キラキラ、眩しかった。あんまりに眩しいものだから、思わず目を細めて瞑って、だから見失った。
瞼の裏に、いつも浮かぶものがある。眩しい。周りの音は遮断されて泡の弾ける音が鼓膜をつつく。重力に逆らい、私の身体は不安定に浮かぶ。蒼い世界、天井はキラキラ眩しく、揺らめいた。そして私は、ああ、これは水の中なんだと漸く気付く。
見上げれば、やっぱりキラキラ眩しく輝いた。ゆらり、大きく影が揺れて世界はくらくなる。ああ、そのままずっと私の世界を覆ってくれるのなら。彼のたてた波紋で天井は相変わらずキラキラと輝く。ずっと、この世界にいられるのなら、どれだけ良かっただろうか。

夏は、良くない。普段必死に自分が抑えていたものが、するりと何食わぬ顔して突如として現れる。こっちがどれだけ必死に気づかないふりをしていたのかも、知らずに。
突然思い起こされたあの光景に、ぐらりと眩暈がした。眉間に皺を寄せて、ぐっと耐える。
いつからだっただろう。私は世界を諦めて、薄く笑うようになってしまった。元々器用な方ではあったものだから、愛想を振りまき優等生という名の猫を被る。
世界は思ったよりも簡単に事が進む。適当に薄く笑ってやり過ごしていればいいのだ。それはとても容易い。けれども、取り繕えば取り繕うほどに居場所を失い、彼は悲しそうな顔をした。彼のその顔を私は見たくなかった。だけどもずっと、それを求めていた。

「夏帆。」

声が、聞こえる。私の身体は水中でふわりと不安定に、そして徐々に沈んでいく。泡は弾けて、世界は蒼い。あんなに耐えていたものが、その一言で脆くも崩れ去っていく音を、私はどこかで聞いた。抵抗も空しく、沈んでいく。

「夏帆。」
耳の傍をくすぐる泡の音が、やけに大きく響く。耳鳴りのように響いては、消える。今度私の名前を呼んだその声は、小さな男の子のそれだった。目を瞑れば、小さな二人が蘇る。「まこちゃん。」あの頃の私は弱くて、彼の後ろをついて回るばかりだった。そんな私に、彼は「大丈夫。」優しく言い、そして私の手を握った。「夏帆は、握ってくれるだけでいいよ。」
彼の手は温かくて、私の手より少し大きかった。小さく握り返せば、いつだって笑いかえすかのように握り返した。「だいじょうぶだよ。」私はその彼の、「だいじょうぶ。」を聞けば、いつだって平気だった。どこにいたって、それさえ聞こえれば、ちっとも不安なんかじゃ、なかったのだ。
今は握り返しても、そこには虚無があるのみだ。虚しく空を切る。今の彼の掌は、きっとあの頃より全然大きくなっているのだろう。それこそ私の手を包み込んでしまうくらい。あの頃と同じように、温かいのだろうか。そんなこと、知る由もない。


みるみる体は沈んでいく。「まこ、ちゃん。」声は、出なかった。徐々に深い蒼、それは暗闇に変わる。泡の弾ける音と、波の荒れる音、そして懐かしい声とが混ざって酷く悩ませたけれども、私は決して、ここから救われたくなんかなかった。
小さな頃の私は弱かったけれども、今より大事なものが、はっきりと見えていた。しっかりとその手を握り、離そうとはしなかった。それなのに、どうして私は今、溺れているのだろう。


「夏帆。」
いつだって、心配そうに私の名前を呼んだ。それなのに、どうしてその手を離してしまったのだろう。目を瞑れば、あの日に還れる。深い蒼に浸食される。みるみると私の体は力を感覚を失い、私はぼんやりと、このままこの蒼に消えていくのだろうかと思った。呼吸が苦しい。上がりたいのならば、上がれる筈だ。ここから抜け出すことなど、可能だった。それでも私は望んで沈む。苦しくて、仕方がなかった。
あの日も、こんな蒼だった。彼の腕から泳いで逃げて、逃げて、それでも、水中でいとも簡単に彼は私を捕まえた。普段は見ることが出来ずにいたけれど、水中でまじまじと見た彼の顔は、ああ、昔のそれでは、ちっともなかった。

哀しそうに、私を見る。いつからだろう。そんな顔をさせるようになってしまったのは。逃れようともがくも、決して離そうとはしてくれなかった。深い蒼に、包まれていく。夏の木漏れ日が、チラチラと彼の影で光った。
「…夏帆。」
いつだって心配そうに私を呼ぶ。だけど、ああ、だけども。ちっとも私のことなんか分かってくれないじゃない。
その腕を掴み、引き寄せた。唇が触れる。彼は驚いたように見開き、その力が緩んだ瞬間、その腕から逃れ水中から上がる。水しぶきの音が、響く。真琴も水中から上がり、私を見る。ああ、ずっと、本当はずっと、あの水中で二人でいられたのなら、どれだけ良かっただろう。あの頃から、ずっと、欲しいものは、たった一つだけだった。


「…真琴のこと、だい、きらい。」


深みへ、落ちていく。私の体は蒼に飲まれていった。だれか。そう思うけれども、声は出ない。出せない。もう、私はあの名前を、呼べない。
「真琴。」
声には、ならなかった。いつだって本当に言いたいことはもうずっと、言えずにいた。そしてこれからもきっと、彼は知ることもない。私は沈んでいくのみだ。すべて忘れてしまおうとした。そんなこと不可能だというのに、それさえも忘れようとした。いくら忘れたって、忘れっこないというのに。だって、私の五感の全ては、あの頃、彼に奪われてしまったっきりなのだ。


「まこ、ちゃん。」
「だいじょうぶだよ。俺の手、ずっと握ってて。」
「ん。」
「うれしい?」
「なんで、」
「だって夏帆、飴玉もらったときみたいなかお、してる。」



ゆらゆら揺れる。息が、苦しい。眩しい。手を伸ばしたけれど、届かなかった。「…夏帆?」見上げれば大きな影が、ひとつ。ねえ、私は本当はずっと、彼だけに触れたかった。どうか、触れさせて、声を、聞かせて。どうか、どうか。ああ、だけど、もう見えなくなってしまった。





♪聲/天野月子

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