それは、初めて近しい者の死に直面して、その仇を討ち、更に仇の心の臟を壱之姫が持ち帰って来た、その直後の出来事であった。 壱之姫にそうするように操っていたのはもちろん紅槻自身である。しかし両の腕も小袖もその肩で揃えられた髪すらもどす黒く生々しい赤色に染まり、四肢の肌が剥げて金属を剥き出しにしている人人形には、生粋の人形師ながらもぞっとするような不気味さがあった。それでも、ぞっとしながらも、紅槻の表情筋はかろうじて無表情を貫いた。 ――お前は、面を、どこにやったんだ。 訊ねたとして、返ってくる言葉なぞあるわけがない。ただ深緑に透き通ったビードロの眼球が、月明かりをきらりと反射させただけだった。仕方ない、また作ればいいだけの話。学園に着いたらば、一番に地下室に隠してしまおう。これは、下級生の見るべきものではない筈だ。 いつもより緩みの早い撥条を、誰か巻いてくれやしないだろうか、いつ止まるか分からぬ絡繰りと歩くのには、なかなかに不安なものがある。 さて。 視線をゆるりと輝く月に向けて、これまでの過程を顧みる。 そして、恐らくは課題が間違っていたのだろう。ああ酷い気分だとため息をついた。今や壱之姫でなく、紅槻の紺の忍装束すらも赤黒く染まっていた。首筋に走った一本の筋と、右の脇腹に後ろからざっくり刺さった矢が、余計に足取りを遅くしていて、お陰で、学園までの道が非道く長く感じられる。別に急ぐ道でもなかったが、早くこの事態を、少なからず学園長には、知らせなければならないだろう。そればっかりは急務である。と、気を持ち直したところで。 「よう」 「………………」 少なからず、紅槻は驚いた。無表情が、ぴしりと固まる。その三秒後に、がしょん、と音を起てて、壱之姫も止まった。 生来の記憶を辿り、その声の主が誰かを判断するまでと、恐らくは同じ拍子だったかもしれない。背後からかけられた声の主は、顔をしかめて、脇腹の矢に手をかけた。 「抜くぞ、その矢」 「頼む…………鉢屋、三郎」 「……初対面なのに、よくわかったな」 「っ…………まあ」 「学園中で大捜索大会だぞ、今」 「そうか」 「与一は」 「想像してる通りさ」 「で、その人形が抱えてんのは?」 「仇の心臓」 きっと、眉間に皺を寄せているに違いない、そう紅槻が予想するのはさも当然のことであった。 だから。 振り返ってその表情を伺えば、どこで見つけたのか、狐面をしていて分からない。壱之姫がつけていたのと、同じように見えないこともなかった。 「お前、名は」 「紅槻紅凪」 「兵助から話は聞いてるけど」 「ああ、同室だな」 「これが、人人形か」 「そこの、撥条(ゼンマイ)を巻いてやってはくれないか、そうすれば、動くから」 「ああ。遠目から見たことはあったけど、こんな顔してんだな」 「まあ、ところでお前、その面……」 「悪いな、私のだ」 「……いい趣味だな」 「有難う。だが、まあ、くれてやらない事もない。私は気が利く男だからな」 撥条を巻き終えて面を外し、その下の不破雷蔵の顔で、鉢屋はくつくつと笑った。 紅槻は黙ったままだった。 間違っていたのであろう課題や、不慮の事故に遭った同級生の事はもうどうでもいいのか、と、思わないこともないが、紅槻自身、もうどうでも良い。 級友の血の臭いにも、すっかり馴れてしまった。 肩を貸そうともしない、気の利かない鉢屋三郎と紅槻紅凪はそれからしばらく、黙って歩き続けた。 壱之姫のその顔を狐面はすっぽりと覆っていた。 脇腹から吹き出す血液を抑えようともせずに、流れるままにする紅槻を、保健委員の委員長が血相変えて止血にかかるのも、恐らくは時間の問題だっただろう。それ以降のことは、紅槻自身もよく憶えていない。 [*] | [#] |