霧が立ち込める森の奥。しんしんと湧き出る泉の水が、冬のうすぼんやりとした日に輝いて流れ出る。青年はかごいっぱいの青菜を持って、大きな声で呼びかけた。

「おーい、ごはんの時間だよ!」
「ひょーっ、ひょーっ!」

 どこからともなく不気味な鳴き声がして、森の奥から一匹の獣が飛び出してきた。
 珍しい動物だ。身体はふかふかとしていてお腹が丸い。前後の肢はしましま模様。しっぽはへび。頭は人間の女の子そっくり。その表情は可愛らしく、ニコニコと笑っていた。
 青年が青菜を差し出す。獣は前肢を上手に使って受け取り、ゆっくりと丁寧に食べる。
 青年は思う。人里では異形の獣が人間を喰うともっぱらの噂だ。だが、罠にかかった手負いの獣を助けて一ヶ月。とてもそんなことをするようには見えなかった。

「どう、おいしいかい? 僕が育てた青菜だよ。好きだといいんだけど」
「ひょっ、ひょ……おいしい…………すき」

 たどたどしい口調で返事をして、獣は微笑んで青菜を食べる。こんな穏やかな性質の生き物が人を襲う訳がない。きっと里の人間は何か他の動物と見間違えたに違いない。

「いっぱい食べてね」
「ひょーっ!」

 獣はにっこりと微笑んで大きくいなないたかと思うと……青年の首筋に噛みついて、鋭い牙で首を引きちぎった。
 ブチ、ブチブチブチ、という音がして、青年の首がゴロリと地面に落ちる。溢れる血が、清らかな泉の水に流れてマーブル模様を作る。
 獣はまず、お腹の柔らかい所に噛みついた。腸を引きずり出して、肝臓を口にくわえる。
 がつがつと顔を体内に押しつけて胃を噛む。青年が数時間前に食べたと思われる青菜のかけらが出てきた。
 柔らかくてふかふかのおなかが、しましまの手足が、しっぽのへびが、子どものような可愛い笑顔が、血にまみれていく。

「ひょーっ、ひょーっ……ふふ……うふふ……あひゃひゃ、あーっひゃっひゃっひゃっひゃ!」

 獣はげたげたと笑いながら、脳みそが入っている容器を口に咥えて、森の奥の洞窟に帰って行った。
 これは母親から教わった狩りの方法だ。人間の言葉を真似して繰り返す。そうしていつしか隙を見て一息に首筋を噛む。

「……すき……」

 畜生には人間が使う言葉の意味なんて分からない。にこ、と微笑んで目玉を口の中で飴玉のように転がした。生臭い汁が口いっぱいに広がった。




 獣には家族がいた。子どもだ。まるまるとしたお腹の、ふわふわ毛皮に包まれた可愛いおちびちゃん。
 獣はいそいそと人間の脳みそをほじくりだして、子どもに与える。食べない。最近、子どもは具合が悪い。赤い木の実も、お魚も、お花も、うさぎさんも……人間も食べない。
 ぺろぺろと舐めて毛づくろいをしてあげる。ぱっちりのおめめ、ちっちゃなおてて。なんて可愛いんだろう。
 獣がにこにことしながら子どもの面倒を見ていると、不意に洞窟の入り口から何かが飛んできて、獣の肩口に刺さった。

「ア゛ッ! ギャアアアアアア!」

 それは山鳥の尾羽がついた尖り矢。危険を察知した獣は、洞窟から出た。
 そこにいたのは一人の男性で、獣が見た事もない恰好をしていた。それは人間の言葉でいうと、鎧武者。貫頭衣のように前後が繋がった状態のものを頭からかぶるタイプの鎧。それから堂々とした立物で飾られた兜。
 獣は子どもを守るために、鎧武者にとびかかる。しかし、するりとかわされた。

 不意に首筋に何か熱いものが当てられた。鎧武者が刀を抜いて、獣の首筋に切りつけていた。ぶしゅ、と血が噴き出して激痛が獣を襲う。

「ア、ア、ア……やめて! だれかたすけて……こわいよぉ! こわいよぉお!」

 言葉なんて分からないくせに、獣は今まで聞いてきた人間の言葉を繰り返した。
 強い。絶対に勝てない相手。でも子どもを守るために獣は力を振り絞って武者に立ち向かった。しかし、敵うはずもない。


「…………おかあさん、おかあさん!」


 その言葉を唱えると、武者の動きが少しだけ止まった。その隙に獣は洞窟に逃げ込もうとして……後ろから矢で射られた。
 心臓をまっすぐに射抜かれて、薄れゆく意識の中で、獣は母親の事を思い出していた。
 狩りの仕方を教えてくれたこと、食べ物をくれたこと、ふかふかのおなかを毛づくろい。それから子どもの事を思った。

 ちっちゃくて柔らかくて可愛いおちびちゃん。何でもします。あの子だけは、殺さないでください!

 そう鎧武者に伝えたかったのに、獣は獣だから人間の言葉が分からなかった。ただ、ひょーっひょーっという気持ちの悪い音しか出せないのだ。
 鎧武者は獣の首をはねた。辺り一面が真っ赤に染まる。あどけない子どものような顔の獣の首を、布でくるむ。それから紐で撒きつけて腰に結び付けた。


 このごろ都に流行るもの。帝もおびえるあやしき獣。弓の名手である武者は化け物退治のためにやってきた。
 調査もかねて、洞窟の奥を探る。
 ぷん、と甘い香りが漂ってきた。巣と思われる、少し開けた所に出た。そこにはさまざまなものが転がっていた。りんご、川魚、たんぽぽ、うさぎ……おびただしい数の人骨。
 その中央に小さな獣が寝転がっていた。
 おなかはぱんぱんに膨らんでいる。小さな手からは骨がのぞいていて、瞳孔は大きく見開かれている。
 ……死んでから、だいぶ時間が経っているようだった。
 武者は考える。あの獣は子どもが死んでいることが分からなくて、せっせとエサを集めていたのだ。


『……おかあさん、おかあさん!』


 獣の最期の言葉を思い出す。武者の母親も争いに巻き込まれて苦労をして亡くなった。それを少しだけ思い出した。
 しかし、これで人食いの化け物はいなくなり平穏が訪れる……複雑な気持ちだった。
 少し考えて、首のない母親の死骸を運んで、子どものそばに並べた。しましまの手足でだっこしているみたいだった。


 そののち武者は都に戻る前に、その地に慰霊碑を立てた。
 獣に殺された人と、獣と、その子どものお墓だった。大きな石の周りに、黄色の花が揺れる。一面に群生して咲き乱れる、菜の花畑だった。


獣は鵺
途中に出てきた鎧武者は源頼政
舞台は平安末期です
お墓は鵺塚
メッチャ脚色あり

元々は「壁打ちサイトをこう運営しています」というお話で、獣の名前はエリーでした……なんでこうなっちゃうんですか、オーン!
あと平安時代に人参はない(江戸時代に伝来した)ため、青菜に変更しました。野菜だと青菜、花になると菜の花ですね……Filamentっていう作品でもゴリゴリのゴリゴリに出てくるのに……菜の花スッキやな!?





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