嘘で塗り固められた自分を演じているうちに、どんどん本物の自分の輪郭がぼやけていく。仮面を被って、本当の自分を偽って生きている私達には価値がない。本当の自分を見せたらきっと愛されるわけがない。私と彼は同じ水の中に沈んで、もがいていた。

「夏帆ちゃん。何してるの。」

 振り返れば、いつものような薄い笑顔を浮かべて真実くんが私を見ていた。そっぽを向けば、くすりと彼は笑う。もう陽も暮れてきて、海は夕陽に染まっていた。潮の匂いが髪にまとわりついて、妙に居心地が悪い。
「駄目だよ。オレたちは恋人同士なんだから。」

 彼と私が偽りの恋人を演じるようになったのはいつからだったか。同じ中学だった私たちはお互いの素性が知れている仲だったが、ある日彼が私に手を差し伸べて言ったのだ。「ね。オレたち、付き合わない?」そういえば、ここで言われたことを思い出す。あの日もこんな夕焼けで、こんな―。
 堤防の隣に座った彼の横顔に目をやると、やっぱり随分と端正な顔立ちをしている。付き合う振りをすることは彼にとっても、私にとっても好都合なことだった。告白を断る口実も出来るし、彼も私も人気があるから周りから羨まれるし、そして何よりこれ以上傷付くことがないからだ。

「真実くんは、どうしてここに?」
「いや、何となく。夏帆ちゃんがここにいるかなあって。」
「本当の彼氏みたいに言うの、やめてよ。」
「だって夏帆ちゃんは、泣きたい時はここに来るだろ。」
 彼の腕が私の肩に伸びる。私達はこんなに近くの距離にいるのに、どうしたってこんなに遠く感じるのだろう。彼の腕の中で、私はぼんやりと波を眺めていた。海は穏やかで、静かに横たえている。それは優しくて、そしてただ、それだけだった。
 腕の中の真実くんが呟く。「また、泣いてた?」「泣いてないわよ。」「泣かないの?」

 潮の匂いが絡みつく。彼の顔を見ると目尻を下げたその表情は、何だあなたが泣きそうじゃない。

「夏帆ちゃんの、うそつき。」
「…私、自分に似た人間が一番嫌いなの。」

 あの日もこんな夕焼けの海沿いで、私は泣いていた。彼はあの日と変わらない、薄く弧を引いた、泣きそうな笑顔だ。私の腕の中で、彼は今誰を想っているのだろう。
 嘘つきが口を開く。

「…奇遇だね。オレもだよ。」

 苦しいのなら、一緒に溺れよう。あの日差し出された手を取ったのが正しかったのかなんて、今になっても分からない。きっと、間違っているのだけれども、それでも私たちは本当は全部、すててしまいたかったんだ。水面が揺らぐ。今度は私が、彼の手を取って言った。だって、嘘つきな彼が泣きそうになっているから。

「ねえ、沈もう。」

 二人で、海に堕ちる。水飛沫と共にふわりと私達の体は浮き、一気に重くなる。抵抗することすら諦めて、ゆっくりと沈んでいく。見上げれば穏やかな光が一つだけ、私はずっと、その光を底から見上げていたかった。繋がれた手の先の彼も、同じように水面を見上げる。彼はこの海の蒼に、一体誰を見出しているのか。
 まこ、とくん。名前を呼ぼうとしたけれど、苦しくて仕方がなかった。きっと、私の好きな人は私の声なんて聞こえない。そうして彼の体温も知ることのないまま、私の体温も知られることのないまま、沈んでいく。

 海の中、分からないけれど、私は真実くんが泣いているのだろうとぼんやり思った。きっと、間違っているのかもしれない。けれど、ずっとこの冷たい海の中で沈んでいたいのだ。だって、私達の嘘は、世界一きれいで寂しいうそなのだから。世界があまりに眩しくて痛いから、二人で静かに目を閉じた。




(ふたり沈むのなら本望)

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