、サー…?」


久しぶりという感じがしないのはずっと彼のことを考えていたからだろうか。思い描いていた彼がいる。
いや、それより何よりアルフレッドの隣にあった机を蹴飛ばして壁を破壊したまま俯いた彼が気になって仕方ない。もちろん悪い意味だ。

ゆっくり顔を上げた彼と目が合う。
総毛立つ。
もちろん、悪い意味で、だった。

「―――アルフレッド」

座ったまま後ずさるとガタガタッと思ったより大きな音がして余計焦る。

「1日なら仕方ない。ああ仕方ないさ、何せ俺たちは人間だ。無断外泊のひとつ、許さない俺じゃない。だがな」

嫌な汗が吹き出るのに今度は指の先まで動かなくなった。音を立てて彼が近づいてくる。
その翠が深い深い怒りに彩られていて、息が詰まった。


「一緒にメシ食べる約束3日も反故にされて、許せるはず、ねぇだろ?」


振りかぶった拳は間一髪避けれた。ソファーから転がり落ちて背をしたたか打ち付けるが、何とか耐える。
ドンと嫌な音がしてアーサーが拳ごとソファーに沈む。やばい。

「に、げ、ん、な、よっ!」
「に、逃げるに決まってるんだぞ!!!」

本能的に足に力を込めずっと出ていかなかった扉を飛び出し階段をかけ降りる。後ろからも同じ様に走る音が聞こえて、冷や汗が出た。
アーサーは馬鹿力だから怒りに任せた本気の拳はかなりのダメージになりそうだ。とにかく逃げ切ろうとして、浮かんだ場所はなぜかひとつしかなかった。バカらしい。自分から彼の檻に入るようなものなのに、そこが最善の逃げ場所だと信じて疑わなかったのだから。
結局自分にとっての逃げ場所は、あそこしかないのだろう。










「…ま、て!」

持たされた鍵で開いた扉から馴染んだ匂いが溢れて、一瞬動きが止まりそうになるが後ろから掛けられた声に慌てて進もうとする。指の先が触れる。温かさに戸惑って、それでも扉の壊れた部屋に駆け込んだ。
瞬間、ドスンと衝撃が背中に走ってたたらを踏み、そのまま倒れる。
惜しい、ベッドの一歩手前だった。

「いだぁっ!」

だて眼鏡が吹っ飛ぶ。痛みに顔をしかめていると、すぐにゴロリとうつ伏せから仰向けに転がされる。
上に乗ったアーサー。まるでこの前と逆だ。


「お前、最低だ」


絞り出されたような声と共に、真上で顔がくしゃりと歪む。


「お前は、お前は俺がどんな気持ちで二人分作った飯食ってたか、」


けれどグッと何かを飲み込んで、アーサーが眉を八の字にする。そのまま顔が近づいてきたけれど、アルフレッドの体は指先まで自由が奪われて、ただその目を見つめるしかできない。

どうやら心配はいらなかったらしい。
アルフレッドがその深い色をした翠から目を逸らせるはずがなかった。












091231