私にはまだ分からないことだらけだ。こんなちっぽけな私に分かることといえば、夏は暑く、空は青い。そういった当たり前のことだけしかない。手を伸ばせば、太陽は高く高く上っている。

高校生になって私が変わったことといえばこの制服のシャツくらいだし、身長は相変わらず伸びないし、何一つ変わっちゃいない。それなのに周りはどんどんと姿を変えていくものだから、そのスピードの速さに私は驚くばかりだった。つい昔までは一緒に野球をしていたというのに、「莉麻、女の子なんだからやめなよ。」話題は好きな男子の話へと変わり、私はますますついていけなくなった。「好きな子、いないの?」好きな子。そもそも好き、というその感情さえ分からない私には、その質問は極めて難題であった。好きって、恋って。
周りに男子はいるけれども、皆同じだ。カルピスサイダーに口をつける。グラウンドに白いユニフォームが眩しい。そろそろ、夏、だな。私に分かることといえば、これくらいだ。恋とかそんなの、分からない。

「りーま。」
ぼうっとグラウンドを見つめていたら、突然顔を覗かれて、思わず肩が跳ねた。「う、わ。」手にしていたカルピスサイダーを落としそうになってしまう。水谷は慌てて私の手を掴み、それを受け止めた。暑い。
「ばっ、か。危ないなー。そんなに驚いたか?」
「う、ん。急に目の前に変なかお、きたから。」
冗談交じりに言えば、水谷は「ひっでえ。」と顔をしかめた。水谷は暑いからかシャツをの裾を捲っていた。シャツの白が、太陽に映える。すぐにこんなことを言ってしまうから、私は駄目なのだろうか。スカートをぎゅっと握れば、皺になった。恋とかそんなの、私はまだ知らない。

「なに、どうした。」
「何が。」
恋って、何ですか。分からなくて、こっそり優姫先輩に聞けば、先輩は少しだけ戸惑いながら、それでも優しく教えてくれた。「なんだろうな、ふと胸をつかれるというか。その人だけ特別に思えるようなこと、なんて。」そんな感情、私には到底縁がないだろう。そう思っていた。だけどきっと、恋をして見た世界はきっと、素敵なものなのだろう。いつか、私にも降り注ぐ日が来るのだろうか。

「だって、莉麻。元気なさそうだったから。」

その人だけが、特別。先輩の声が木霊する。目の前の水谷は初夏の風に目を細めた。彼の髪が、靡く。ふわり、風に吹かれ白いシャツは彼のかたちを縁取った。あつい。
「…ふーん。よく、分かったね?」笑えば、水谷もふにゃりと笑う。水谷は昔と同じ笑顔だ。笑うと下がる目尻。ちょうど、あーがりめ、さーがりめ、くるっとまわって、ねーこのめ。それの、「ねーこのめ」みたい。私はこの彼の「ねーこのめ」をずっとずっと、長いこと見たがっていた。小さい頃から、ずっと、いつだって。

「莉麻のことは、もうわかるって。」
ふにゃり「ねーことめ」をした水谷は言う。何だか悔しくて、「ふ。なんだそりゃ。」相変わらず可愛くない調子で言った。そういえば、昔は文貴、下の名前で呼んでいたのにいつからか水谷と苗字で呼ぶようになっていた。どうしてだったっけ。文貴。こっそり胸の内で呟いてみたら急に顔が熱くなった気がした。誤魔化すかのように、サイダーの缶のプルタブをいじっていた。かしかし、と乾いた金属音を発てる。今日の私は、どこか、おかしい。

「莉麻。それ一口、ちょうだい。」サイダーを指差す。気が動転していた私は、恐る恐るそれを渡した。手が触れ合ったその一瞬、小さく声を漏らしてしまう。胸が、きゅっと締め付けられた。そんな私に構うことなく、水谷はサイダーをごくごくと飲む。どうしよう、分かってしまいそう。
「やー、夏はやっぱこれだなぁ。」
「ん。」
「莉麻。」名前を呼ばれてもう一度水谷を見れば、眩しい笑顔を浮かべていた。私の好きな、「ねーこのめ」だ。彼のこの目をずっと見ていたい。そう思うことはきっと、私がずっと謎に思っていたあの感情と、きっとそう変わらないだろう。

「元気なかったら、何でも言えよ?」
きっと、あの感情と同じ。
「俺が、元気付けてやるから、さ。」
ああ、そうか、分かってしまった。これが恋ってやつだったのか。私はずっと、もうずっと昔から、水谷に恋をしていたんだ。少しだけ顔が赤い気がする。あつい。あつい、なあ。偉そうに言ってみせる水谷に悔しくて、サイダーを奪った。「ああー。」「…水谷は。悩み事とか、ないの。」サイダーに口をつけた。味なんかもう全然、分からなかった。

「悩み事、かあ。別にないけど。でも、篠岡って、かわいーよな。」
ああ、だけど、気付いたときには私の恋はもう終わっていた。スカートの裾は、もうずっとぎゅっと掴んでいたものだから皺くちゃだ。だけど、私はただ水谷の、笑った顔がみたいよ。もう一度、強く裾を握った。口を、開く。「文貴。」彼は昔の呼び名に驚いて私を見た。どうか、笑ってくれるかな。「文貴、幸せになって。」
叶わないのならば、見守っていよう。今までと変わらず一番傍で、文貴の笑った顔がみたいよ。風に膨らむシャツの白が眩しくて、目を細めた。細めた向こうに、彼の笑顔が見えた。空は青く、高い。しゅわり、と弾けては消えた。夏はまだ、始まったばかりだ。





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