俺が自転車を好きなのは、生きていると実感するからだ。心臓が脈打ち、全身に酸素が駆け巡る。ペダルを漕ぐ度に周りの景色が鮮やかに通り過ぎていき、ああ、どこまでへも飛んで行ける。そんな気がするのだ。授業を受けている時とかは生きていると感じない。だからあの日も俺は屋上でぼんやりと空を眺めていたりなんかしたのだ。

「真波だ。」
 一瞬教師か委員長かと思ってびくりと体を起こすと、想像していなかった人物が覗き込んだから胸を撫で下ろした。「うさ美さん。」
「さぼりだ。」
「うさ美さんだって。」
「あたしはいいのー。古文は受験に使わないし。」隣に座り、空を眺め始めるものだから、俺も再びごろりと横になるとする。目の前に広がる空は果てしなく青くて、何だか溜息が出そうだ。これだけ高く突き抜ける程に青い空だから、いつか飛んでいけたりなんかして。そんな馬鹿みたいなことを考えていた。何してたの、そう聞かれて数秒考えてから、「空、みてました。」答えると何だそれと笑われた。

「まあ、これだけ天気が良いとね。」
 うさ美さんは目を細めた。たまにはね、と笑う。俺も一緒に目を細めてみた。風が気持ちが良い。
「なんかこんなに空が高いと、飛んでいけそう。」

 ざわりと心臓に大きな風が吹いた気がした。「え、」思わず声を漏らしうさ美さんを見ると、困ったように戸惑った表情を浮かべる。「あ、ごめん。変なこと言った。」
「ち、がう。ちがう。いや、ただ。」俺も今、全く同じことを―。あまりに驚いたために上手く言葉が出ない。こんなに空が高くて青いものだから、飛んでいけるんじゃないか。目を瞑って、あの自転車で走っている時のことを思い浮かべた。あの坂道を全力で駆け上っている瞬間。心臓が脈打ち、足はペダルを漕ぎ続け、息を上げ、体全身が生きている、そう叫んでいるあの瞬間だ。

「俺も、同じこと、考えてて。」
「あ、ほんと。」
 うさ美さんは俺のことなんか見ないで空を見上げるのみだ。ただ果てしなく青く、もくもくと大きくて真っ白な雲が泳いでいた。夏も、もうすぐそこかもしれない。「飛んで、あの空で自転車漕いだら気持ちよさそうだね。」
 ざわざわと大きな風のようにうなる。目を瞑って、自転車で駆けていくあの時をひたすらに反芻していた。彼女の言葉は不思議と自分の心にくっきりとした輪郭を残して染み渡った。落とす言葉一つ一つに、意味があるような気がした。意味があるようにと祈っていた。
「自転車、好きなんですね。」
 そう聞けば、うさ美さんは困ったように照れながら小さく頷いた。「…うん。すき。」うさ美さんは俺の方を見ずに、空を見上げて答える。「だいすき。」そしてそれは、いつしか荒北さんの前で見せていた表情と同じだった。

「…うさ美さんって、おもしろいや。」

 そう言えば不思議そうな表情を浮かべて「はあ?」なんて言われてしまった。見上げれば空は突き抜けるほどの青さで、何だか嫌になっちゃうなあ。
 俺は、授業を受けている時は生きていると感じない。心臓が脈を上げないからだ。だけど、うさ美さんの隣に居る時は不思議と、ああ、生きていると感じたのだ。例えるなら、あの坂を駆け上っているときとか、何かを目の前にしてざわざわと心が脈打つ、あの感覚だ。どうしてだろうね。うさ美さんに聞けば、分かるのかな。俺には、分かりそうにもないけれども。


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