ごめんね、ごめんなさい。母さんは俺の前にしゃがんで泣き崩れている。父さんはその隣で黙って項垂れていて。またこの夢か、もう何度目だよ。もう良いよ、怒ってるわけじゃない。悲しかったけど、でも、もう過ぎたことだ。だから顔を上げて、俺を見て?俺の言葉に二人はゆっくりと顔を上げる。



「─────!!」

そこで俺は、頭をかち割られたような衝撃で目を覚ました。目覚ましが鳴ったわけでも頭に何かが落ちたわけでもない、瞳子さんに起こされたのとも違う。第一外はまだ真っ暗だ。それなのに俺の目はばっちり開いて、脳は呆れる程すっきり目覚めていて。はっきりとした意識の何処にも異常はなくて、だから、だから困る。


「───………どうしよう」


父さんと母さんの顔、思い出せない。



***



結局今日はそのまま目が覚めてしまって、そっから朝までだらだらと起きて学校行って部活までした。途中動きが鈍くなったのはたぶん寝不足のせいで、ちまちま注意はされたけど量だけはみんなと同じようにこなした。それでも頭の片隅ではもやもやと、霧がかかったようにはっきりしない両親の顔がちらついて。集中は、あまり出来なかった。
どれだけ冴えた頭でも、反対に眠そうにぼやけた脳でも、彼等の顔を思い出させてくれるような働きは何ひとつしてくれなかった。昔は忘れようとしても忘れさせてくれなかったくせに、なのに、なんで今更。

「かーりや」
「、先輩」

お疲れ、と笑う霧野先輩はもう着替えを済ませて肩に鞄を掛けていた。一緒に帰りたいんでしょ、わかってますってちょっと待って下さいよ。それとも今日の俺は、服に袖を通すのすら鈍いんですか?

「……狩屋、裏表逆だぞ」
「え?………あ」

……訂正、どうやら俺は本当にボケているらしい。どうりでボタンが留めづらいと思った、慌ててシャツを脱いでひっくり返して着替え直す。霧野先輩は俺の隣で腕を組みながら、眉を顰めてじろじろと俺を眺めていた。

「……なに、先輩」
「いや。お前今日調子悪いのか?練習、身に入ってなかったろ」
「あー……寝不足だっただけですよ。気にしないで下さい」

答えると溜め息をつかれて、夜更かしすんなちゃんと寝ろってくどくどお説教。そうだった、キャプテンや三国先輩もそうだけど、何よりこの人によく怒られたんだった。ボサッとしてるだの、集中しろだの、あんたこそ俺ばっか見てんなよと思いつつ、それを言ったらまたこの人に歯の浮くような台詞を言われて自爆するのはわかってたから大人しくはいはいって返事してた。
にしてもほんと、先輩って俺ばっか見てるんだな。廊下ですれ違ったら絶対に挨拶してくるし、遠くにいても目が合ったらわらいかけてくれる。俺ばっか見て、俺ばっか気に掛けて。恋人、だからかもしれないけど、どっちかっていうとこれじゃまるで、

「霧野先輩、俺の母親みたい」
「はぁ?」

先輩は訳がわからないといった顔をしていた。けれど俺にはこの表現が適切で、顔こそ思い出せなくなっていたものの、両親がいた頃はきっと、こんな風に俺に接してくれてたんだろうなって、今更ながらに切なくなった。顔、忘れちゃってごめん。後で瞳子さんにちゃんと訊きに行くから。
ただその代わりに、あんなに忘れようと思っても忘れさせてくれなかった時期を思い出した。周囲に誰もいない、誰もいらないと拒絶していたあの頃、それでも誰かに受け入れられたくて仕方がなかった。忘れられなかったのはきっとそのせいで、記憶の中の彼等に無意識の内に縋っていたんだろう。それが今、思い出せないくらい脳内で存在が薄れてしまったのは、つまり、そういうことで。
目の前にいる端整な顔立ちのこの人を見上げると、首を傾げて嬉しそうにわらった。ちくしょう、悔しいけど、認めるしかない。でもやっぱ腹立つから、ふと思いついて鞄から携帯を取り出した。それを開いてカメラ起動、そのまま先輩に向ける。

「先輩、」
「ん?え、ちょ、お前ほんと今日どうした」
「はい、ちーず」

ぱしゃり。買ってから弄っていないシャッター音は簡素なもので、先輩は戸惑ってたくせに、ぎこちない顔でもしっかりピースサインを作ってカメラに写った。口半開きで情けねーの、保存しちゃお。

「………おい狩屋」
「保存かんりょーっと。さぁーて先輩帰りましょっか」
「消せ今すぐ消せおい待て狩屋!」

先輩が慌てて携帯を奪おうとするけどその手をすり抜けて、俺はちゃっかりそれを待受に設定した。だってこうすればもう、大事な人を忘れたりなんてしないだろ?でもきっともう、忘れることなんて出来やしないんだろうけど、なんてね。



【結局はそう、貴方のせい】

─────────
璃愛ちゃんリクの蘭マサです、待たせた割には…う…ううんもっと綺麗に纏まらなかったものか
傍に幸せがあれば過去の傷なんてすぐ癒えてしまうものなんだってお話