紅 | ナノ





鉢屋三郎は、いつもの様に馴れた手順で地下へと潜り込んだ。
しかしその中に明かりは無く、どうやら今日は紅槻紅凪は不在の様だ。
おそらく、今日はこの場を訪れぬであろうことは、鉢屋も重々承知していたから。紅槻の許可云々、そんなことはまったくお構いなしに彼は油に火を灯した。もう三日も続いたせいか、すっかり慣れた手つきである。

(……どこだ?)

彼が探していたのは、新月の夜に紅槻が受け取った、あの書物だった。久々知と仲直りした後では、作りかけの人形も無いのに、この場所に彼女がやってくることはまず無かった筈なのに、鉢合わせになったあの夜ばかりは違った。

(……そういえば、あんな顔、初めて見たな)

自分に、どこからが仲間なのかと訊ねた彼女は、何かに、縋るような目をしていた。

(いつの間にか、拒絶も消えた)

一気に空気が柔らかくなったし、表情も豊かになった。
しかしその反面、どこか、何か、鉢屋に不安を抱かせる。
どう表現したらいいのかは定かでないが、言うなれば、"儚げ"であるように見えて仕方がない。
ところで。
紅槻衆について、鉢屋は何も知らない。

知らなかった上で、紅槻に心をやってしまったのは、間違いでは無かったか。取り留めようのない疑問が、ぐるぐると鉢屋の頭を廻る。
そもそも何故ここまで紅槻紅凪に固執するのかは自分でも分からなかった。しかし今更ながら、紅槻衆を知らなければならないとも思った。
不破雷蔵の力も借りて、ここ最近は随分多くの時間を図書室で過ごしたのに、膨大な書物からは残念ながら、全くといって良いほど何も見つからない。(あったといえば、古い学園長の日記に紅槻という名字が数回出てきただけだった)
だから、あの夜、紅槻の読んでいた本に何か手がかりはないものかと、こうして毎晩忍び込んでいるのだ。
しかしそれには紅槻も対策をしていたのだろう、鉢屋はありとあらゆる箪笥やら引き出しやらを繰り返し探すが、書物は一冊も見つからない。
山のような針が入った引き出しを開けた、その時。ガタンと音を起てて、鉢屋の左側にあった壁板が一枚、引き戸の様に開いて、中からずるりと長い髪の毛が覗いた。
参之媛だった。
気味が悪いくらいに長い髪をばらばらと引きずりながら、地下から出て行く。鉢屋には気づかない様子だったが、不意なその出来事には何度でも肝が冷えた。
夜半を過ぎると、この場に収納されている人人形のうちの一体が独りでに出て行って(因みに内側からでないと引き戸は開かない仕組みだ)、しばらくすると別の人人形が戻って来る。
以前は毎晩人形を取り替えにこの場を訪れていた紅槻だったが、現在はこの場に来る時間すら勿体無いと言うかのように、仲間といる時間を惜しんでいるようにも感じられた。

「お……」

その、人形の入っていた引き戸の内側に、本が数冊散らばっていた。その表紙には、見覚えがある。あの夜のものと、おそらくは同じだ。

手を伸ばして、一冊摘む。何が書いてあるかと思えば、木材の取り扱い方やら、なにやら、人形の材に関する専門書だった。それをまたもとの場所に放り投げて、別の本を掴み出す。
いくつも同じ様な内容の本が続いて、物音に振り返れば、伍乃朗がそこにいた。
自分があさっていた穴に仕舞われるつもりなのだろう、真っ直ぐこちらに向かって来る人形の邪魔をしないように、鉢屋は急いでもとの場所に本を散らす。
だが、どうしても惜しくなって、最後に一冊だけ引っ張り出して、懐に仕舞い込んだのだった。


- 20 -


[] | []