八十八の白と黒で彩られた世界を、がっしりとした厚い手のひらが、長い指が駆け抜ける。明るく華やかな音色を立てるスタインウェイ。ピアニストの指が奏でるのは、燃える火のような曲だった。

 オレンジ色の炎にあぶられて身をよじらせ、生き物のように反りかえる一枚の紙。めらめらと燃える紙はいつしか蝶となり、激しい炎を上げて、銀色の粉を撒き散らしながら風に消えていく。
 誰かが踊っているような楽し気な、しかし緩急のついた激しいタッチのこの曲は、マヌエル・デ・ファリャの組曲「恋は魔術師」の一部分、火祭りの踊りだ。
 火のついた蝶の羽がちぎれて舞い上がる。空中に浮かぶそれがにわかに紙片に戻り、黒い灰となって落ちた。白鍵を強く叩きつける。燃えさかる火の最後の揺らめきのようなクライマックス。


 放課後、防音設備がしっかりととのった特別教室にて。国際ピアノコンクールに臨む学生・峰を指導する四十二歳の音大教授・早川。
 早川がピアノの蓋を閉めて、傍らの椅子に座る峰に声をかける。


「何でこの曲に決めたの?」
「……前に、貴方が弾いていたでしょ……あの時の演奏が忘れられなくて」
「…………忘れられないのは演奏だけかな?」


 峰のゆるくパーマがかかったアッシュベージュの髪の毛を、早川の左手の指先がくすぐった。その薬指に光る指輪。ピアスの開いた耳に息を吹きかけ、シャツの合わせから肉厚の手のひらが入り込む。上向きの親指の爪と、人差し指が、乳首をねじるようにしてつまむ。
 きちんとセットされた髪と、整えられた髭。ダークスーツを着こなす大人の男性が、教え子の柔肌を撫でまわす。

「ン……」

 音大専用モデル・スタインウェイAS−188の、優美なピアノの曲線にもたれかかってキスをする教授とその生徒。艶消し加工された黒い本体に、浅ましく舌を絡める二人の姿が映る。

「あ……ふぅ……」

  ぺちゃ、ぺちゃと舌を舐め合う。ぢゅる、と音を立てて吸って、ぬるぬると絡める。首に手を回して、唇を甘噛み。

「キス、大好きだね……」
「ん、ん、あ……はぁ、しゅき……」


 教授の早川と生徒の峰がこんな関係になったのは比較的最近。コンクールに向けて不安を覚えた峰が放課後のレッスンを依頼した所から始まる。
 ほのかに早川に恋心を抱いていた峰。それに気づいてしまった早川。二人きりの放課後。既婚者の教授。男同士。年の差。それらを乗り越えて……あやまちは起きた。
 どちらからともなく指が触れ合って、手首をつかまれて、床に押し倒されて、服を脱がされて……とろけるバターのように、身体が絡まった。それから、ずっと。
 放課後のレッスンのたびに、教授と教え子はセックスをしている。

「あん、せんせぇ……そこばっかりだめ……」
「峰くんは乳首大好きだね。ここ、いじられると女の子みたいにイッちゃうもんね……」
「や、イかない、もん……あっ、あ、あ」

 峰は一台一千万以上する高級なグランドピアノの天板に乳首をこすりつけ、年の離れた教授の性器に腰をおしつける。ぐり、ぐりとこすりつけて、おねだり。
外見はよくいる今どきの大学生。でも中身はとても純真で可愛らしい。早川はいつものようにローションで慣らしてから挿入しようとして、ふと棚に置いてあるメトロノームに目を付けた。


「峰くん、今日はこれで遊ぼうか」


 早川は大人の顔の上に、優し気な微笑みを貼りつけて……ろくでもない提案をした。



- ナノ -