紅 | ナノ




その四肢には、最早どこにも動かそうとする意志が残ってはいなかった。瞼を開けて、変わりそうに無い状況を今一度確認する。
傷の手当てはされているものの、完全ではないせいだろうか、それとも余程深かったのか、酷く腫れ上がった右肩の痛みはまだ退きそうにない。
鉢屋と出逢った夜の傷に似ているなと、薄く笑った。
頭は本当に“激情”を持った人間だと、紅槻は座敷牢の中、小さく溜め息をつく。瞼をもう一度下ろして、暗闇を受け入れた。
本当に。
彼は小さな子どものようだ、と思った。
まるで赤子のようだ、と思う。
いや、
子供のままなのだろう、
きっと。

最後に取った食事は、もう五日も前のことだった。水すらも飲める状況ではないが、生憎、岩の剥き出しにされた地下牢だったために、結露した水を嘗めとることで凌いだ。毎日定刻に、頭がやってきては、殴る蹴るの暴行を加えること意外では特に何も無い日々。

(私の精神を、殺すつもりなのだろう)

そして。
彼女の三体の人形達が、恐らく近い位置までやってきているはずだ。もっとも今となっては声を出すのも怠く、そもそもそれは気付かれ易い。両腕が不自由なせいで、大分時間をくってはいるが、彼女は指に結ばれた五本の鉄線を絶え間なく巧妙に動かしている。ちなみに動力源の撥条は、人形同士で巻かせていた。

意識は、寝ても覚めても白濁と、朦朧としてきていた。
けれど自分は、恐らく死にはしないのだろう。
そんな、妙な確信があって。
それがまた、可笑しい。
笑える。

遠くの遠くでひたひたと、足音が聞こえる。
今日もまた、無駄な時間がやってくるようだと、嘲るような笑みを浮かべた。

「私は、生きている」

呟いた言葉は、あまりにもか細くて弱々しくて、どうしようもなくただ暗がりの中へと沈み霧散していく。湿った地下牢はきっと、精神を殺すには、確かに絶好の場であろう。
いっそのこと、此処で死んでしまうのも悪くない。紅凪の大半は、そう思っていたかもしれない。
心が死ねば、壊れれば、少なくとも学園はもう安全だし、余計な心配は何も要らない。
ただ――

(もう少し、あの場所にいたい)

それだけ。
あとは、何もいらない。
だから。

(生きて、紅槻を抜けて――彼処へ帰ろう)

鎖に繋がれた手首を持ち上げては、小指を、ひとつ動かした。

鉢屋三郎が思い出したかの様に、苦し紛れにも懐に忍び込ませた、あの地下室最後の一冊を、課題を漸く終わらせてから開いたのが、奇しくも同刻であった。


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