ベッドに入っても何故だか目がさえてしまって、外に出た。何故だか、というのも理由も分かっているけれども気が付かないふりをした。真夏とは思えないくらい不思議と涼しい夜だった。
 中庭に出てベンチに腰を下ろす。街灯一つもない外はひたすらに暗いものの、真っ暗な空にたった一つ浮かぶ月が辺りを照らした。くっきりとした輪郭をもって浮かぶ月は、白くてまん丸だ。手を伸ばしてみるも、悪意から遠い。あたしの短い腕じゃちっとも届きやしない。
 辺りを見渡せば、ここからは箱根の山がよく見える。暗い夜空に、更に暗く映えるその影に、ぞくりとした。ここからでもよく見えるくらいに大きい。彼らは明日、この山を登る。それはそれは果てしない距離で、あたし達が目指してきた意味だ。明日から始まってしまうのか。それは始まりでもあって、終わりでもあった。あたしはやっぱりちっとも成長なんてしていなくて、臆病なままだ。

 ざっ、と地面を蹴る音がして思わず体が跳ねる。その音は徐々に近づいてきて、それに呼応するかのように心臓が音を刻む。それは恐怖だとかそういったものではなくって、ひたすらに嫌な”予感”のためだ。まさか、いやでも。それはずっと否定し続けていて、それでずっと願っていたものだ。
 近づくにつれて見えてくる人影に、あたしは来るな、来るなと念じるばかりだ。暗闇にぼんやりと見えるその影だけでも誰か分かってしまうくらいには、あたしは彼が好きだった。

「…なんで、ここにいるのお。」
 やっと絞り出した声は、もう泣きそうだった。荒北はそんなあたしにぎょっとした表情を浮かべる。

「ここに来れば、荒北がいないと思ったから来たのに。」

 最初から、全部なければ良かった。胸を強くついてくるこの理由も、最初からなければどれだけ楽なことだろうか。それでもこんなにもあたしを強く突き動かすのは、彼の言葉以外何もなかった。
 荒北は深く溜息を吐いてからじりじりとあたしに近寄る。見上げれば月明かりに照らされた彼の顔があって、目の前から見た彼の顔は随分久々な気がした。荒北ってこんなに背が高かったっけ、そうぼんやり考えていた時にふいに頭を引き寄せられた。懐かしい匂いに、今自分が荒北の胸の中にいるのだと気が付くのには時間がかかった。

「…俺も。うさ美チャンがいないと思ったから、ここに来た。」

 会いたくなんか、なかった。そう荒北の胸の中で言えば上から、おうと不器用な返事が返ってくる。あたし達二人は似たもの同士で、お互いの気持ちが見えているというのにどうしようもない。いくら逃げたって、きっと逃げ切れない。そう知っているのに逃げ出さずにはいられないのだ。会いたくなんか、なかった。もう一度そう言えば、今度は返事は帰ってこない。

「…月、まるい。」
「…アァ。」
「箱根の山、よく見えるね。」
「なァんでうさ美チャンが泣きそうなんだヨ。」
「だって。」

 泣きたいなら、泣けヨ。そう笑いながら言う彼は随分意地悪だ。「泣いてやらない。」そう返すあたしも随分可愛げがない。あたしもお姫様失格だとは思うけれど、それを言うならば荒北も王子様失格だろう。

「IHで優勝したら、泣いてやる。」
 そう言ったら荒北は大きく笑った。「いい度胸だネェ。」そしてそれから、少し寂しそうな表情を浮かべた。
 最初から素直に彼の前で泣けたのならば、あたし達はきっとうまくいくのだろうか。分かっていても、出来なかった。荒北もあたしもお互いに分かっているのに、どうして立ち止まってしまうのだろう。だからあたし達は駄目なのだと、最初から気が付いていた。それでも、お互いに歩み寄る術を知らないのだ。
 見上げれば丸く大きな月が浮かぶ。ただひたすらに遠いそれは、どこか笑っているようにも見えた。彼らは明日、あの山を登る。



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IH前日荒うさ


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