DOGs 11


瞼が重くて目が開かない。昨日ずっと泣いていたからだろう。まだ寝たい。
プシッ。
霧みたいなものが手首にかかって、両手首を合わせてこすられる。香ったのはアルフレッドの香水らしかった。

(香水?)

そこで異変に気づいてやっとうっすら目を開ける。少し満足そうな顔でこちらを見下ろしているアルフレッドがいて、結構本気で驚いた。

「起きたかい」
「…何してんだ」
「マーキング」

マーキングとはどういう意味で使ったのか。働かない頭では答えが出ず、それどころかまた襲ってきた眠気に負けて目を閉じる。

「なぁ、今日金曜だけどまたイザベルと会うの」

アルフレッドの声がただ心地いい。

「さあ…」
「会わないでよ。断って」
「誘われたら、むり。無下にはできない…」
「それは、イザベルを好きだから?」
「ばぁか、そんな目では見てねえよ。親が上司だからに決まってんだろ…」

そして、イザベルに悪い心証を与えないように。

「え、好きじゃないの?」
「好きじゃねえよ」
「本当に?」
「嘘つかねーって」

ゆったり目を開く。眼鏡の奥の瞳から感情を読み取ることはできなかった。

「…怒ってないのか?」

手を伸ばす。振り払われずその少し骨ばった頬に触れられて、自分がとても緊張していたことに気づいた。

「怒ってるよ」

頬に触れた手がピクリと揺れる。気づいたか気づいていないのか、アルフレッドはその手をおおうように自分の手を重ねた。

「だから明日明後日は、俺のために空けとくんだぞ。ひっぱり回してやる」

言葉とは裏腹の優しい笑顔に目を丸くする。

「それに君が本当にイザベルを好きじゃないなら、怒ってるのバカらしくてさ」

言葉を反芻して、やはりイザベルを好きなんだと苦い気持ちは生まれる。けれど笑った顔がもう見れないと思っていたから、それ以上に嬉しくて仕方ない。
アルフレッドが腰かけていたベッドから離れてから、小さくガッツポーズした。








「どうしたの?今日はずいぶん嬉しそうじゃない」
「そうか?」

何度目かの食事を終えて外に出る。白い息を吐くと、イザベルが少し意地悪く笑った。

「それとも、アルと同じ香水で浮かれてるの?」

真相を突かれてギクリとしたが、顔には出さず余裕ぶって笑う。本当に女性は怖い。

「何でだよ」
「あら、まるでアーサーは俺のものだって言ってるみたいじゃない。アルを好きなら嬉しいでしょ」
「それ、好きの意味が違うだろ。まるで俺がアルに恋してるみたいじゃねえか」
「あは、それもそうね」

食事に誘われると断れないというのはアルフレッドに言っておいたので昨日みたいに怒ることはないだろう。メールもしたし、大丈夫。
隣で少女が艶やかに笑う。普通の男ならそんな少女に好かれたらさぞ嬉しいことだろう。ただアーサーにはアルフレッドがいて、アルフレッドは少女が好きだから。

「…羨ましい」

ぽつんと落とした言葉にイザベルが感情の読めない笑みを浮かべた。

「私に言ったのね。何で?」
「さあ…何でだろうな」

そんなのは決まってる。アルフレッドに想われているから。アルフレッドの隣に堂々と立てるから。

「羨ましい、本当」
「…失礼しちゃうわ」

再三の言葉に珍しく諦めたように笑って、少女がアーサーの首に手を回し抱きついた。腰に手を回す。もうそこに躊躇いはない。
初めて唇が重なる。そしてその初めての接触は確かにアーサーの胸を喜びで満たした。

(やっぱり俺のこと好きなんだ。アルフレッドより、俺を)

まだ取られない。その昏い喜びに身を浸しながら、望まれるまま深く口付けた。

「んっ………今日は、ここまでで良いわ。あとは一人で帰る」
「送るよ」
「大丈夫、ありがと。…じゃあね」

キスをしたのに浮かべられた少し寂しそうな笑顔に違和感は覚えたが、声をかける間もなく走るように去っていってしまう。高級ホテルの前で一人取り残され呆然とするが、仕方ないので歩き出した。
酔っぱらいは車を運転してはいけない。しかも今は浮かれているから危なさも倍増だ。

(俺のこと、好きなのか)

まだ大丈夫。アルフレッドは大丈夫。あいつはまだ片想いから抜けない。
そう思うだけで自然と笑みが浮かんでいた。

「やった」

けれどその小さな歓喜は、路地の暗がりから伸びた一本の腕に簡単に掻き消された。

突然強い力で引っ張られてコンクリートの壁に頭をしたたかぶつけ、呻く。そうして怯んだ隙に、間髪入れず生暖かいものが唇に触れた。

「んっ!」

すごい力が両手首を掴み降参のポーズで壁に押し付け、誰かの足が股の間を割り入る。入ってきた舌が自由に動いて思考力を奪う。上顎を舌で突つかれて寒気がした。渾身の力で抗おうとするができない。くちゅくちゅと嫌な音が響いた。

散々咥内を犯されてやっと唇が離れる。それからそのまま強い力で引っ張られた。振り払おうとするができない。そして、向かう方に何があるか気づいて血の気が引いた。
ラブホテル街だ。

「いやだ…っ!離せ変態、俺は男だ!」
「知ってるって言ってるだろ!!」
「はなっ…え?」

それは聞いたことのある、いっそ飽きるくらい聞いたことのある声だった。
よく知る、泣きそうな声。


「くそ、女の味がする…っ!」


胸が締め付けられるような声だった。












091226