あ、やばい。気付いてからじゃ遅いもので、ぐらりと揺れる視界に思考能力は低下する。だめかも、かもじゃなくて、もう、

「────狩屋!」



***



学校を休むのは嫌いだ。ノートの写しを頼むのは面倒だし授業に置いていかれる。何よりヒロトさん達が、自分の子でもない俺のために工面してくれてる授業料だ。一日だって無駄にするのは申し訳ない。
ちょっとぐらい調子が悪くても平気、家帰ってすぐ寝たら良いと思ったのだがそれが悪かったらしい。ぶっ倒れて保健室なんて、あー格好悪い。

「最悪………」
「こっちの台詞だよ」

一人言のつもりで呟いたのに返事が帰ってきて、驚いて首だけ動かして姿を探した。見慣れた姿を見付けるのは簡単で、ぐるりと周囲を見渡すだけでそれはすぐ目に付く。
先輩は、マスクを着けることもしないで窓際に一人佇んでいた。他のみんなはきっと練習を続けてるんだろう。先輩も戻って良かったのに、そしたら一人で感傷に浸れてたのに。

「38度近くあるってさ。お前なんでこんなんで学校来たんだよ、朝からしんどかったんだろ?」
「平気だって思ったんです…それに、金勿体ない」
「お前なぁ……」

んなこと気にすんなよ、って先輩は言うけど俺は首を振った。先輩は金に困ることなんて知らないからそんなことが言えるんだ。金って大事なんですよ。金は人を生活を人生を変えてしまう。何故そう言えるって、まさに俺がその一人だから。

「負担、掛けたくないんです」
「狩屋?」
「荷物になったら、いらなくなったら…どうせまた、捨てられるんだから」

諦めている。どうせ俺なんて、その程度の価値だってわかってる。だけど、それだからこそ、もう置き去りにされるのは嫌で、もう何処か知らない場所に一人で放られるのは嫌で、だから少しでも疎まれないようにって無理してる。大切な人だから、無理をする、なんて。なんて矛盾。
俺は自嘲の意を込めて笑った。馬鹿な自分を嘲笑った。笑って良いと思うし、笑われて構わないと思ったのに、視線を向けた先輩は酷く厳しい顔をしていた。そのまま俺に近寄って、先輩マスクしないと風邪うつりますよって言おうとした瞬間、頬を衝撃が襲った。

「せん、ぱい?」
「お前、ふざけんじゃねぇよ」

右の手のひらを振り上げた状態の先輩を見て、俺は初めて痛みの原因がそれだと思い知る。先輩は口を開きかけて、室内に起こった何かが震える音にそれは阻まれた。
それの方向へ先輩は向かい、俺も目を向ければ、いつの間に用意された俺の荷物から携帯を取り出した。躊躇うこともせず勝手に開いて、俺に向かって震えたまま、押し付けた。

「出ろ」
「は?」
「いいから。自分で出ろ」

強い、強い口調で。逆らうことも出来ずに着信画面も見ないで通話ボタンを押したら、スピーカーからびっくりするぐらい大きな音量で、雑音と一緒に声が聞こえた。

「マサキ!大丈夫?今会社から出たから、これから迎えに行くね」
「ヒロト、さん?なんで?仕事、まだ、あるんじゃないの?」
「マサキが熱出してるのに仕事なんてやってられないよ。緑川も看病に来てくれるから、今日は家帰ってゆっくり休もう。南雲と凉野も心配してたから、明日来るかも……」

マサキ?大丈夫?などと変わらず画面の向こうから呼び掛けてくれるヒロトさんに応えないで、俺はただ携帯を片手に先輩を見た。目が合った先輩は、俺に向かってにこり、快活に柔らかくわらった。口だけを動かして俺に語りかける。


『だいじょうぶ』


「……さい」
「マサキ?」
「ごめんな、さい…ぅ、っ、……ごめ、なさ、……っ」

どちらに、何に対して謝っているのかわからなかったけど。ぼろぼろと意味がわからないくらい涙が溢れて、頭はくらくらして、頬は熱くて、もう最悪だ。俺が。
ヒロトさんからの呼び掛けをぶちりと切って、俺は先輩の胸に顔を押し当て赤子のようにぐすぐす泣いた。大事に大切に思われてるんだって、それを疑ったんだって無性に恥ずかしくなった。でも、そう思えることすら、俺にはしあわせでしあわせでたまらないんだ。



【愛錠】

─────────
風邪っ引き狩屋の蘭マサリクでしたがヒロトがでしゃばりました(…)
リクありがとうございました!雪さまのみ持ち帰り可です^^*