[追記]

あれは夏も終わりきっていなくて、台風もまだあまり来ていない、そんな季節。約2ヶ月に及ぶ里帰りが終わり、漸く産後3ヶ月に入る頃の事でした。

2時間に1度の授乳の為、朝は今まで以上に起きられず、日中も睡魔と闘いながら家事を熟す日々。この日も少し遅い朝を迎えました。
珍しく子どもがむずがって起きるよりも早く目が覚めた事に少し安堵し、それと同時に私が起きた事によってむずがり始めた子どもをあやしながらウトウトしていました。子どもも大人しく寝つき、私ももう一眠りしようかと目を閉じた時でした。ふと、荒々しく大きな音を立てて階段を上がってくる足音が聞こえました。

鉄筋コンクリートのマンション造りで階段しかない為、階段の隣の部屋であれば足音が聞こえることもあるかも知れません。しかし、普段どんなに荒く階段を上ってもそれほど足音が大きく響く事はありません。ましてや隣の部屋を挟んでいるので階段を上る音が聞こえるはずがないのです。

反射的に「おかしい」と思った私はまだ小さな子どもを抱え込む為横向きになり、最低限の動きを抑えると同時に小さな動きもわかるような状態を取りました。
その間も足音は大きな音を立てながら廊下を真っ直ぐ我が家の玄関に向かって進み、私が動きを止めたのと同時。ヒヤリとした空気と共に、玄関から何かが入ってくる気配を感じました。その時、その気配が50代前後の男性だとふと思いました。部屋に踏み込んでくる気配は間違いなくありますが、ドアが開いた感じはしませんでした。一瞬身動ぎした子どもを抱き寄せるもそのまま起きなかったので、お願いだからこのまま起きないでと願いました。足音はそのままリビングを通り抜け寝室に進み、私の頭上で一瞬足を止めて何度か足踏みを繰り返しました。しかし反応がなかったからか、そのまま私の背後に回りました。
その直後、ものすごい勢いで足踏みが始まりました。床が揺れる程の足踏みに響く足音。それなのに、なにか怒鳴り続けている声は水の中のようにくぐもって全く理解できません。ただ、絶えずなにかを訴えるように叫び続けている事だけはわかります。この間、緊張からか私の体は全く動かすことができませんでした。
どれくらいの時間が経ったのか狂った体感では見当もつきませんが、しばらくすると無駄だと判断したのか飽きたのか、それとも気が済んだのか。怒鳴り声が止んで、また足音を立てながら寝室を出てリビングを抜け、玄関から廊下を通り階段を降りて気配は消えていきました。
部屋の気温が戻るのを確認してから、ゆっくりと薄く目を開けて、特に変わらないいつもと同じ部屋である事を目視してから完全に目を開きました。子どもの呼吸も特に変わりないものでした。

言うだけ無駄だとわかっていながら主人に今起きた事を連絡し、子どもを起こさないように布団を抜け出して玄関を確認しました。すぐに無事か返信がありましたが、特に何もない事を伝えることしかできません。何故なら、玄関の鍵はしっかりかかっていたのです。
そもそもあまり広い物件ではないのでかなり手狭な玄関です。更に常に3足程靴が出ているので脱ぐのに少し手間取るのです。それなのに靴を脱ぐ時間を感じさせる事なく進んできました。
玄関からすぐがダイニングキッチンに当たる部屋ですが、ガラス障子で間仕切りをしているだけ、更にリビングと寝室は襖を挟んだだけなので、殆ど間続きと言ってもいいような間取りです。しかも風通しをよくする為、全ての障子、襖は開けていました。
問題はその後にあります。頭上を通って私の背後に回っていましたが、できるはずがないのです。
子どもがひとりで寝付けない為活用はされていませんが、頭上には子ども用の布団が敷いてあり、私の頭上と子ども用の布団の隙間は20cm程。足踏みができないことはないのですが、そこには充電器やぬいぐるみが置いてあり足踏み以外の音が全くしない筈がありません。更に私が背を向けていたのは洋服が入ったショーケースが置いてある為、人が入り込むスペースはありません。もしも少し広くスペースがあったとしても、私にもショーケースにも触れることなく激しく足踏みをすることができるとは思えません。
妙な不安が拭えないまま玄関にチェーンをかけ、子どもが自然と起きるのをそのまま待ち、子どもが目を覚ましてからいつもとなにも変わらない事を確認して、漸く肩の力が抜けたのを感じました。

この出来事から既に3ヶ月程が過ぎましたが、幸いにも同じような事は起きていません。
怒鳴りつけてきたあの足音がなんだったのか調べる術がない事もありますが、なによりも知りたくない気持ちが強いので、2度と同じ事が起きて欲しくないと願うばかりです。


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