DOGs 9


アルフレッドがイザベルを好きだと気づいたあの日から、俺は変だ。


「じゃあね、アーサー。今日は付き合ってくれてありがとう」
「いや、俺の方こそ。楽しかった」

イザベルがきれいに微笑んで、それから突然抱きつかれた。髪がふわりと揺れてシャンプーの匂いが香水と混じる。
先ほどから匂いが飽和して酔ってしまいそうなことに、彼女は気づいていない。

「また誘ってもいい?」
「…もちろん」

抱きしめはしない。パッと身体を離して、イザベルが待たせていた車に乗り込んだ。

「じゃあねアーサー。愛してるわ」
「うん。それじゃ、イザベル」

黒塗りのベンツがテールライトだけ揺らしながら闇に溶けてゆく。

「…何やってんだ、おれ…」

十分に見送ってからアーサーはゆっくり、盛大にため息をついた。
気もない女の子をその気にさせて、緊張してろくに味の分からない食事をする。その理由は(信じたくないが)ただの近所のガキに特別な存在を作らせたくないからなんて、まさかとは思うが実際突きつめればそうなんだから自分で自分が分からない。
そこまで考えて思い浮かんだ顔に言い知れない罪悪感が沸いた。

(アルフレッド…)

きっとこれがバレたら嫌われるだろう。いたずらに純な片想いをかき回されて、さぞや怒るんじゃないか。
でも、それでも、今イザベルが自分に夢中になってくれるならいいのだ。今だけでも、男二人の単純で平凡で、楽しい生活を邪魔されなければ。

(何で俺はこんなにアルフレッドに固執してるんだ)

今日何度めかの同じ疑問はやはり理由が出ない。

「…何か飲んで帰るか」

酔えない酒を胃に詰め込んで気分が悪い。家への帰路は夜の街に進路を変えた。








階段をうまく上がれない。それでも何とか上がりきって、ドアノブに鍵を突っ込もうとした。合わない。

「んんー?」

ガンガン当てるが一向に鍵穴に合わない。何でだろうとろくに回らない頭を回して考える。それが職場のロッカーの鍵とは気づかない。
深夜のアパートに鍵をぶつける音が響く。めんどうくさい。ドア、壊そう。
ふらふら後ろに下がり、一気に扉にぶつかった。内側から扉が開かれたのはその時だった。

「うわっ!?」
「わー」

ドシン、と何かの上に倒れ込む。それからすぐに嫌な音がして下敷きにした男がフローリングにしたたか頭をぶつけたのがわかった。
身体を反転させて顔を覗き込む。案の定アルフレッドが眼鏡の奥の瞳を浮かばせていた。

「泣きむしー」
「…君にだけは言われたくないね!」

耳元で叫ばれて、笑った。それから頭を起こすのが疲れたのでぺたりと頬をその固い胸板につける。少しいい匂いがする。

「酒くさいぞ。だから今日迎えに来なかったのかい」
「行ったー。お前、帰ってたもん」
「当たり前だろ。今何時だと思ってるんだい。…本当、これきりだからね。もう迎えに来ないなら帰らないか…ら?」

密着したまま身体をずらす。そしてアルフレッドの首に鼻をうずめた。

「…っ」
「あー、やっぱいいにおい」
「こんの、酔っぱらい…!人の話聞けよ!」

だってどうでもいい。どうせ俺は毎日迎えに行くんだから。
鼻を動かすと鼻孔に広がる男物の甘くない匂い。飽和していた甘さが消える。この匂いの方があの子のより、ずいぶん。

「好きだな」
「…アーサー?」
「この匂いー」
「…はいはい、そんなとこだと思った」

すんすんと何度も匂いをかぐ。腹の中を満たしたかった。そのとき、ぽんと背に手が回った。

「本当、甘えたれだなあ」

その優しくて甘い声に、酒に緩まされていた頭がもとに戻る。気づけば飛び退くように距離をおいていた。
アルフレッドの瞳が驚きに染まる。けれど気にする余裕はなかった。
何をやってるんだ、アーサー!

「わ、るい。…どうかしてた」

アルフレッドの驚きに染まっていた目は一瞬翳り、けれどすぐに頭を俯けて立ち上がった。

「別にいい。酔っぱらいのやることじゃないか」

どこか傷ついた感じがして喉がつまる。ダメだ。この前から嫌われるようなことばかりしている。
アルフレッドは背を向けてリビングに向かい、どっかりとソファの定位置に腰を下ろした。

「でも、最低だぞ」
「、…うん。ごめん」
「分かってないくせに」

はあ、とため息をつかれてまた胸がつまる。昔みたいにまた仲良く、気楽にいたいだけなのに。

「お前、好きな子はいるのか」

言葉は口を突いて出た。アルフレッドが目を真ん丸にしてこちらに顔をあげる。

「なんだい急に」
「ああ、いや…気になって」
「…タイミング良いんだか、悪いんだか」

ちょいちょいと手招きしながらアルフレッドが隣を叩く。座れという合図だろう。大人しく座りにいって、目を合わせた。

「好きな子なら、いる」

イザベルだ。何でか見てられなくなって目をそらす。

「こら、ちゃんと見るんだぞ」

…手で頬を掴まれて無理やり目線を合わせられた。聞きたくないのに。

「バカで融通きかないしすごいネガティブだし鈍感だしバカだし天然だし先回りしすぎて空回るし器用なのに不器用だしバカだし、バカな子だよ」
「何もそこまで…」
「でも、かわいくてしょうがない」

「すごく、好きなんだ」

頬を掴まれたせいでいつもより距離が近い。真っ青な空色が潤んで揺れて、なんでこんな目に遭ってるのかと思う。

何が父性。何がただの近所のガキ。

(おれは、アルフレッドが好きなんだ)

そして自覚した瞬間にふられるなんて、俺も大概終わってる。

「叶ったらいいね」

笑顔で心にもないことを言う自分が気持ち悪くて吐き気がした。腕をつかんで頬から手をのける。
そんなにあの子が好きなのか。でも、二人でいる間くらい邪魔したって良いだろう。お前の母さんが帰ってくるまでだよ。
また少し前みたいに繋がりがなくなったら、そうしたら好きなだけ、キスでもハグでもセックスでも、好きなだけ。

(あ、泣きそう)

「アーサー」
「寝ようアルフレッド。明日も学校だろ」
「アーサー」
「俺は寝る。おやすみ」
「………うん。いい夢を」

意図的に目を見ないようにして背を向け、携帯を取り出す。メール機能を立ち上げて、送信主を選んだ。今までもこれからも送る予定がなかった人に。


【また会いたい。映画でもどう?】


薄っぺらい言葉。貼りついた笑みも薄っぺらいのだろう。仕方がない。嫉妬しか感じない相手なんだから、仕方がない。












091225