入院生活から解放されて、初めての休日。 街の空気は肌寒く、紅槻はくしゅんと一つ嚔をした。 昼に腹を満たしたお陰で見覚えのあったうどん屋の店先に、ようよう行灯が引きずり出されて。 夕暮れも近いのだろう、秋の夕べは釣瓶落としの如し、だから。 (……随分遅くなってしまった) 急に思い立って、参之媛にやる簪なぞ選んでいたものだから、余計に手間取ってしまった。 退院してからやけに過保護になっている友人達を思って、はあ、と宙に息をつく。 雪の振り出しそうな曇り空に解けていった白い水蒸気を目で追ってから、目線を行く先へと移した。 (このままだと……確実に心配…されるな。寧ろ怒られるかもしれない) なんとなく嬉しいような、照れ臭いような。 ひとりでくすりと笑って、らしくないなと眉を顰めた。 狐面を外した壱之姫が変わらず歩みを進める彼女を追っている。その着物は白ではなく、茜色に薄紅の小梅柄、山梔子の帯。よく似合っているなと紅槻も思うその小袖の反物と帯は、退院と同時に、鉢屋が寄越したものだった。 どこでこんなものを買うのか訊けば、女装して行く行きつけの店があるとかで。 人形達の目に嵌め込む硝子玉と、二代目伍乃朗の骨と歯車がどうしても備蓄されていたものでは足りなかったのだ。その材を買おうと、わざわざ離れた街まで歩いてきた。手短にしようにも、そうはいかないものばかりである。 壱之姫はお供と言うより、荷物持ちに連れてきたと言っても過言ではない。既に風呂敷はずっしりと重そうに破れんばかりだった。 「……早く済ませるに越したことはないな」 誰にともなく呟いては、歩みを少しばかり速める。 残すところ、あとはビードロの硝子玉だけだった。 用を済ませて、向かいの豆腐屋で久々知への手土産を買った。 退院してから暫くの間、超が付きそうな程の過保護から生じる彼の不機嫌を直すのに、豆腐は一番手っ取り早い。 汲み上げ豆腐を小さな笊に一杯、それから絹と木綿を一丁ずつ、注目した所で。 「紅凪」 「……おや三郎」 振り返れば、またいつものように不破の顔と声の鉢屋がいた。 そういえば彼が素顔を見せたのはあの時だけで、何故かを問えば、初めて見る顔が不破では腹が立ったからとのことだ。 互いに買うものがあるからと、街の入り口で待ち合わせていたものの、待つに待たされたせいか酷くご立腹の様子だった。 「遅い」 「すまん」 「いつまで待たせるのかと思えば豆腐屋にいるし」 「……」 「兵助に妬くぞ」 「悪かった」 「今度女装して団子奢ってくれたら許す」 「い……考えておく」 豆腐を崩さないように壱之姫に持たせて、差し出された鉢屋の手を取る。 彼女の世界が彩りを取り戻していた。 一瞬、垣間見えた、道の脇に植えられた寒椿の花が、自分の髪より紅かった風に思う。 [*] | [#] |