「参ったなぁ」 雪がちらついて、紅槻の口から湯気のように白い吐息がほんわりと立ち上る。 しかめっ面をして、紅槻はもう一度ため息をついた。 かれこれ、一刻。 彼女は今、穴の中にいた。 まだ昼前なのに、雪曇が空を覆っているお陰でほんのり薄暗い校庭を急ぎ足で歩んでいた。 行き先は、久々に訪れるあの地下室だ。こんな寒い日に行くのは正直嫌だったが、地下においてある材が変質してしまったら一大事だ。最近ほったらかしにしがちだったから、整理も兼ねてここで一度訪れる必要があるだろう、という紅槻の判断は間違いでは無い筈だった。 「増えてるな」 困った様に、ぼそりと呟く。綾部の落とし穴……もとい、蛸壺。マークをひょいひょいと避けて通る。最近委員会の無断欠席無断遅刻が増えたのが見事に反映されていると言えそうだ。今度会った時には注意する必要があるだろうな。 そんな風に思ってた、次の瞬間。 「え」 マーク外、右側の安全地帯へ確かに踏み出していた右足の、すぽっ、という気の抜けた感覚と、ふわっと、内臓が上昇するような感触。綾部がいたらきっと「だーいせーいこーう」の緩いセリフと一緒にVサインをつくってみせるに違いない、あいつ今度見つけたら殴ってやろうと思いながら。紅槻は落とし穴に嵌った。 「あの野郎……」 しかし今ここで盛大に綾部を憤慨したとしても全くの無駄だ、と自分に言い聞かせる。今度の学年混合サバイバルオリエンテーリングで腹いせに竹谷とペアを組ませてやろうか、なぞ頭の中で盛大に毒づきながら、紅槻は這い上がろうと足に力を入れるが、どうやら捻挫しているらしい、まともに立ち上がることすらもかなわなかった。 思わぬ失態に頭を抱えたくなった。ちょっと目じりに涙が溜った。 「伍乃郎、……が、居たらなあー……」 呼んでおいて、ちょっと落ち込む。新しく造った彼はまだ完成していなかった。 とりあえず参之姫を用具倉庫に派遣して縄を持って来させようと、指笛を鳴らす。 「…………来ない」 そういえば撥条、巻いてなかった。 「ちくしょう…我ながら……間抜けだ」 生憎ここは、学園のはずれ。 誰かが助けに来るにしても、相当待たなければならないだろうと苦笑して、それから半刻、雪のちらつく穴の中をひたすら待ちぼうけているのだった。 いい加減寒いし、痛い。 寝たら凍死するだろうかなぞ思い始めた頃に、聞き慣れた足音が耳に入る。 「三郎!」 その声に反応してか、近づいてきた音は裏切らず、鉢屋はひょっこり穴の外から紅槻を見下ろした。 「作業場来ないし長屋にもいないから何処行ったのかと思ったら……何やってんだ?」 「……目印の外だったのに落ちた。捻挫して登れない」 「そいつはついてないな」 「引き上げてくれないか」 「いやだ」 「は?」 穴の中にひょいっと飛び降りて来た鉢屋に、紅槻は思いきり嫌そうな顔をしてみせる。 「ちょっとお前、いま私傷ついたんだけど」 「良かったな。私は早く出たいんだが、寒いし」 「穴の外の方が寒いだろ」 「狭い」 「狭くない」 「暑苦しい抱きつくな。汗臭いぞお前」 「紅凪はよく冷えてるから丁度いいじゃないか」 ぎゅうと抱きしめられて、紅槻はふと気づいた様に呟いた。 「……探してくれたのか」 「……まあ、」 きっと学園中駆け回ったに違いない、少し汗をかいていた鉢屋の体はじんわりと暖かかった。 「ありがとう」 「どうも」 土の下、穴の中、案外あたたかいものです (さあ早く出るぞ、背負ってくれ) (ちょ、もう少し余韻に浸ったっていいだろ!) (何もやましいことした訳でもないのに余韻も何もないだろう) (……鬼…) 100213 [*] | [#] |