いつだって前を向いていたい。何度も何度も繰り返し戦い、それでも敵は消えず、終わりは見えない。下を向いてしまうと、繰り返しているこの行為に意味はあるのか、自分が立っている場所が酷くぼやけてしまうのだ。そうしてとうとう思い出してしまう。

「たーいしょ。」
 手入れ部屋から出てきた薬研に指摘されるまで、自分の手が未だに震えていたことに初めて気が付いた。らしくないなあ、と笑うと、黙って彼は隣の縁側に腰を下ろした。
「もう、怪我は大丈夫?」
「ああ。大将のおかげでばっちりだ。」
 先程まで傷がついていた部分に触れると、そこにはもう傷は残っていない。ほっと胸を撫で下ろすと、「いつもの大将なら、さすが私って笑うところだろ?」と言われてしまった。

「…いち兄は、まだか。」
 手入れはもう終わっている筈なのに、私の近侍は未だに目を覚ましていない。
 今でも思い出しただけで手の震えは止まらなくなる。迂闊だった。検非違使に奇襲を仕掛けられたのだ。厳しい戦いで、いち兄は、重症を負った。仲間を護ろうとするその背中が、瞼の裏に焼き付く。「私も、まだまだね。」そして何より今回の戦場は、大阪のあの記憶だったのだ。

「大将。様子を見に行ってやってくれ。」
 顔をあげれば、薬研は私をまっすぐと見て言った。いつもみたいに笑ってみせると、悲しそうな表情を浮かべた。

「大将がそんな泣きそうな顔してるのに、俺では抱きしめてやれないからな。」


 襖に手をかけ、開くと部屋は恐ろしいくらいの静寂に包まれていた。いつも本丸は賑やかで明るいから、この静寂をすっかり忘れていた。部屋は暗いが月明かりで照らされている。眠っているいち兄の脇に座ると、自分が緊張していることが分かった。恐ろしい程に静かな部屋は、実家の冷たい空気に少し似ていた。
 苦しそうに魘される彼の姿を見ていると、後悔の波が襲い掛かる。私にもっと力があれば、あの時大阪になど行こうとしなければ。

「…火が…。燃え、て。」

 いち兄は眠りながらも小さく魘されている。その表情は普段穏やかな彼からは想像もつかない、厳しいそれだった。沢山の弟達に囲まれて、自分の弱さは誰にも見せずにいたのか。
 歴史を、守らなくてはならない。その想いに迷いはなかった筈だ。政府から指令を受けて、刀剣達と時代を駆け巡る。しかしその行為は彼らに同じ悲しみを再び突きつけるということだ。何度討伐しても、敵は一向に減る様子もない。だから何度も駆け巡り、何度も彼らにその悲しみを突きつけ繰り返す。これは正しいことだ、と。絶対的だと信じていたそれは、一体何だったのだろうか。幾度となく堂々巡りのその行為に果たして意味は、あるのか―。

「火が…。主―。」

 思わずその左手を握り締めた。ひやりと冷たく、嗚呼、そういえば彼は人間ではなかったのか。
 
「いち兄。起きて。」

 彼の名を呟いた私の声は、随分と情けなかった。乾いた静寂な部屋に響き渡る。何が正しいかなど何一つ分からなかったけど、ただ月明かりが照らす彼の顔が、すきだと。心からそう思った。ひやりと冷たいその手の中の僅かな温もりを、信じていたい。そう馬鹿なことを考えてしまった。この時間が、永遠に続きますように、なんて、馬鹿なことを。曇った空から垣間見える星を見つけるように、この本丸で彼と過ごしていくうちに少しずつ好きになっていく。

「炎なんて、ないよ。」

 暗闇から、引き上げる。ねえ、出来ることなら、私は彼にとっての雨になりたかった。


―――――――
 
 目の前が燃える。鉄が、脂が、焼き焦げる匂いがする。また、護りきれなかった。歴史は繰り返すのだ。叫ぼうが火は全てを焼き尽くしていき、かき消される。幸福も、不幸も、ありとあらゆる感情や記憶を全て燃やされていく。その輪郭をも姿を消していき、最早何も意味など持たない。嗚呼、私のやってきたことは、想いは――。

「いち兄。」

 暗闇からぐん、と力を持って引き上げられる。再び目を開ければ、そこには炎などない。眩しくて目を細めた。もう夜だというのに、それは眩しかった。ぼやける視界に必死に目を凝らすと、力強く私を見つめる主の顔があった。

「炎なんて、ないよ。」

 眩しくて、仕方がなかった。月明かりに照らされた主の表情は、今まで見たことのない涙を浮かべたもので、そして何より強さを感じさせられるものがあった。
「主。」
 声に出して呼べば、きちんとした輪郭をもって心に染みわたる。主。その存在が、今私がここに在ることを、繋ぎ止めている気さえした。

「いつまで寝てるのよ。」
「も、申し訳ありません。」
「いち兄がいないと、鹿乃が、退屈しちゃうじゃない。」

 いつもの調子で言ってみせるが、主のその瞳は涙でいっぱいで、瞬きをすれば零れ落ちてしまいそうだ。その一言一言に、救われていた。「あなたは、決して燃えないわ。」真っ暗な闇の中、挫けそうになったとしてもその一言に、引き上げられていく。
「私が、燃やしたりなんかしない。」

 ああ、主は、光だ。

「…主は、眩しいですな。」
 私の言葉に、主は不思議そうな表情を浮かべてから、「当然でしょっ。」と笑って言いのけた。本当の意味を、分かっていないのだろうな。暗闇に、たった一つだけ天井に照らされる眩しい星。それが、彼女だった。「主は、私がお守りいたします。」それはいつだか遠い昔に放った言葉だが、本当に彼女に救われていたのは、私の方だ。
「主。」
 起き上がり、その細い肩を抱き寄せた。普段であれば強気である主でもこの行動は読めなかったらしく、私の腕の中で小さく狼狽える。こんなに小さな彼女に、救われているのだ。瞳を閉じれば、未だ小さく炎は揺らぐ。それでも、私が前に進んでいけるのは。

「必ず、お守り致します。」

 揺るがぬその瞳が、私を救う。その瞳を守っていたかった。腕の中で主は小さく「頼りにしているね?」と笑った。本当に言いたいことは、決して口に出来ずにいる。それはそうであってはならないことで、それでも今、この時だけ赦されていたかった。月明かりだけが、私達の本当の心を知っている。
 そしていつかはここから離れなくてはならない。それは眩む程悲しいことではあるが、いつか、別々の場所で今のこのことを思い出す日が来るのだろうか。それは想像もつかぬ程切なく、そして酷く幸福なものであった。



―――――


「…うまくいったみたいだな。」

 溜息を吐き、縁側で杯に口をつける。あの二人の随分手のかかること、だ。
 見上げれば月は随分と高い。試しに手を伸ばしても遠い。

「大将も、馬鹿だなあ。」

 今宵は、綺麗な満月だ。









「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -