紅 | ナノ




次に紅槻が目覚めたのは、夕暮れもそろそろ終わろう頃で。

「……鉢屋?」

聞き慣れた心音は、確かにそう告げている。
いつもと違うさらさらと流れる髪は、紅槻のそれに似ていた。
背中を向けて、油に火を灯していた彼は、ゆっくりと、振り返る。

見覚えのある、狐面をつけていた。

「良い趣味だろう?」

いつもの声でなく、その聞き覚えの薄い声で、愉快そうに笑う。

その狐面を紅槻の手で、剥ぎ取って。

それは、いつも不破の声の下にある、微かな彼自身の声を、もっとクリアに聞きたい故かも知れなかったが。

しかし、
そこにあるのは、
今まで見たことの無い、

「鉢屋……三郎」

見開かれた目、驚きを隠せない顔に、鉢屋は眉尻を下げて、苦笑した。
その驚いた顔ごと、彼女がどうしようもなく愛おしくなって、抱きしめた。

「今から言うことは、忘れてくれていい」

抱き締めたまま、呟いた。

「私は、お前の事を慕ってる」

まだモノクロの視界と、ぼんやりした思考の中で。
紅槻は、瞼を下ろして、一息ついた。

「……これまた、時代にそぐわん事を」
「ああ、だから……」
「三郎」
「何だ?」
「私の顔は今赤いだろうか?頬が熱くて仕様がないんだ」

そこで初めて、自分が名前で呼ばれた事に気づいた。
紅槻を見れば、いつもより紅潮した頬と、澄んだ鳶色の瞳。紅い髪が、僅かな灯りを反射して妖艶に煌めいている。

「やはり名前で呼ぶのは照れる……苗字じゃ駄目だろうか」
「絶対イヤだ」
「まさか……妬いてたのか?」
「……まさか」
「っ…く…あはは」

頭を鉢屋の胸に預けて、笑った。
襟を掴んで、それが乱れようとも知らず。

「私はね、三郎」

くぐもった声で、続ける。

「君のことが、嫌いじゃない」
「そうか」
「むしろ大好きだ」
「……」
「でも、恋仲になろうとは思わない。……私の歩んできた道には穢れが多すぎる。それに、いくらたまごといっても、忍だ」
「……」
「それでも」
「それでも?」
「本音を言えば、離れたく、ない、なあ」

とんだツンデレだと苦笑して、頭を撫でたら叩かれた。

「今のは全部忘れろ」
「嫌だ」
「……ばか者」
「と言った方がそうなんだろう?」
「知るか」

顔を上げれば、それはもう、真っ赤で。
額に落とされた接吻を、せめて拭うが精一杯だった。

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