DOGs 10


自分の気持ちに気づくことができたら『どうやればイザベルを夢中にできるか』というのはひどく簡単な問いだった。
深夜の遊園地ではしゃいだり、映画で感動したり、ドライブしてただ話したり、そしてそれすべてを楽しんでる振りして彼女を自分に惹かれさせてゆく。紳士的に優しく、少し強引に、最高のエンターテイナーを目指して。

アルフレッドとはいまも少しぎくしゃくしている。当たり前だ。毎日のようにイザベルと会っているから迎えにいく時間は自然と遅くなるし、この前から目をろくに見ていないのも原因だろう。
見てしまえばつい、好きだと言ってしまいそうで。

「もうっ、アーサーったら何言ってんの!」
「何だよ、本当のことだろ?」

耳元に唇を寄せて囁くとクスクス笑う。冷えきった心は感情を裏切って笑みを浮かべ、まるで恋人同士だ。
ずるいのは百も承知だ。それでもやめるつもりはない。まだアルフレッドには誰のものにもなってほしくない。アーサーのものにはならないのだから、それぐらい、良いじゃないか。


今日は車を使わなかった。イザベルの車が待っているところまであと少しだ。これでやっとアルフレッドを迎えに行けると、やっと会えると思うと、少し嬉しくなった。

「あら?」

驚いた声につられて、ゆっくり視線をあげる。
いつも通り止まっている車にもたれて青年が立っている。だらしない制服と街灯に照らされた明るい金髪はよく知ったものだ。そのまま思考はフリーズした。

「アルフレッド?やだ、どうしたの!」

イザベルが手を振る。うろんげにこちらを向いた目は驚くほど冷めていて、ものすごく怒っているのだと分かる。心臓が冷えた。


「…それ」

指さされてびくりと震える。聞いたことのないような低い声だった。

「もらいに来た」

イザベルがこちらを驚いたように見る。

「知り合いなの?」
「あ、あぁ…幼なじみで、いま預かってるんだ」

言いながら強い視線を感じる。睨んでいるのだ。アーサーがイザベルを、取ったから。

「それじゃ…じゃあな、イザベル」
「あ、うん。じゃあねアーサー、愛してるわ」

空気を読んだのかいつものように抱きつくことなくイザベルは手を振ってアーサーに別れを告げた。

「アルフレッドもバイバイ!また遊びにいきましょ」

その言葉に頭が反応する。何だ、またってことはやっぱりアプローチはかけてるのか。少し胸が痛む。
車にエンジンがかかったのと、強い力で腕を掴まれたのは同時だった。

「っ」
「毎日おれを遅くまでマシューの家に放っておく理由は、これ?」

耳元で囁かれてカッと頬が火照る。乱暴に腕を振り払おうとするが、離してはくれなかった。

「おいっ…!離せばか」
「やなこった。何のつもり?」

理由なんて言えるわけない。こんな醜くて汚い女々しい気持ち、誰にも言うつもりはなかった。

「何だっていいだろ。…関係ない」
「あるよ」
「ない!毎日迎えに行って、一緒に飯食ってるじゃねえか。俺は約束を破ってない」

手を払うと存外簡単にアルフレッドは力を抜いた。そのまま早足で家に向かう。
モヤモヤする。途中、会話は一切なかった。







アルフレッドは帰るなり自室に引き上げた。本当に、かなり怒っているらしい。まあ、仕方がない。
それに関しては口出しせずネクタイを緩める。イザベルと会うときは何があろうとネクタイを緩めない。自分は紳士であるべきなのだから。

(最低最悪の気分、だな)

端から見ればイザベルとアーサーは恋人のように見えただろう。なら、これからは恋敵として見られるのだろうか。なら疎まれる。嫌われる。邪魔にされる。
自分が好きなのは、アルフレッドなのに。

(くそ、暗くなる)

何も考えなくていいもので気分転換しなければ。そう、例えば。

「どこしまったっけ、AV…」

もうどうにでもなれ。








『あぁんっ!はぁっ、あんぅ』

ラフな寝間着に着替えてソファにだらしなくもたれる。電気を落とした暗い部屋で泣き声のような声が響いて、若い女が画面の中で乱れ続けていた。
けれど、まるで勃たない。どうしてもそれがイザベルとアルフレッドにしか見えなくて、そんな自分が気持ち悪い。

停止させる。最悪の気分はいまだ継続中だ。

「ああ、くそ」

冷たい目を思い出して泣きたくなる。上手くいかない。ただ、笑いかけてくれればそれで十分なのに。



「アーサー」

幻聴かと振り返れば音もたてず扉のところにアルフレッドが立っていて、心臓が止まるかと思った。

「び、びびびっくりさせんなよ!」
「扉ないから筒抜けでうるさくて眠れない。…君はいつもこういうのでヌくの?」

アルフレッドの顔は暗くてよく見えない。光源のテレビはいまだ淫らな女を映したままだ。

「…たまにな。勃ったんならトイレ行ってこい」

男の生理だから恥ずかしいことじゃない。目の前にテレビがあるからこちらの表情は見えるだろうとトイレのある方へ顎をしゃくった。
しかし、アルフレッドはトイレに行かなかった。それどころかこちらに近づいてきて、アーサーの肩をぽんと押しそのままアーサーに乗っかった。
目を丸くする。

「な、」
「見てたくせに、君は勃ってないんだ」

画面の青白い光にアルフレッドの顔が照らされる。酷薄な、男の色気のある表情に心がひどく波立った。
言葉がなくなる。その顔が近づいてきて思わず目を強く強く瞑った。知らないアルフレッドは少し怖い。

しかし身体には待てど何の感触もなく、恐る恐る薄く目を開ける。すると目の前の、息のかかりそうな位置に顔があって思わず息を呑んだ。至近距離でその顔が苦い笑みをかたどる。

「キス、するかと思った?」
「…俺は女じゃねえ」
「知ってる。…知ってる、よ」

アルフレッドはそれだけ言って身体を離した。熱が離れる感覚が、ただ名残惜しかった。

「じゃあ今度こそ、おやすみ」
「ああ。…おやすみ」

広い背中がまた闇に溶けていく。身長は同じくらいなのに、覆い被さられてその体格の違いが分かった。アーサーくらいならすっぽり包み込めそうだった。小柄な女性ならもっと顕著だろう。例えばイザベルあたりなら、もっと。

(何で俺、女じゃないんだろ)

そうしたら、どんな手を使ってでもアルフレッドを捕まえておけるのに。あの大きな体に包まれる特権を手に入れる努力なら、きっと誰より惜しまないのに。

ぽろ。
(あれ?)

涙が頬を伝って驚く。何度もこするが止まる気配はないので諦めて、アーサーは暗い部屋でただ、止まらない涙をぼんやり流し続けた。












091226