結局紅槻は誰とも顔を合わせること無く、学園を去った。 最後に会話を交わしたのは不破雷蔵で、久々知とは結局教室でも居合わせなかった上に部屋にも戻って居なかったので、紅槻はそそくさと部屋を出たのだった。 竹谷には接点がなかっただけだが、彼女は何よりも鉢屋を避けた。彼が居そうだと思った場所は全て避けたと断言出来ると、自己評価するくらいに。 鉢屋が嫌いになった訳ではない。 心を、見透かされそうな気がしたから、紅槻は彼を避けた。 さて。 学園からこの屋敷まで、急がなければおおよそ六日はかかる。(それだけで秋休みはもう、折り返し地点に到達している) 今回は紅槻の足も自然と重く、七日をかけたのだった。 「只今、戻りました」 彼女は屋敷の玄関口で、ぽつりと、落とすように呟いた。ここで、その言葉に応えてくれる者なぞ居ないことは、とうに分かりきったことだった。 「戻られましたか」 紺の絣の着物に、その着物と同じくらい青白い顔をした子供が奥からするすると表れては、紅槻の荷を受け取る。その声や表情から汲み取れる感情は何もない。 「頭がお待ちです。直ぐに、お向かいください」 「ああ」 いっそ機械的とも言えよう事務的な会話を幾つか交わし、その途中、幾つかの作業場を通った。 幾人もの老若男女が黙々と人形を作り続けていたが、挨拶は殆ど交わさなかった。紅槻衆で言葉を話す者は少ない。だから、母屋は、いつも、どこでも、静けさに満ちている。 人人形の操作音が判らなくならないように、という配慮と、頭がそれを望んでいるからだ。 (以前はどうだったろう) 前頭の時は、もう少し湿度が高かったか、くらいにしか捉えられなかったせいで、何も覚えていない。 覚えるつもりが無ければ、ここまで無関心になれるのかと、自分で驚くくらいだった。 しかしながら、皮肉なことに。 (安曇野……与一) 自分の腕の中で死んだ彼の名を覚えている。 その声を覚えている。 弱くなっていくその心臓の鼓動、まだ温かかったその体の熱、その目から零つ土と汗の混ざった涙、砂塵に空に霞んだ赤い三日月も鼻を突くような人の焼ける匂いも燃えて霧散した人間の脂肪分でべたつく唇の不快感も耳を裂くような大砲の爆音も逃げ遅れた子供の泣き声も轟々と燃え盛る紅色の炎の熱と、その美しさも。 それなのに。 (私が拾われた時の戦を知らないんだ) 孤児になった、なぞの記憶を持ち合わせていない。物心ついた頃からこの場に身を置いていて、絡繰りやら人形やらを作っていたことだけを覚えている。余程衝撃的な事があったのか、まだ乳呑み児だった時に拾われたのかの、どちらかだろうと思っていたが。 (私には、心があった) 紅槻衆の周りの人間に合わせて生きていただけで、明解な心を紅槻紅凪は持っていたのだ。思いの外、鉢屋が見つけて突きつけてきたと言っても過言では無い形で。 つまりそれは、鉢屋が“くれた”ものではない。彼は、石膏で出来た卵の殻に罅を入れたのだ。 (だからか――) 頭が、言わんとしていることも、行わんとしている非道な謀略の理由も、紅槻には、ぼんやりと分からんでもなかった。 (頭は……) その襖の向こうに、鎮座しているであろう、心を持った、異端者の彼は。 (私に心があることを知っているのだろう) [*] | [#] |