DOGs 4


昨晩から頭から離れないものがある。低い声と冷たくてすこし悲しそうな目。アーサーをバカにしたいつものアルフレッド。悲しそうな、見たことのないアルフレッド。

その悲しそうな顔はアーサーを無言で責めているようで思い返すたび苦しくなる。自分も昔は尖った覚えはあるけれど、あんな複雑な表情をしたことがあっただろうか。

「絶対なかった……ああもう、全然わかんねぇよ…」

頭を抱えて机に突っ伏す。と、目の前で優雅に食後の一杯を楽しんでいたフランシスと本田が笑った。

「何を深刻に考えてんのかと思えば。困ってんなぁ、そんなに大変なの?ワンコ」
「やっぱり仲良くなるなら一緒に遊ぶのがいいんじゃないですか?子犬なんでしょう」

アーサーは突っ伏したまま目線だけ上げてふたりを捉える。同期のよしみで好き勝手なことを言うが、話を聞いてくれるのは助かっていた。

しかし、目があった瞬間ぴしりとふたりの顔が固まった。それでも気にせずじっと見ながら思考を巡らせる。そのため無意識に困ったような頼りない上目使いをしていることにアーサーは気付かず、直視してしまった二人は魅入ってしまって動けない。


遊ぶ。昔はみんなでサッカーや野球をした。ゲームは疎くてできない。何で遊ぶ?スポーツ?いや、時間がない。家で出来るもの。アーサーがしても楽しいこと。
―――映画か。


そこまで行き着いたが、正直あまり自信はない。そんなことでアルフレッドに近づくことができるとは思えなかったし、楽しい思いをさせてやれるかは謎だった。6つも年が違えば何を好むかも曖昧だ。

まあでも、接点をつくるのは悪いことじゃない。

「やってみるわ。DVD」

アーサーは決意新たに立ち上がり昼食場所から去った。少し頬を赤くして硬直したふたりを置き去りにしたのは、ひとえにDVDに頭を占拠されていたからだ。



「「…DVD?」」

犬とDVDってどんな組み合わせ?とふたりの動きが再開されたのは、昼終わりを告げる柱時計の音が終わってしまってからだった。








「で、なんなんだい?突然一緒にDVD見ようなんて」
「映画はひとりで見てもつまんないからな。お前のも付き合うし」

宣言通り特にうまくも不味くもないアルフレッドの料理を食べ終えると、アーサーはDVDデッキに自分の分をセットしてソファーの端に鎮座した。そうしてその隣を座れとぽんぽん叩く。
ふたり掛けのソファーは男ふたりが座ればいっぱいになるだろう。

アルフレッドは固まったままだ。正直うまくいくか緊張しているので何かアクションはしてほしい。

本当はこんなに気をつかってやる必要はないのだ。けれど昨日のアルフレッドは、何故かは分からないが確かに自分が傷つけたようだったから、今の気持ちは罪滅ぼしに近い。

「何だよ、俺とラブシートは嫌か?」
「…嫌って言ったら泣くくせに」

やれやれとでも言いたげにアルフレッドがゆったり座る。しかし、双方ともに端に身を寄せているから二人掛けのくせに間がかなり空いてしまった。

でもそこまで口出しして鬱陶しがられるのは本意じゃない。一緒に同じものを見たら少しは仲良くなれるかもしれないし、そうしたら昨日の傷も癒える可能性はある。そのためには嫌なことはあまりしない方がいいだろう。

(何で俺がこんなに気ー配ってんだか)

いつのまにかお菓子を持っていたアルフレッドを少し恨めしく思いながら、アーサーは始まった映画に集中することにした。










『ロミオ様。どうしてここへ? モンタギューの御曹司であるあなたが見つかれば、死は免れぬというのに』
『恋の軽い翼で塀を越えました。石垣などでどうしてあなたへの想いを締め出せるでしょう。ジュリエット、僕は君を愛している。梢を白銀に染める、あの月に誓って』
「うっ…ぐすっ、ぅう…っ」
「……」

いけない。このシーンは絶対泣いてしまう。この先を知ってるからこその涙だが、だめだどうしようもない。
袖で涙をぬぐうと自らのそれがすでに涙でびちょびちょなことに気付く。タオルを持ってこなかったのは間違いなく失敗だった。

ぱりぽりと隣からは菓子を咀嚼する軽快な音がとぎれない。嗚咽もアーサー一人分だ。

「おま、よく泣かねえな…」
「いや、そりゃ…これじゃ泣けないぞ。趣味じゃ…」
「しっ!」

続く声は台詞を遮るので手で口を押さえてやめさせる。それからは一言も交わさず、アーサーは隣にいるアルフレッドも気にかけずにただその世界に没頭する。
そしてラストシーンでジュリエットが隣で眠るように死んでいるロミオを見て毒をあおったその瞬間、いともたやすく涙腺は決壊した。

「うううぅぅ…っ!」

ごしごし拭っても拭っても涙が止まらない。悲恋ものは何回見てもだめだ。あまりに可哀想で、もう。

「こら、こすったらダメだろ」

しかし突然大きな両手がアーサーの上半身を捻らせてアルフレッドに向かわせ、袖を目元に押し付けられて涙をぬぐわれた。
どちらが年上なのかと思うその態度は、さすがに優しさからのものでも悔しい。

「うっ…子ども扱いすんなばかぁ…っ!」
「はいはい。分かったから泣くんじゃないぞ」

ぽんぽんとなだめるように背中を叩かれる。なめてんのかと反抗したが、すぐに疲れて諦めた。

電気を落とした暗い部屋で背中を一定のリズムで叩かれながら、女の優しい歌声が響く。だからか何となく、悔しさもどうでもよくなってしまう。

そのままこてんと額を肩に押し付けた。少し固くなったが嫌がるそぶりは見せない。

(話しかけても返すし、子ども扱いだけど普通に俺と接してる。…昨日よりは安定してるな)

腫れたまぶたが重い。目を開けていられなくなって閉じると、沈むように意識は急速に黒く塗りつぶされていった。










浮遊感に軽く意識が浮上する。背と膝の裏の感触から持ち上げられているのだと気付いた。持ち上げるのはもちろんアルフレッドだろう。
普通に起こせよ、と言いたいが口が開かない。何より瞼が重すぎる。

「…君は、何がしたかったんだい」

その言い方からするとどうやら意図は伝わっていなかったらしい。
それもそうか。昨日までろくに会話も交わしていなかった男に突然DVD観賞に誘われて、しかも誘った方は勝手に泣いて勝手に眠ってしまったのだ。恥ずかしさがこみあげそうなものだが、緊張と疲れでそんな感情も浮かばない。

アルフレッドに関して、ふたりになってからずっと気になっていることがある。
辛い顔も怒った顔もつまらなそうな顔も見た。だけど昔よく見た、あの天使のような笑顔だけが欠けている。それが寂しい。


「わらえよ…アル」


どこかに運ぶように動いていた足が止まる。だめだ、意識を留めることができない。眠くてたまらない。

意識が飛ぶ一瞬、やわらかい何かが口をかすめたかと思うと強く引き寄せられ、もっと身体が密着する。何だか危うく落ちそうだったので締めないようにゆるく両手を首に回すと、体を支える手にもっと力がこもった気がした。










091215