09.あのキスを忘れない


其れは愛か、と聞かれれば決してそうではないだろう。
ならば恋か、と聞かれてもやはり何処か違う。
厳しさの中、たまの優しさなら未だしも能う限りの優しさを与えようと思わなければ、甘やかそうとも思わない。
だからこそ“堅実な存在”で在り続けたいと思う反面、健気なまでに慕うあの瞳を鬼畜の如く裏切り、泣かせてみたいとも思う。
だから甘いトキメキとも慈しみ敬うとも違う、しかし強すぎる執着にも似た葛藤は、やはり愛や恋なんかと呼べるものではないのかもしれない。

―そう。これは唯、子供の頃から“お互いを”知ってるってだけの話。


過酷な任務から解放され、今日もぐったりとした面持ちで部屋に戻って来たお嬢様は濡れた身体のまま音を立てソファに傾れ込んだ。

「なんだその恰好、風邪ひくぞ」

ジャブラが身を乗り出し覗き込めば、お嬢様は腕で瞼を覆ったまま気の無い返事をする。
その疲れきった様子を鼻で笑ったジャブラはふと、窓を叩く雨粒の音に気付いた。
夏の終わりによくある気紛れな雨。

「…運が悪かったな。ご苦労さん」
「…どうも」

しん、とした二人だけの空間に自然と瞳はお嬢様の姿を追う、そして気付く妙な違和感。
お嬢様の肌を流れる滴。
濡れた髪はソファを濡らし、頬は薄らと上気している。其の上、薄く空いた唇は紅く熱っぽい吐息を吐いて居て艶めかしくも、ひ弱な雰囲気が漂う。

「お嬢様…お前ェもしかして熱でもあるンじゃねェか?」
「…ン、どうかな?」

そう目を瞑り咳込んでは露わになる“弱さ”
其の火照った紅い唇が、散らばった髪が、濡れて弱った肌がジャブラの中に眠る“男”を煽った。

「どうかなって…ヤバい顔してンぞ」
「なんか、ね…熱い、身体」

それはそれは苦しそうに、滲む汗を拭っただけだというのにジャブラは酷く禁忌的なものを見て居る気分に陥った。
正直、心底戸惑っていると云えばいいのだろうか。
目の前の光景に惑わされ熱く沸き上がる感情。

―…クソッ、目に毒だ。

無性に。
其の白い肌に触れ歯型を残してやりたいと思った。
男を誘惑するなんて悪趣味だと罵って、酷く乱暴にその身体を犯し彼女自身が放つその危険な色気を分からせてやりたい。
けれど其の反面、弱ったその身体を労わりながら濡れた髪を丁寧に拭い火照る肌を寄せ、頬を撫でては夢の中へと誘ってやりたい。

しかし、其のどちらも“仕事仲間”に向けるものとは違う感情で、けれども愛だとか恋だとも云えず、ただ戸惑っているだけなのだ。
だからジャブラは其のどちらでもなく、タオルを濡れたお嬢様の身体にかけツンと額を小突いてやった。

「さっさと部屋で休め」
「ありがと…」

今にも、眠りそうな吐息まじりの台詞に濡れた心を隠すように「俺が風邪の時は手厚く看病しろよ」と云えばお嬢様はそのつもりだとタオルを握り精一杯に微笑んでみせた。

―…あァ、どうして俺はこんな時にでも発情っちまう程“男”なんだ。

其の初な仕草が、苦しさ堪える笑顔が。やはり何処か艶めかしく映ってしまう。

「部屋まで連れてってやるよ」
「…ン、平気」
「遠慮すンな、バカ」

ジャブラはソファから立ち上がったお嬢様の震える身体を咄嗟に引き寄せ、抱き締めた。

「な…に?」

自分を見上げる怪訝な瞳。
其の瞳に映る男はまるで獣。
お嬢様の火照る唇に吸い込まれるように震える唇を押し付け、気付けば角度を変えては何度も何度も噛み付いていた。
軽蔑されるであろうと心の何処かで身構えていれば、お嬢様は腕の中で俯き震えている。
其の青白い肌に触れながらジャブラは不敵に微笑んだ。

「勇ましいもンだな。もっとビビるかと思った」
「…どういうつもり?」
「さァな…そいつが俺にもよく分かンねェんだ」

目元を染め、不機嫌そうに睨み付ける瞳から濡れる涙に胸が痛む。

―…俺は唯、お前のこと無意味に泣かせたかっただけかもしれないな。

「そっちからシタくせに、なんでそんな顔してるの」
「…悪かったよ、そんな目で見るな」
泣きたくなるだ狼牙。

―其れは愛か、と聞かれれば決してそうではないだろう。
ならば恋か、と聞かれてもやはり何処か違う。
“堅実な存在”で在り続けたいと思う反面、健気なまでに慕うあの瞳を鬼畜の如く裏切り、泣かせてみたいと思った。
だから“ちょっと”泣かせただけ。

―そう。これは唯、子供の頃から“お互いを”知ってるってだけ。
それだけの話なんだ。




「―…それとネロなんだが、使えなかったそうだ…ンまァ、いいか」で、奴の代わりに今日から任務に加えたお嬢様だ。
お前等は養成所からの付き合いなんだろうし、今更会った処で懐かしむ間柄でもないだろう?
紹介は扨置き、さっそく明日…―



「…運が悪かったな、こんなトコに配属だなんて」
…風邪、もう治ったか?

「おっかしい。もう随分と前の事を聞くンだね?」
“風邪”はもう平気。

逸らされた視線と数年ぶりの再会で蘇る“あの日”の罪。
俺は、お前を泣かせた“あのキスを忘れない”
否、忘れることが未だに出来ない。
彼女への強すぎる執着。
やはり愛や恋なんかと呼べるものではないのかもしれない。

end

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執筆者様の後書き

参加させて頂きありがとうございました!



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