長い長い3限目が終わって荷物をひっ掴み駆け出す。すぐに後ろから声がかかった。

「チュッパ忘れてんぜーアル!」
「何だい、気が利くじゃないか!」

大学生活も半年が過ぎれば居心地良いものだ。サークルも同じの悪友はにやりと笑ってまだ机に座ったまま飴を投げた。
綺麗な弧を描いたそれをキャッチしたアルフレッドは片手だけ上げて振り向かないまま教室から走り出る。

今日はこれ以上無駄な時間は増やせない。せっかく『彼』が海を越えて会いに来てくれたのだから。





彼と会うのは大学の近くにある図書館と決まっている。息を切らして会いに行くのはあまりに不格好だから、逸る気持ちを抑えて入口の前で立ち止まった。
息を吸って、吐く。そうしてから自動ドアをくぐって一直線に閲覧スペースに向かった。

(…あ)

背筋をピンと伸ばして何か仕事をしているらしい後ろ姿を見つけて、思わず口元が弛みそうになる。それでも、もにゅもにゅする口を真一文に結んで、アルフレッドはゆっくり近づきカバンを彼の隣のスペースに置いた。

「隣、いいですか?」
「あぁどうぞ…って」

上向いた彼と目が合ってにやりと笑いかける。アーサーは眼鏡をかけたまま呆れたように顔をしかめた。

「からかうな、アルフレッド」
「久々に会うんだしいいじゃないか。元気だった?」
「ああ。お前こそ」
「俺は元気さ。ヒーローだからね!」

そう言うとアーサーは苦笑して立ち上がった。流れるようなその所作は品がありアルフレッドには真似できない。
年はそう変わらないみたいなのにこの後見人はアルフレッドより多くの経験を積んでいるらしかった。

「さあ行こう。大学生活はどうだ?留年すんなよ」
「もう慣れたよ。俺は優秀なんだぞ」
「ガールフレンドは?」
「いてほしいかい?」

内心恐る恐る聞くと、アーサーは読めない顔で笑う。

「人生、何事も経験ってな」

ぽすりと肩に手を置かれる。この後見人は、本当に何も分かっていない。









アルフレッドには半年前からの記憶がない。何だか大きな事故をして、その衝撃ですっぽり抜け落ちたらしい。家族も親戚もおらず、今はイギリス在住のアーサーに金銭面を養ってもらっている。

アーサーは不思議な男だった。まだ若いのに信じられない金持ちで、イギリスの政治に深く関わっているらしい。この前携帯でイギリスの首相を愛称で呼んでいた。
そしてアルフレッドを猫可愛がる。別に嫌ではないのだけどむず痒い。
そして、悔しい。

彼はアルフレッドを弟のように扱う。アルフレッドにとってアーサーは兄なんて優しいものじゃないのに。

兄に劣情なんて抱かないのに。







「…アーサーこそ、早く彼女作んないと乗り遅れるぞ」
「俺?俺は…別にいいさ」

悔し紛れに言った言葉にアーサーの目が切なそうに細まる。

「もう恋なんてできねえよ」

図書館から出て、眩しそうに太陽を見上げたアーサーの中には忘れられない人がいる。それが面白くない。いなくなってしまった人間にアーサーが取られるなんて、我慢ならない。

「女々しくしてないで早く忘れたら?その人も迷惑してるんじゃないかい」
「お前なぁ…。…俺の恋人は、後にも先にも一人だけだ」

そう約束したんだ。
アーサーはそう満足そうに言った。かなり不愉快だがここで逆ギレしても仕方ないし、幸い自分にはたっぷり時間がある。その消えてしまった恋人とは違って。
とにかくもっと話がしたい、とアルフレッドは口を開いた。

「いたいた、坊っちゃん!」

その甘ったるい声を聞くまでは。

「げ、くそ髭…っ!」

後ろを振り向いてアーサーが忌々しげに顔をしかめる。走り寄ってきたのは初めて見る顔だ。小綺麗な大人の男で、甘いコロンの匂いが鼻を突く。

「カナダの会議から随分急いで帰ったと思ったら…こういうわけ」

その男はアルフレッドをちらりと見てにやにやと笑った。アーサーは少し顔を赤くして目を尖らせる。

「うっせえフラン…シス。何の用だよ!」
「そうだ。お前、これ忘れてたろ。今日までだぜ」

ぴら、とフランシスと呼ばれた男がカバンからクリアファイルを取り出してアーサーに手渡す。アーサーはその書類を見て舌打ちした。
見届けたフランシスは、くるりとアルフレッドに向き合う。

「アルフレッドだったよな?いつもこのバカから聞いてるよっていだだ」
「うるっせえよ変態。アルに触るな」

まさかこの男がアーサーの忘れられない恋人ではないだろう。それでも気の置けない関係であるのは分かる。
それが気に食わない。

「初めまして」

ぶっきらぼうに言うと、フランシスは楽しそうに笑った。訳が分からない。

「これ、俺の名刺。困ったことがありゃ言ってくれよ。お兄さんがんばるから」
「どうも」
「じゃあお楽しみを邪魔して悪かったな。お前は早く帰ってその仕事終わらせろよ。じゃなきゃウチも困る」
「うっせえばーか。言われなくても分かってるよ」

悪態吐いたアーサーは一転アルフレッドに申し訳なさそうな顔を作った。

「悪い、仕事入っちまって帰らなきゃならない。また来るよ」

アーサーはアルフレッドの顔を見てますます困った顔をする。当たり前だ。アルフレッドにとってこの状況は全く面白くない。

「こらこら。グズるんじゃないよ、ベーベちゃん」
「フランシス!」

フランシスのふざけた声にアーサーが鋭く牽制する。アルフレッドはぎゅ、と拳を握りしめた。

「…別にいい。早く帰りなよ」
「アル、」
「もう良いったら!」

大人になれない自分を感じながら投げやりに言うとアーサーが怯んだように息を飲んで小さく「ごめん」と呟いた。
そんな顔をさせたい訳じゃないのに。

「…じゃあ、また電話する」
「ん」

とぼとぼと帰っていく背中に罪悪感が沸く。フランシスはいつの間にか消えていた。


アーサーを好きになってもう数ヵ月経つ。けれどまだ彼の心の中に入ることはできない。
それはきっと、自分が子供だからだ。きっとアーサーの恋人はテレビの中の俳優のように大人の男だろうから。

あ、テレビといえば。

「テレビ出るって言うの忘れてた」

うちの大学にテレビで取材が来るのだが、それが全世界で流れるらしい。まあでも電話で伝えればいいか、とアルフレッドは歩き出した。

そのテレビ出演がふたりの運命を変えることを、彼はまだ知らない。











100214
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