紅 | ナノ




誰かが死んだとか、そういう訳じゃなく。
紅槻が放心状態というにも足りない哀しさを見せた時があった。
満月が欠け始めて二、三日経った頃に、屋根の上で、寒さも感じないのかはわからないが、ぼうっと、じっと、目を凝らして、闇夜を眺めていた。
声をかけても、一度では気づかなかった。
私がどうしたんだと訊ねても、さあな、と淡白な答えしか返ってこなかった。
隣に勝手に腰を下ろしても、何も反応せずに、闇のこころでも奪われたかのように。
しばらく紅槻の隣で、同じように夜を眺めてみていると、彼女の唇がポツリと落とした。


「どうしたらいいのかわからないんだ」


その横顔は、一向に涙がこぼれそうな気配も見えず、紅槻は悲しそうと言うには足りない表情で、またポツリと零した。


「頭の中で、色々、考えているんだよ」


何を、とは、言わなかった。
私はしったかぶりをして、返答。


「考え過ぎなんじゃないのか?」
「そうかなぁ」
「感情に素直になればいいのに」
「そのやり方がわからない」
「やり方って言われても」
「いや、ほんと、色々」


苦笑して、またすぐ、無表情に戻った。


「すまないな」
「謝るくらいなら泣けよ」
「なんでまた」
「まだお前が泣く顔を見てない」
「変態かお前は」


本気で怪訝そうな顔をされたので、冗談だと言ってみる。
この人形師の涙なんてものは、とうの昔に氷河期を迎えて、そのままなのだろう。
また、夜に視線を戻して、ポツリ。


「……──分からないんだ」


何が、とは、言わなかった。
覗きこんだその表情、その目。
縋るような、瞳だった。
こんなにも、脆そうな彼女の瞳を、見たことは無かった。
きっと、泣いているのだと、
胸の奥底のどこかで、
何かが決壊しそうになって、


「お前がお前であればいいさ」


口から出たその言葉。
それは短い沈黙を破って。


「何を考えてるんだか知らないが、どこで何をしようがお前がお前であればいい。自分を見失わなければ、いいんじゃないのか」
「……」
「無理に感情で動かなくてもってことだな、雷蔵みたいに考え過ぎて寝たりしなければ……そういうもんだろ、人間なんて」


何を饒舌になってるのやら。
自分で自分の虚勢に、心の奥から冷や水を投げる。
紅槻は少し黙って何かを考えて、呟いた。


「そうだな」


彼女はその脆さを隠したのだろう。




(やけに静まった闇夜だった)
(欠け始めた月と、私とお前)






(虚勢を張ったのは既に惹かれてたから)

110310小指に吹き込んだ、のセリフを言った日。


- 53 -


[] | [#]