DOGs 6


アーサーの射殺しそうな視線はそのまま教師に突き刺さり、目の前の喉が緊張からゴクリと大きく上下する。ああ、アーサーがキレてしまった。蛇に睨まれたカエルさながらの光景とこれから飛び交うであろう罵詈雑言の嵐に、アルフレッドは気付かれないようため息をついた。
アーサーの薄い唇が開く。アルフレッドも下腹に力をいれて、隣からすぐに聞こえるだろう怒号を待った。

「アルは、いい子です」


「「…は?」」


だからその予想の遥か斜め上をいく答えに教師と同じように間抜けな声を漏らしたのは仕方ないことだろう。
アーサーはそれを気にせず笑う。殺気を引っ込ませて浮かべられた笑みは、今までのどれよりきれいで、どれより空恐ろしかった。

「アルフレッドは頭がよくて優しい子です。気立てだっていいし、落ちこぼれでも何でもない。今少しグレたいだけなんですよ」

いけしゃあしゃあと言い募るアーサーに何か言いたそうに教師が口を開くが、その恐ろしい笑顔につぐむ。

「そうだ、明日の授業参観ではその単元でもっとも難しい問題を当ててあげてください。完璧に答えますから」
「…な、何を言ってるカークランド。後悔しても知らんぞ」
「話はそれだけですね?それでは」

華麗に教師の言葉は無視してアーサーは唖然としているアルフレッドを立ち上がるように促す。そしてアーサーも立ち上がり丁寧にお辞儀をし颯爽と去った。突風に似ている。
まるで紳士のようだと、信じられないものを見る気持ちで教師はしばらく動けなかった。








「だあぁっ!ムカつく!」

校舎を出た瞬間、アーサーは叫びだしそうな勢いで拳を手のひらに打ち付けた。およそ紳士らしくない。
腹の底が熱くて、よく手を出さないでいられたと思う。当の本人はあまり気にしていないようだが。

「君、あんなこと言っていいの」
「いい。お前をあんだけバカにされて黙ってられるか」

自分がバカにされるのは、不快には違いはないが耐えられる。愚かで考えなしだったのは自分でもよく分かっていることだ。
けれどアルフレッドは別である。昔から特別頭のよかったこの子が愚かなんてある筈がない。むしゃくしゃして砂利をがつがつ蹴ると、小さな石たちはそれに合わせて何度も跳ねた。

「……いま世話してんのは義務だろ」

突然の、思ったより低い声を不審に思って振り向く。アルフレッドはどう判断すればいいか分からないとでも言いたげな顔をして唇を噛んでいた。

「そこまで熱くなる必要、ないじゃないか。君は、俺のこと…嫌いなんだから」

―――どうやら、何か決定的な食い違いをしているらしい。

無言で開いていた距離を詰めて驚いた顔をしたアルフレッドの胸にとんと人差し指を押し付け、強く目を見る。
嫌い?ふざけるんじゃない。それはお前の方だろう。

「いいか、俺は熱くなろうと思って熱くなるんじゃねえ。お前のことだから熱くなったんだ。今回の懇談だって、二者面談していいことなかったからお前にそんな思いさせたくなくて来たんだ。俺はお前が大事なんだよ。じゃないと義務だけでこんな世話焼くか。いいか、俺はお前がかわいいんだ!」

言い切る。全て本心からで嘘も虚飾もない。しかしアルフレッドの頬がうっすら赤みを帯びはじめたのを見た瞬間、今何かとんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったような気がした。

「も、もちろん小生意気だとも思ってるけどな!」

どんなに恥ずかしくなっても言った言葉は戻ってこない。だから逃げるようにくるりと振り向いて歩を進めた。居たたまれない上につられた頬の熱も収まらないくて、最悪だ。

カツカツと早足に進んで、でもそれが一人分なことに気づく。しょうがなく振り向くと案の定アルフレッドは動いてなくて、何なんだよとため息をつきたくなった。

「おい、一緒に帰らないのか…」

異変に気づく。アルフレッドの口角が少し上がっていた。目は眩しそうに細められ、でも楽しくて笑顔になりそうというより、何だかむずがゆそうだ。
目が離せない。


「啖呵切ったのはアーサーなんだから、分からない問題は教えてくれよ」


そうして吹っ切ったように満面の笑みを浮かべたアルフレッドを見て、アーサーは今度こそ嬉しさに顔を真っ赤にした。








ココアを二つ分淹れてドアのない宛がわれた自室に入る。そして難しい顔をしてアルフレッドの教科書を見つめていたアーサーにカップを差し出した。

「ん?あ、悪い。俺がやるべきだったな」
「ほんとに」

アルフレッドがいたずらっぽく笑うと、アーサーも笑いながら「ばか野郎」と軽くアルフレッドの胸を叩いた。明日の授業参観は数学だ。

「お前、今どんな感じだ?」
「まあまあだとは思うよ。…ま、心配しなくていいんだぞ」

だから早く眠りなよ、とアルフレッドが笑う。もう2時を過ぎているから当然だ。けれどアーサーにその選択肢はなかった。

「やだ、寝ない」
「…何言ってんの。いつも12時前には寝てるじゃないか」
「お前ががんばるのに俺が寝てちゃダメだろ。これに関しては一心同体、俺たちは運命共同体だ。だからお前は早く完璧にして、俺を寝かせろ」

しばらくアーサーをじっと見てから、アルフレッドは一気にココアを飲み干す。それからぐしゃぐしゃとアーサーの頭をかき回した。
こら、やめろと反抗したけれど、いくら言っても嬉しそうに笑うばかりで聞いてはくれなかった。







実に痛快に時は過ぎた。
次の日の授業参観では宣言通り当てられたかなりの難問にもアルフレッドは感嘆するほど完璧に答え、教師の苦々しい「正解だ」の声はクラスメートに歓声にかき消されてしまった。
目があう。口の端だけ引き上げて器用に笑ったアルフレッドに、アーサーもクマを作った目を細めて同じように器用に笑った。





アーサーは安心していた。
アルフレッドとはきっかけは曖昧だが何とか和解できた上に二人暮らしにもやっと慣れてきて、これからはもっと楽しい同居生活になるだろうと期待していた。
―――これからもっと深く悩まされることになるとも知らずに。












091217