放課後遁走曲 | ナノ
// Comme un lapin s'échappant


とりあえず落ち着かないことには話にならない、とふと我にかえっては半ばパニックを起こしている自分にまあ落ち着けと言い聞かせ、ひと度頭の中をぐるぐる巡っていたわけの分からない考察達をシャットダウンする。
ぷっつん、真っ白のペンキをぶちまける。
そうして、まず現時点の状況を認識せんと恐る恐る何かを勘違いしている上に何やら悩んで俯いているようだった不破君の顔を覗き込めば、なんと彼は眠っていた。
しかも立ったままだぞおい。不破くんは某ゴム人間の祖父属性なのだろうか、なんて器用な真似だろうと何故か感心してしまった。


「もうなにがなんだか」


ぼそりと口から漏れたセリフは私の現在の心境を率直かつ明解に表現していた。私は半ばこの事態に放棄を要求したくなっているらしい。
目の前に寝顔を晒す不破くんがいるなんて実に美味しい状況にも関わらず、この逃げ出したいという衝動は並大抵なものではない。
私は不破くんのことをおそらく好いている。しかし私は付き合うだの何だの考えてはいない。交際だか高裁だか公債だか何だか知らないが、私全く昨日までの状況に及第点を付与していたし、これ以上の変化は正直御免被りたい。私は不破くんを眺めていることが好きなのだ。
よって、不破君が好きだと言ったのはおそらくきっと私の聞き間違いだろうということにしてしまおう。きっと不破くんはうさぎが好きでどっか行ってしまったウサ吉に対しての話で、何かの勘違いのもと手を握りしめられたのは、ドッキリだか罰ゲームだかなんだかできっと不破くんが寝てるところから考えて、彼はきっと寝ぼけてたんだ眠かったんだよきっと、そう、これはきっと絶対何かの間違いだ。
この事象は偶然の産物である訳だから私は逃げて良い筈だ。私の心臓は破裂寸前で、あの不破くんの寝ぼけたような台詞はきっと私の妄想だ。私は不破くんを眺めているだけで充分幸せだからそれはまかり通って良い我が侭の筈、さあ逃げよう。


「あー……」


しかし不破くんは現にこうして私の右手をがっちり捕まえていた。どうしたものか、ひょっとすると私は不破くんが起きるのを待たなければならないのだろうか。左手にニンジンの皮が詰まった袋を携えてベンチに腰掛けて。……それは困る。ウサ吉やーい戻って来ておくれ。そもそもたけえもん、じゃない八左ヱ門のやつが戻って来たらどうしてくれる。そしてこんな現状を不破くんのファンに見られたら私は明日から学校に来られない。不破くんにファンがいるのかは果たして不明だけれども、不破くんがモテない筈はないと思う。だって格好良くてふわふわで優しいんだぞ。とやかく私の今やるべきことは、(可能であれば)不破くんの誤解を解いて、今すぐウサ吉を探しにいくと言う名目で逃げる。よし頭は正常な動きを取り戻してくれたらしい。
だからどうか手を離してください。そろそろ私の心臓がオーバーヒートしてバックファイア起こします。血液が逆流します。もしくはやっぱりさっき言った通り破裂します。
恐る恐る、ぶらぶらと手を振ってみる。
ぶらぶらと腕が揺れて、不破くんがはっと目を覚ました。


「ん……って、鍛冶邸さん…!?僕ってば、うあぁ、」


不破くんはぱっと手を放すと、わたわたとせわしなく私にごめんねと謝罪を述べた。いいえぇ、私は不破くんの寝顔が見れて最高でした。しかしこの調子から考えて、やっぱり彼は寝ぼけていたんだろう、きっと徹夜でもしたんだ。


「いや、うん、ええとね、不破くん」
「な、何?」
「あの、誰に何を聞いたのか知らないけど、私ははちえもん…じゃない八左ヱ門に告白するつもりなんて無いし、てか全然好意も接点も無いからさ」
「ホントに!?」
「うん、それで、これは、罰ゲームか何かだよね。鉢屋三郎あたりでしょう?シメておくから、あのバカがホントにごめんね」
「え」
「あの、ウサ吉がどっか行っちゃったから探さないと……、それじゃあね」


口早に口走ったその言葉に対する不破くんの返答を待たずに、私は即席に練り上げられた計画通り、逃げ出した。











(振り返ることなんて、できない)
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